エピクロスの快楽主義の検討

      2017/03/01

ヘレニズム時代の哲学は、「人生をいかに生きるか」という問題が中心になっていたと言われています。

まさに実践哲学です。哲学や文学を頼りに人生を渡りきっていこうとする私にはぴったりのものかもしれません。

ヘレニズム時代の哲学は、大きくいって3つの学派に分かれていました。

・ストア派(ストイックの語源。禁欲主義などと説明される。開祖はゼノン。)

・エピクロス派(エピクロスという思想家の学派。快楽主義などと説明される。)

・懐疑派(何でも疑って心の安定を図るといった変わった学派。開祖はピュロン。)

 

さて、エピクロスについて考えていきたいと思います。

 

・・・表記について

DL=ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』数字は順に「巻、文節番号」を示す。

賢者、知者=それぞれストア派、エピクロスにおいての理想となる人。

導入~エピクロスのプロフィール

人間は幸福を望む。大雑把に言ったが、この定義に異を唱える人はあまりいないでしょう。(ニーチェはこの命題を揶揄しましたが。)

エピクロスは人が幸せになるためには如何にして生きるべきかを真剣に考えた哲学者です。エピクロスのいう幸福な人間がどういう人間であるかを通して、エピクロスの倫理観を読み直し、またストア派との違いも鑑みながら、幸福とは何かを考えることがこの記事の目的です。

エピクロス(B.C.341-270頃)は古代ギリシアの哲学者であり、善悪の基準を快苦という感覚におき、人間の幸福は快の充足にあるとし、いわゆる快楽主義者として知られています。同時代にストア派および懐疑主義が存在しました。

 

なぜエピクロスを読むのか

エピクロスはこれからわかるように徹底した経験主義・現実主義者であり、その思想の痕跡はイギリスの功利主義の哲学やマルクス等に見られます。

また絶対的真理の否定という点で、19世紀後半の実証主義の哲学、プラグマティズム、現代思想の諸派などとも共通点を持つとも言えます。

しかし何よりも、わたしたちは日常生活において、自覚の有無に関わらず自己利益に基づく幸福を追求しています。自己利益に基づく幸福とはエピクロスに言わせれば、快楽および苦痛のないことです。エピクロスの思想を読むことは、われわれの幸福観は一体どのようなものであるかを見つめなおすことにも繋がると考えたからです。

 

エピクロスの根本思想

以下の引用がエピクロスの根底思想とも言うべきものです。

われわれは快楽を、至福な生の始めであり、また終わりでもあると言っている。というのは、われわれは快楽を、生まれると共に持っている第一の善として認めているからであり、そしてこの快楽を出発点にして、すべての選択と忌避を行っているし、また快楽に立ち戻りながら、この感情(感覚)を基準にしてすべての善を判定しているからである。(DL.10.128-129)

 

身体の健康(肉体において苦しみのないこと)と心境の平静(霊魂において乱されないこと)が生の目的です。[1]快の充足が幸福そのものの充足になるという主張です。そして真の幸福感は「静的な快」を得ることで達せられる。静的な快とは苦しみのない状態であり、それは現在に満足している状態である。現在においてあらゆる欲望が満たされている状態とも言える。これはほとんど神に似る。知者の生活は人間のあいだで神のごとく生きることとなるといっています。[2]

[1] DL.10.128, 131-132

[2] DL.10.135

 

欲望と幸福

ヘレニズムの哲学は、それぞれの学派で理想とされる人間像を描き出しました。エピクロスのいう知者のイメージを見てみましょう。

……神々については敬虔な考えを持ち、死については常に恐怖を抱かず、自然的な目的(快)をすでに省察しており、善いことの限度(苦しみのないこと)は容易に達せられ獲得されるものであるし、悪いことの限度は時間的にも痛みの点でもわずかであることを理解している。また、一部の人が万物の女王として導きいれた「運命(必然性)」を嘲笑している人、このような人より誰が優れているときみは考えるか。(DL.10.133)

 

ちなみにストア派では欲望はもとより、あらゆる感情は完全に滅するべきであると考えられていました。欲望は感情の一部です。

 

……ストア派によれば、すべての感情(perturbationes)は判断(judicium)と想念(opinio)から生ずる。

……欲望(libido)とは、すぐ目の前にあって手の届きそうな、将来の善に対する想念である。

(キケロ 『トゥスクルム荘対談集』 4.14、木村健治・岩谷智訳)

 

もろもろの感情と戦うには襲撃を加えねばならぬ。小細工ではいけない。かすり傷ぐらいではなく、強襲をかけて敵軍を撃退せねばならぬ。嘲るぐらいでは駄目だと思う。なぜなら相手を粉砕せねばならないのであって、ののしるのではないからである。

(セネカ 『人生の短さについて』 10-1、茂手木元蔵訳)

 

ストア派と違い、エピクロスは欲望を全て悪いものとはせず、自然な欲望が満たされることで人は幸福になれると考えました。

 

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