アクラシア問題とは?「意志の弱さ」の理由がわかるアリストテレスの哲学

「わかっちゃいるけどやめられない」でおなじみの、アクラシア問題について解説します。

アクラシア問題は、主にアリストテレス『ニコマコス倫理学』で取り上げられた問題です。

 

『ニコマコス倫理学』の全体をあっさり解説・紹介した記事はこちら↓
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アクラシア問題とは?

「お腹の調子が悪いけど、ポテトチップス食べたい・・・。」ということが、よくあります。

一方で「こうしたい・・・!」という思いがあり、しかし他方で「それはやめておいたほうがいい・・・!」という思いがある。

一言で言えば、「自己自身のうちの葛藤」とか「対立」です。理性と欲望の対立なんてとらえると分かりやすいかもしれません。

そうした中で、わたしたちは「わかっちゃいるけどやめられない」という表現をふつうに使っていると思います。

そうした葛藤の状況を一言で表す言葉がなんと古代ギリシアにもあったということです。

それが「アクラシア」と呼ばれるものです。

 

古代ギリシアで知られていたこうした人間的な悩みを、はるか時間も場所も異なる現代の私たちも共有しているのです。

こうした葛藤について、ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった錚々たる哲学者が、哲学上の大問題として扱ったのです。

その内容を、今回はアリストテレス『ニコマコス倫理学』に沿って追って行きます。

 

アクラシア問題の論点

さてアクラシア問題は、「わかっちゃいるけどやめられない」という状態についての考察です。まあ普通にあることですが、これの何が問題になったのでしょうか。

「わかっちゃいるけどやめられない」とは、一体何をわかっているのか?

この問題をしつこく言い立てたのはソクラテスです(プラトンの対話篇)。ソクラテスはあっさりこう言いました。

ソクラテス「わかっているなら、やめられるだろ。」

まあ、身もふたもありませんが、あまりにも簡潔明快なので、聞いただけでこれが真理なのではないかと説得されそうです。

つまり裏を返せば「やめられないってことは、分かっていないんだよ。」と言っているわけです。

簡潔・明快なので、ソクラテスの意見でみんな納得しかけました。

でも、理屈じゃソクラテス正しそうだけど、やっぱりアクラシアあるよねと。

「ちょっとマジでこれ考えるわ」とアリストテレスが動き出しました。

 

『ニコマコス倫理学』におけるアクラシアの考察

アリストテレスは抑制のない人の行為について、『ニコマコス倫理学』第7巻3章で扱っています。

 

さて、アリストテレスはまず、「放埓な人」と「抑制のない人」を、以下のように区別します。

放埓な者:いつでも現在の快楽を追求しなければならないと見なし、自発的な選択に基づいて、快楽追求の行為へと導かれる。

抑制のない人:そうした快楽を追求すべきでないと考えているにもかかわらず、実際にはそれを追求してしまう人。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』より(京都大学学術出版会の翻訳を参考)

 

放埓な人は、「いつでも現在の快楽を追求しなければならない」と考えているそうです。こんな奴いるのか

もし、この考えを徹底している人物がいたとしたら、「この人こそ哲学者である!」とわたしは大いに讃えたいと思いますが。

他方で、抑制のない人については、なんだか親しみがあるというか、私たちも身に覚えがあるようなところですね。

「宿題やったの!?」「ああ、試験勉強しなきゃ・・・」と言いながらファミコンをやるという感じですね。

 

どうして抑制のないふるまいが起こるのか?

パターン1:知識を行為に応用できない場合

さて、アリストテレスはこう区分した後、「どうして抑制のないふるまいが起こるのか」を考えていきます。

考察のために、「行為にかかわる推論と知識」という、やや抽象的な議論が展開されます。

 

さて。アリストテレスは、行為と知識の関係で、二通りのパターンを示します。すなわち、

1)知識を実際に用いて行動する場合 および 2)用いないで行動する場合 に分けます。

要は、「知っていて、それを使う」のと「知っているが、利用しない」ということですね。

そして「前者において誤るのは異常であるが、後者において誤った場合は異常とは思われない」と言います。

ちなみに、プラトンやアリストテレスの使う「知識」という言葉は、かなり厳密な意味でして、誤ることはありえない。

「間違った知識」という表現は日常では普通に使われます。しかし彼らの哲学的議論の文脈では語義矛盾のようなニュアンスさえあります。

 

ところで、「知識があるのにそれを用いないで行為する」って一体どういうことでしょうか。知ってて使わずにいるって、なかなか難しいですね。

知識とは基本的には普遍的であり、行為というのは個別的です。

普遍的知識を持ちながら、個別的な事柄に知識を働かせられない場合、(たとえば「この種のものは乾いたものだ」と知ってはいるが、当の「このもの」が「この種のもの」かどうかわからないという場合)、知識に反して行為しているといえる。

とアリストテレスは説明しています。

 

パターン2:情念(感情)によって行為が左右される場合

もう一つのパターンのほうが、ずっと私たちにとって身近で分かりやすいです。アリストテレスはおおよそこんなふうに説明します。

情念にとらわれると、知識をもっていても、もっていないということが起こる。

というのは、眠っている人や狂気の人、酔っぱらっている人たちは情念にとらわれていると言えるが、彼らはふだん知識をもっていても、その時はもっていないのと同様のふるまいをするし、身体の状態さえ変わっている。

アリストテレスは堅苦しいのですが、ときどきこうしてほんわかする例えを引き合いに出してきてくれるんです。

そしてアリストテレスは、抑制のない人たちは情念にとらえられている人たちのあり方と同様の状態だと述べます。

 

ソクラテスは「やめられないなら、知らないんだよ」と片付けました。

しかしアリストテレスは「知っている人でも、情念にとらえられて一瞬知らなくなることもあるんだよ」と述べたわけです。

この辺りに哲学の進歩の歴史をわずかに感じます。

 

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アリストテレス著作と入門書まとめ~政治学から形而上学まで

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