【名誉欲の塊】ペトラルカは自分に正直すぎて後世の学者に全く信用されない可哀想な詩人




ペトラルカの対話篇『わが秘密』は、ペトラルカ自身が書いた序文において、公開意図がないことを明記しています。

 

「私はこの書によって名誉を望みもしない。そうではなくただ、かつてじかの会話によって一度だけ味わったあの甘美さを、何度でも好きなだけ読みかえして味わい直したいだけである」

 

ペトラルカは詩人ですから、当然作品を公表していた文人なのですが、『わが秘密』に関しては文字通り「秘密」として公開しなかったことがうかがえます。

 

しかしながら、ペトラルカのこの言葉を疑う研究者は少なくありません。かわいそうなペトラルカ(笑)

その理由は、ペトラルカは名誉欲に深くとらわれていると本作品において自認していること。

また、この作品の芸術性・完成度の高さ。これについては前回記事で書きました↓↓

ペトラルカの対話篇『わが秘密』あらすじ―天国編なしのダンテ『神曲』

 

これらの点から、公開意図がなかったとは考えにくいとする学者もいます。

 

ペトラルカの言葉を疑う研究者

トーマス・バージン(Thomas G. Bergin)という研究者がいるのですが、この人はペトラルカ研究者のくせにペトラルカ(それか『わが秘密』)が嫌いなのか、かなり辛辣です(笑)

バージンは、おおむねこんなことを書いています。

 

『わが秘密』の叙述は少々うぬぼれすぎていて、自意識過剰であり、彼の話にはいくらか作為を感じる。

アウグスティヌスの模倣もひとりよがりであり、どれほど心が動揺していたとしても、自分の(不幸な)状態を偉大な教父アウグスティヌスのそれと一致させようとするようでは、謙虚な人間とはいえない。

また、(この対話の)設定・演出も怪しい。『わが秘密』は巧妙に組み立てられ、フランチスクスは心乱れているにもかかわらず、全く動揺を感じさせない確かな筆致で書かれた「三幕」の劇である。

 

バージンの『わが秘密』批判の要諦は、あまりにも作り込まれている作品ということから生じる嘘くささでしょう。

たとえば『わが秘密』は三度にわたり改訂が施されているという説が現在の研究の大筋の合意であり、筆致の確かさというのは、その点も考慮に入れる必要があるでしょう。

とはいえそもそも自らの苦悩と向き合った書をこんな作品仕立てにするというのが、バージンは気に入らないのでしょう。

バージンは、ペトラルカの心の悲しみを真実に描き出しているのは彼の詩であると言います。

 

要するに、バージンは『わが秘密』には自意識過剰と作為、また傲慢さを感じているようです。

確かに、常識的に考えれば、自らの心の悩みを偉人のそれと一致させるのは、独りよがりもいいところです。

また『わが秘密』でフランチスクスが名誉欲を糾弾されている箇所でも、自らの叙事詩『アフリカ』をあたかもウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』と一致させるような語り口をしています。

また『わが秘密』を読めば分かりますが、ペトラルカは大衆蔑視が激しく、実際第二巻の対話では自身の傲慢の罪をアウグスティヌスに追及させている等々、傲慢なところを挙げだせばきりがないような人物です。

 

そして、バージンは「公開意図がないとペトラルカが言ったのは偽証である」と結論付けます(!)

 

こんな調子で、どういうわけかペトラルカの言葉、特に自伝的な内容に関する言葉は、研究者からはあまり信用されず、信じる方がその根拠を提出しなければならないことが多いのです(笑)

伝記的な研究で、研究対象の本人の言葉が信用できないという、この状況。

 

学者A「ペトラルカがそう言ってるんだから、公開されなかったんだよ。」

学者B「ペトラルカの言葉が信用できるというなら、その根拠を出せ!」

 

みたいな(笑) これはひとえにペトラルカのせいです。余計な手間かけさせやがって!

 

ペトラルカの言葉を信用する研究者

さて、バージンさんは、『わが秘密』の公開意図について、かなり辛辣な言葉で疑義を投げかけました。

 

これに対して、ハンス・バロン(Hans Baron)という研究者は、ある程度ペトラルカの言葉を信用してもよさそうだと主張します。

決定的な証拠がない以上、確実なことは当然わからないが、と断った上で、バロンはペトラルカがこの作品の内容について親しい友人にも話さなかったことを立証し、ペトラルカの序文の言葉を信じるべきだと主張しています。

 

どうやって立証したかというと、ペトラルカは手紙魔でして、自分の書いた手紙をずっと保管してて、それを「書簡集」の形で公にしているのです。

ペトラルカの主著といえば『俗語断片詩集カンツォニエーレ』を浮かべると思いますが、分量的には『書簡集』のほうが遥かに大部の作品であり、ある意味においては各書簡集こそがペトラルカの主著であるとも言えます。

ペトラルカの書簡集の翻訳も、岩波文庫で読めます。どちらもかなりおもしろいです。

 

さて、バロンさんは、その大部の書簡集等を検討した結果、『わが秘密』という作品を書いているという報告は友人になされても、内容までは口にしなかったということが分かったと言っています。

要するに、ペトラルカの書簡を全部ひっくり返して、『わが秘密』について事細かに語ったような手紙は一切ないので、公開しなかったと言ってるのを信じてあげようよ、とバロンさんは結論しています。

 

結局ペトラルカに『わが秘密』の公開意図はあったのかなかったのか、ということですが、結論としては確実な証拠はないというのが現実です。分かりません。

 

ただし、どうやって調査したらいいのか、という方法はあることはあります。

すなわち、『わが秘密』の出版ルートを探るということができれば、ひとつの手がかりにはなると思います。

『わが秘密』が最初に出版・公開されたのはいつ(西暦何年)なのか。どこなのか。

『わが秘密』の出版状況(いわゆる受容史)に関する調査は、ちょっと見つけられませんでした。