いじめとは何か?政治によるいじめ対策の歴史を振り返ろう




いじめ問題は、マスコミに取り上げられるたびに、学校側や教師の落ち度や怠慢が報道されます。

だから、「学校というのは隠蔽体質だ」という印象がすっかり定着してしまいます。
実際のところ、世間のどこの集団でも隠蔽体質であるにもかかわらず、です。

そもそも隠蔽体質が世間全体に存在しなければ、
「公私」とか、「プライバシー」なんていう概念が出てくるはずがないのにね。

この記事では、いじめ対策の歴史と実態を振り返っていきます。

ちょっと長いので、はじめにお伝えしたいことをまとめると、次の3点です。

  • 現場レベルの学校の先生は、いじめ解決の努力をしている
  • 子どもはスクールカースト(クラス内上下関係)の中でストレスフルな日常を過ごしている
  • 加害者の責任は明確にされるべきだが、加害者になる原因・闇は非常に深い

なぜ教師や学校は、いじめを見つけられないのか?

以下は、森田洋司(2010)『いじめとは何か』中公新書を参考にしています。

(関連記事)森田洋司『いじめとは何か』要約と解説

被害者にインタビューしたある調査によると、
教師がいじめを見つける率は50%である。
いじめ全体のうちの半分は教師は見つけています。

そして、いじめられた子どもが教師に相談する率は、約25%です。

だから、教師は発見したいじめのうち、

  • 半分は他者の情報や、自らの洞察によって発見している。
  • もう半分が、子どもの自己申告・相談。

ちなみに、いじめ対策先進国とされるイギリスでのいじめ発見率が44%。
だから、日本の教師の洞察力は、世界的にもトップレベルです。

だから、実のところ、教師や学校はいじめをしっかり見つけているのです。

なぜ教師はいじめを見つけても、何もしてくれないのか?

先ほどと同じ調査によれば、何もしてくれない先生は、いじめ全体の10%です。

整理すると、

  • 「先生はいじめを知らない」と答えた生徒が50%
  • 「先生は知っているのに何もしてくれない」は10%
  • 「先生はいじめをなくそうとした」は40%

そしてその40%のうち、「いじめがなくなった、少なくなった」と答えた生徒は、65%でした。

「先生にいうと、かえっていじめがひどくなる」
という印象が結構あるもの。

でもそれは6,5%です。65%の10分の1ですね。
残りの2割弱は、特に変わっていないということですね。(それも変な話ですが)

じつは、4割の先生は、いじめを解決するために、行動してくれています。
マスコミに出て来るようなヒドイ隠蔽体質は、例外中の例外なのです。

このあたりをまず、はっきりと理解しましょう。
そうしないと、私たちは現場でがんばる生徒思いの教員まで、いたずらに非難してしまいます。

教育は政治の人気取りに利用される

さて、教育問題は政治的問題として大いに利用されます。
近年では、第1次安倍内閣の主導で発足した「教育再生会議」が記憶に新しい。

「内閣が教育関連機構を立ち上げる」

これは異例のことだったのです。

この組織の発足のきっかけ。
いじめによって、生徒が自ら命をたつ事件が相次いだことです。

これが「教育基本法の改正」まで行きつきました。

この改正教育基本法は色々と批判もあります。
(公立学校の職員室にはたいてい「改悪から守ろう!!」などというスローガンが貼ってありました)

教育再生会議・改正教育基本法は、いじめを減らせたのか?

教育再生会議が「いじめ問題」にどのような影響を与えたのか?

最も大きな意義は、「いじめの加害者の行為責任を明確にしたこと」です。

今までのいじめ対策は、「被害者の命や安全を守る」という差し迫った課題をもっていました。
なので、当然ながら被害者のケアが重視されました。

これが「相談窓口や、スクール・カウンセラーの設置」等々につながります。

教育再生会議では、被害者ケアは当然の前提としつつ
「いじめは悪であり、加害者はもちろん、傍観者も加害者である」という見解を示しました。

あなたは、この見解を評価できますか?

さらに、

  • 加害者の出席停止措置
  • 懲戒(停学・退学等)の行使

を活用するよう提言しましたた。

「いじめが悪である」というテーゼは、90年代に文部省が告知していました。
教育再生会議では、それをもう一度強調した形になります。

いじめた側は罰するべきか? どこまで責任追及すべきか? 

加害者の行為責任を明確にする。
これは、欧米では基本的な姿勢です。

欧米では、いじめ問題に対して、

  • 社会防衛
  • 学校の安全と安心を守る

という発想をもっています。

たとえば日本では「いじめられた子」のほうが転校しますよね。
しかし、欧米からは「なぜいじめられた子が出て行かなければならないのか?」と疑問視されるそうだ。
もっともな疑問です。

悪いのは、加害者だ。加害者は罰せられなければならない。

このように加害者の行為責任の追及を、短絡的に実現させようとしたのがアメリカ。(日本でもこのような論者が結構いますよね。)

アメリカでは、心理学の「割れ窓理論」という理論を応用し、
「ゼロ・トレランス運動(zero tolerance・不寛容)」と呼ばれるいじめ・非行対策を行いました。

要するに監視・管理社会を作ったのです。

ちなみにアメリカはクラス制じゃありません。
なので、教室内でのいじめは起きません。

だからと言って、いじめがないわけではないんです。
いじめが起きるのはロッカーです。
アメリカの青春映画をいくつか観れば、必ずそんな場所を見つけられますよ。

日本の学校にはロッカーないですね。
(あっても教室に面した廊下なので、クラスの延長)

子供たち自身が抑止力として機能する「いじめ対策」は可能か?

しかし権力に頼った抑止力には当然限界があります。
(政治家や政党には、ここがわからないのでしょう。教育に限らず。)

そこで、「子どもたち自身が、いじめの抑止力になるように、上手にできないものか?」
このように考え始めました。

その方法は様々考えられるでしょう。

教育再生会議では、道徳教育の強化という形をとりました(新教育基本法)。
これが宗教系の学校では、宗教教育の重視になるでしょう。

ちなみに、冒頭で参考にした、『いじめとは何か』
この本を書いた森田さんは社会学者です。
彼はシティズンシップ教育というものを提言しています。

道徳とか宗教には色々と問題があります。
2017年には、森友学園の問題がありました。

(関連記事)教育勅語の良い点と悪い点は?成立の歴史が一目でわかるまとめ資料

道徳教育を重視する学校法人は「公立学校は善悪を教えない」という、何だかよくわからない批判をします。
それに基づき「我々は善悪をはっきりと教える」という傲慢極まりない主張をしがち。

確かに、「社会秩序の維持がとりあえず善である」という前提を置くのは構いません。
教育にも、それ自体のうちに保守的な要素があるものです。

しかし、宗教系の学校や一部の私立校にいじめがないか?
と言ったら、データはないですけど、そんなことはないでしょう。たぶん。ねえ。
仮に少ないとしたら、結局は、宗教系学校や一部の私立校に特徴的な「厳しい規則のもとでの監視・管理」が第一要因でしょう。

しかしこのような監視管理態勢、権力による指導では、子どもの内面には届きません。
(自衛隊や警察・体育会系部活動での「いじめ・しごき」を考えれば一目瞭然)

子供たち自身が抑止力として機能する「いじめ対策」は、なかなか難しい。

とはいえ「いじめは悪い」という認識は、9割以上の子どもたちがもっています。
さらに、どこの学校でもある程度の監視管理は行われています。

教育の現場ではスクールカーストのような見えない上下関係が、いじめの温床になります。
そのせいで、現実の子供たちは、高度な政治的な判断を強いられます。
そうしないと、自らがいじめの被害者になってしまうのです。

なので、子どもたちが誰とでも対等に接しあえる環境づくりをする。
これが実現できれば、いじめはかなり減少できるはずです。

子どもたちはクラスルームで高度な政治的判断を強いられている

9割以上の子どもたちが「いじめは悪い」と考えている。
それなのに、いじめが起こる。
ここに、異常な事態が存在します。

「いじめを悪いと思わない1割弱の子供」がいじめを行なうのではありません。
いじめが発生すれば、ほとんどの子供が、

  • 加害者
  • 傍観者
  • 被害者

に分かれてしまいます。これこそが、いじめが生存し続ける原因です。

いじめの防止と対策は重要です。しかし

なぜいじめが起こるのか?

この根本的な原因は、探られないままになっています。
本来教育では、そういう問いに着目しなければならないはずです。
というか、実際の教員であれば誰だって日々考えています。

いじめは絶対に許されません。

しかし、いじめ加害者のほうも、別のところでいじめられたり、非常な緊張を強いられているのかもしれません。
非常なストレスから他者を傷つけてしまう子どももいます。
大人だってそうですね。

では、「自分を傷つけているのならいいのか?」というと、そうはなりません。
どちらにせよ、取り返しのつかない事態が起こりえます。

いじめとは、「加害者も被害者も救われない状況に置かれている可能性が高い」のです。

ああ、哀しき子らよ。

まとめ いじめは根絶できない。でも根絶に向けて努力しよう

あるコメンテーターやおじさんたちは、いじめについてこんな風に語ります。

秀でてる奴、抜きん出てる奴がいじめられる。
いじめる奴は自分よりできる男をいじめる。
なぜならそいつを潰さないと、自分が好きな子を振り向かせられないから。

生存競争だからいじめはなくならないし
いじめられるってことは目をつけられたってことだから悪いことじゃない。

アインシュタインもいじめられてた。
けど彼は気にしなかった。
すごい奴はいじめられてそこを潜り抜けてるんだ。

このような意見には、耳を貸さないようにしましょう。

おじさんたちの言い分は「被害者側の考え方を変える」ということです。
あまり効果が期待できません。
むしろ、苦しむ子どもに寄り添う気持ちが感じられません。

たいていの子はすごくないし、自分はすごいなんて思えない。
「好きな子をふりむかせるために他人を潰す」なんて本当でしょうか?
少なくともわたくしは、考えたこともありません笑

気にしないことができる子なら、それでいいです。
そもそも被害者が気にしてないなら、いじめと見なされません。

たとえばさかなクン。彼もいじめがあったと告白しています。
しかし彼は、からかいに負けず、大好きな魚を勉強し続けました。
さかなクンにとってのお魚とは、からかいの原因である以上に、癒やしの源泉だったのだと思います。

でも

  • それができない子
  • まさに現在苦しんでいる子
  • 心の傷を負っている子、
  • いじめをくぐり抜けられない子

こういう子らは、どうすればいいんですか?

加害者にしても「いじめを止めたくても、止められない」という子もいます。
いじめって本当に哀しいことです。

そんな悲しいいじめ。
はたして、根絶できるのでしょうか?

いじめの根絶について、上記の参考文献の森田さん。
「残念ながら根絶はできない」とおっしゃいます。

いわく、いじめには3つの要素があります。
その1つが「力関係のアンバランスとその乱用」としている。

このうち、いじめにつながるのは「乱用」の部分であって、力関係のアンバランスそれ自体は、社会には必然的に存在しているもの。
むしろ、力関係の不均衡があるから、組織や社会の営みが成り立ちます。

この不均衡・アンバランスがいじめの原因(=力の乱用)を構造的にはらんでいます。
なので、人間社会は、いじめが起こる可能性を持っています。
(こういうステータスを可能態といいます。)

つまり、いじめが起こる可能性は、抱えていかなければなりません。
可能性さえもなくすには、「力関係の不均衡」を解消する必要があります。
でもそれは不可能だし、無益です。

したがって、可能性は排除できない(=根絶できない)。
ただ、実現=「力の乱用」を止めることはできるはず。
そして万一乱用が発生しても、その影響を最小限におさえることはできるはず。

このように森田さんはおっしゃっています。