シェイクスピアと共に始まる英文学科の入学式【高等遊民の修業時代】




実録! 高等遊民は如何にしてニートへの道を突き進んだか?

高等遊民の修業時代を描いてみよう。
その始まりは、大学の入学式であった。

黒い男との出会い―シェイクスピアの元ネタとは

ひとかどの学者を目指す高等遊民は、三流大学英文学科へ入学した。
お決まりの入学式が終わり、ぞろぞろと大教室に移動したあとは、学科ごとのガイダンスが始まる。
高等遊民は、窓側の隅に陣取り、まわりとの緊張関係を維持していた。

「ふん、周りの連中は就職希望ばかりだな。大学に入って学問を志す人間はほとんどいない!」

そうやって周囲を見下しながら、購買で買った英文学史の概説書をめくっていた。

真っ黒い格好をした男が近づいてきた。

黒く薄いごわごわしたギターケースを背負い、片手にカバンを下げ、同じ手で灰色の文庫本を指に挟んでいる。

「よう。」黒い男は馴れ馴れしく声をかけた。

「ん?」

怪訝そうな高等遊民の表情を楽しんでいるかのように、黒い男はこう言った。

「きみ、英文学史の本なんか律儀に読んでいたって、何も感動はないぜ。
作家の生涯を簡単に書いて、有名な作品の抜粋を簡単に読んでさ。
そんな楽なものからは、芸術が生まれるわけがない。」

この無礼な男の左手を見ると、シェイクスピアだった。

「ふん、お前こそなんだ。今さらシェイクスピアでもないだろう。
素人がシェイクスピアを読んでも時間の無駄だ。
シェイクスピアなど研究され尽くしている。
そして素人は所詮、自分勝手に読むことしかできん。
しっかりした、その上斬新な読み方ができるようになるまで、何十年かかると思っているんだ。」

男は得意げに笑みを浮かべた。
「それならお前にいいこと教えてやるよ」――声を潜める――

「シェイクスピア自体は確かに、お前の言うとおり、数え切れんほどの研究者が読みつくしてるわ。
だがな、シェイクスピアの脚本には、たいてい元ネタがあるんだよ。
材源っていうんだけどな。その材源をシェイクスピアはちゃっちゃっちゃっと、うまい具合に作り変えたり、ほかの材源と混ぜ合わせたりして、作品を作ってる。
その元ネタの研究の方は、ほとんど手付かずなんだよ。」

「なに!」

「誰にも言うなよ。」

確かに訳書の解説を見ても、元ネタに関する解説はほとんどない。
あっても言及するといった程度で、詳細に解説しているものは見たことがない・・・気がする。
こいつ、侮れない!

シェイクスピアをどれだけ読んでから英文学を語っているのか?

「お前、シェイクスピアどれだけ読んでるんだよ。」黒い男が言った。

「ハムレット、ロミオとジュリエット、あとヴェニスの商人とか。」

「王道だな。歴史劇は?」

「いや、読んでない。」

「へえ。『ジュリアス・シーザー』くらい読んどけよ。ロマンス劇は?」

なんだそれ。というと、黒い男は笑い出した。

「お前、そんなのも知らないでシェイクスピア研究がどうのとか言ってたのか?
最初から手を出さないってわけか。その態度は感心できんよなあ~。」

黒い男の継続的な無礼に、高等遊民はむっとしていた。
ぎゃふんと言わせてやろう。
どうせこいつだって、ろくに読んではいないのだ。

「お前はどれだけ読んでいるんだよ。」

「は」黒い男は吹き出すように笑った、

「全部読んだよ。」

「なに!」
(嘘をつけ! シェイクスピアの作品がどれだけあると思っているんだ! 
 この間まで高校生だった人間が既に全部読んでいるなど、俺のような人間以外ではありえないことだ!
 その俺ができないことだ、つまり、シェイクスピアを全部読んでいる大学1年生などこの世には存在しない!

「じゃあ一番好きなのはなんだ。言ってみろ!」

『ペリクリーズ』。

まじで聞いたこともねえ作品だぞ。

「お前それいま持ってるのか。」

黒い男の不敵な笑みは変わらなかったが、表情は優しくなった。
かばんから緑の新書版の本を取り出した。『ペリクリーズ』とあった。

「貸してやるよ。お前、なんて名前だ?」本を差し出す。

「高等遊民。お前は。」本を受け取る。

「プレシェーレンだ」

プレシェーレンと名乗る男は、本を手放し、高等遊民の隣に勢いよく腰を下ろした。

プレシェーレンは、後に中央ヨーロッパの小国スロヴェニアに渡り、国民的詩人プレシェーレンを日本に紹介し、スラブ文学の第一人者となる男である。


『ペリクリーズ』