枯れ果てたジジイ(モンテヴェルディ)が作り上げた2つのオペラの恋愛模様が面白すぎる

   

モンテヴェルディ晩年の二つのオペラは、最高ですよ。

今まで聴いたことのないような音楽。
とても豊かな体験ができるはずです。

モンテヴェルディ(1567-1643)。

イタリアバロックにおけるオペラの勃興に立ち会い、
その初期を燦然と輝かせた作曲家。

彼の有名なオペラとして『オルフェオ』(1607)があります。
これは彼が40歳の時に作られたものでした。

この記事で、ご紹介するのは、さらに晩年の作品。
モンテヴェルディは70歳以上。

この時代にしては長命な彼の最晩年に作曲された二つのオペラです。

それぞれ、ギリシャ・ローマの神話・文学・歴史を題材にした作品。

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『ウリッセの帰還』(1639-40)

「ウリッセ」とは、オデュッセイアのイタリア語読み。

ホメロスが語り伝えたとされる古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』。

主人公である英雄オデュッセウス(イタリア名ウリッセ)は、
トロイア戦争後に故郷へ戻ろうとするも、神々と運命によって、20年も放浪の旅を余儀なくされます。

その最後にようやく故郷であるイタケーにたどり着きます。
そして夫の帰りを待つ貞淑な妻ペネーロペのもとへと帰ります。

ところが、そこには彼女への求婚者が群がり、彼女も長年の忍耐ですっかり人間不信をたくましくしている。
夫を前にしてもそれが本当に自分の夫だとは信じられず……という話です。


『ポッペアの戴冠』(1642-43)

ポッペアとは、古代ローマの皇帝ネロの2番目の妻。

ポッペアは野心的な美女でネロを籠絡しします。

ちなみに第1の妻はオクタヴィア。
オクタヴィアやネロの教師である哲学者セネカなど

ネロの周りの人間を破滅させながら
「皇后の座へ上り詰めていく」という話です。


モンテヴェルディのこの2つのオペラは非常に対照的です。

  • 『ウリッセ』では夫婦の一途で純粋な愛を描く。
  • 一方、『ポッペア』ではポッペアの野心が含まれた官能的な愛が描かれます。

この全く対照的な2つのオペラ、2つの愛の姿形。

モンテヴェルディの晩年の2作品は、セットで鑑賞されるべきものでしょう。

こんな愛の作品を「70歳をすぎたおじいさん」が作ったわけです。

「枯れ果てたおじいさんが作ったとは思えない作品」

とでも言うべき作品でした。


哲学者セネカの最期のシーンが神がかっている

非常に印象的なシーンを1つご紹介。

『ポッペアの戴冠』。

主役ソプラノのポッペアは男を堕落させる典型のような悪女です。
(だからこそ魅力的。)

彼女は皇帝ネロを篭絡し、ネロは自らの教師である哲学者セネカに「自己の始末」を命じます。

そのセネカの最期のシーン。

セネカの友人たちは「死なないで」と生きることの喜びを歌いあげます。
これはセネカを説得しようとする試み。

しかし哲学者セネカは威厳をもって、自らの最期を迎えます。

その崇高さに満ちた哲学者のシーンの直後。ここがすごい。

場面が変わり、別の場所。

若い男女が出会い、恋の喜びを歌いあうシーンが挿入されます。

このギャップ!! 

生きる喜びを語る説得を聞き入れず、
尊厳に満ちたセネカの最期を演出する。

その直後!!

世俗的な喜びを120%表現するというモンテヴェルディの手法!!

聴衆は、輝かしい哲学者の最期を観た直後に、
輝かしい生や恋愛の喜びを観ることになり、

全く違う種類の感動を与えるわけです。

この大胆さ! 
やるな、このエロジジイ!!


編成が異常に簡素なオペラ

モンテヴェルディのオペラを観て感じるのは、
現代的な我々の感覚とは全く異なるオペラであるということ。

たとえば伴奏は、

  • チェンバロ
  • 2つのヴァイオリンとチェロ、
  • オルガンorハープ

というとても簡素な編成。

近現代のオーケストラで編成されたオペラとは全然違います。

先ほど挙げたセネカのような劇的なシーンにおいても

音楽はあまり変わらず、ほとんど目立たないように感じました。

それに、そもそも資料が不完全のため、決まった編成がありません。


また『ウリッセの帰還』『ポッペアの戴冠』

どちらの作品にも第一幕開始前にプロローグがあります。

そこでは神々(愛の女神など)や寓意的な存在(「人間のはかなさ」という人物など)が現われます。

本編の物語を支配する力を、彼らが持っているのです。
そして、このオペラのストーリーを暗示する役割があります。

こうした登場人物は、ギリシャローマの叙事詩や西洋中世文学ではよく現れます。

しかし現代的な感覚では「特異なもの」として映るものです。


現代の私たちとは異質な感覚を味わうことの喜び

『ウリッセ』と『ポッペア』

この2つのオペラを対比的にとらえるとわかることがあります。

それは

「ウリッセとペネロピにおける貞淑な愛」
「ポッペアの野心的で官能的な愛」

この2つの対照的な愛を比べることにより、
2つのオペラに挿入されたプロローグがいっそう印象的なものとなります。

というのは、

『ウリッセの帰還』では「人間のはかなさ」という寓意的人物が登場します。
彼は「自らの死すべき宿命」を嘆きます。

すると「時」「運命」「愛」の三神が現れ、
「人間のはかなさ」に対する自らの力を誇示します。

他方、『ポッペアの戴冠』のプロローグでは
天上にて「運命」と「美徳」が言い争いを起こしています。

そこに「愛」が登場し、「自分こそが現世を支配するものだ」と主張し、
その主張を他の2神は認めます。

いずれも3つの神が登場しますが、

『ウリッセ』では、三神は力関係において並び立ちます。
(時=運命=愛)、
三者は共に「人間のはかなさ」を威嚇します。

他方『ポッペア』において三神の力関係は「愛」が勝っています。
(愛>運命=美徳)
愛の支配が高らかに主張されたのちに本編が始まります。


プロローグは本編への序章となるわけですが、
『ウリッセ』においてプロローグは「人間のはかなさ」が否定できないものとして聴衆の前に現れます。

ところが、本編のウリッセとペネーロペの一途な夫婦愛は、
プロローグで主張された人間のはかなさに真っ向から立ち向かう強烈なアンチテーゼとなっています。
そしてクライマックスでは人間のはかなさを乗りこえたように思われます。

他方『ポッペア』では、プロローグにおいて権勢と支配を手中にする愛の女神は、本編におけるポッペアの戴冠までの道程を支援します。
プロローグと本編は完全に一致します。

このように、対照的な二つのオペラは、プロローグと本編のあり方において最も対照性が際立っています。

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