パスカルより現世否定を徹底した哲学者はそういない

   

パスカルは現世の生がみじめな、むなしいものであることを徹底的に検証した思想家である。

彼の思想は『パンセ』に遺されており、キリスト教護教論の草稿であるとされている。

 

『パンセ』の前半は、人間という生き物がいかに不幸で、みじめな存在であるかを、これでもかと書き綴ってある。

その根拠は、「人間はいつか死ぬ」という確実な事実に立脚する。

幸福の探究の放棄

この世に真の堅固な満足はなく、われわれのあらゆる楽しみはむなしいものにすぎず、われわれの不幸は無限であり、そしてついに、われわれを一刻一刻脅かしている死が、わずかの歳月の後に、われわれを永遠に、あるいは無とされ、あるいは不幸となるという、恐ろしい必然のなかへ誤りなく置くのであるということは、そんなに気高い心を持たなくとも理解できるはずである。

これ以上現実であり、これ以上恐ろしいことはない。したいほうだい強がりをするがいい。これがこの世で最も美しい生涯を待ちもうけている結末である。

(中略)これが私の現状である。弱さと不確実さとに満ち満ちている。

そして以上すべてのことから私は、私の一生のすべての日々を、私に何が起こるはずなのかということを考えないで過ごすべきであると結論する

ことによると、私の疑いについて、何か光を見いだすことができるかもしれない。

しかし私はそのために骨を折りたくはない。またその光を求めるために一歩を踏み出したくはない。

(『パンセ』194、前田陽一・由木康訳、中央公論新社、2001、pp.140-142)

 

死を深く考えれば、自分の弱さと不確実さを見いだし、恐怖や絶望に襲われる。

さらに探求すれば何か希望が見いだせるかもしれないが、答えが出るとは限らないし、いっそう不幸になるかもしれない。

ならば、考えることを放棄してしまったほうが楽だし、いつまでも死を思い煩ってもいいことは何一つない。

 

気晴らしのために「騒ぎ」を求める

さらにこのことから、パスカルは「人間の不幸は部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来する」という(同書139)。

たとえば何をするでもなく、ひとりで自分自身のことを考えるような環境にあれば、必然的に自分の境遇や将来に思いをいたし、死も心に浮かんでくる。それは我々をみじめな気持ちにさせる。

だからそのような環境に自分自身を置こうとはしないし、みじめさや不安を紛らわす気晴らしのために、何か「騒ぎ」を求めるとパスカルはいう。

さらに「ここから、賭け事や女性たちとの談話や栄職などがあんなに求められることになる。それ自体が幸福をもたらすからというわけではなく、(物思いにふけっていると陥る)我々の不幸な状態から思いをそらすためだという。

 

我々が一生懸命追求するものの正体は幸福ではなく、不幸を忘れさせてくれるものだ、ということである。

それゆえ「王の身分が幸福なのは、つねに気を紛らわすことができて、その手段に事欠かないから」であり、

「悪いのは、彼らの探求しているものの所有が彼らを本当に幸福にするはずであるかのように、それを求めていることである。この点で、彼らの探求がむなしいものであると非難するのは正しい」と述べる。

 

パスカルによる人間の一生

さらにパスカルは二つの人間の本能を議論し、我々の一生を次のように語る。

 

彼らには、気晴らしと仕事とを外に求めさす、一つのひそかな本能があり、それは絶えざる惨めさの意識から生じるものである。

彼らにはまた、われわれの最初の本性の偉大さのなごりであるいま一つのひそかな本能があり、それが彼らに対して、幸福は事実安息のうちにしかないのであって、激動のなかにはないということを知らせているのである。

そして、これらの相反する二つの本能から、彼らのうちに一つの漠然とした企てが形成される。

それは、彼らの魂の奥底にあって、彼らの目には隠されているが、立ち騒ぐことによって安息へと向かうよう彼らをしむけるものである。

そして、もしも彼らが当面するいくつかの困難を乗り越え、それによって安息への門を開くことができたあかつきには、現在彼らにはない満足が、彼らのところにくるだろうと思い込ませるのである。

 

このようにして一生が流れていく。人は、いくつかの障害と戦うことによって安息を求める。

そして、もしそれらを乗り越えると、安息は、それが生みだす倦怠のために堪えがたくなるので、そこから出て、激動を請い求めなければならなくなる。

なぜなら、人は今ある悲惨のことを考えるか、われわれを脅かしている悲惨のことを考えるかのどちらかであるからである。

(中略)このように、人間というものは、倦怠の理由が何もない時でさえ、自分の気質の本来の状態によって倦怠に陥ってしまうほど、不幸な者である。

(同書139、pp.104-105)

 

パスカルの主張の眼目は、我々が日夜追求するものの正体が幸福ではなく、不幸(むなしさ)を忘れさせてくれるものにすぎない、という点である。

じっとしていると忍び寄るみじめな気持ちを忘れるために、気晴らしや騒ぎを求める。

ところがパスカルによれば、我々の本能は安息の内にしか幸福はないと知らせているのに、安息のうちにとどまっているとみじめさが襲ってくる。

このジレンマを打破するために、騒ぐことで安息を得ようとし、安息を得たのちまた騒ぐことを繰り返す。

私たちの一生は、このように流れていく、とパスカルは言う。

中公文庫は世界の名著版でもある。安定の翻訳。日本語『パンセ』の定番。

 

解説書としては最高の部類。

塩川徹也氏の翻訳でパンセ(上) (岩波文庫)もあるが、賛否両論。

『パンセ』は大量のメモ書きの寄せ集めのため、順序があるわけではない。

従来の『パンセ』翻訳は、海外の校訂版(=編集版)をそのまま翻訳していた。

しかし塩川氏は翻訳にあたり、自身で『パンセ』を校訂編集した。これは画期的な業績だが、賛否両論があるようだ。

 

パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)

田辺保著。こちらも定評のある新書だが、個人的にはピンと来なかった。

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