ドラマ版「銀と金」10話の感想です。
第9話までで、企業御曹司である西条とのポーカー勝負が終わり、第10話からは一大コンツェルンの会長である蔵前仁との麻雀勝負に入ります。
ポーカー勝負の見どころは、「西条役」大東駿介の鬼気迫る演技でした。
第10話から始まる麻雀は、原作では「誠京麻雀」と呼ばれるものでした。
蔵前の経営する企業の名前が「誠京」だったからです。
ドラマでは「蔵前麻雀」と呼ばれています。
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ネタバレ注意:まんが原作とドラマ版との違い
ドラマ「銀と金」第10話。
まんが原作とドラマ版の違いを簡単に比較し、その後、個人的な感想や評価を加えています。
あらすじや内容を含みますので、閲覧に注意してください。
蔵前麻雀のルール説明
まんが:袋井から森田へ説明。
ドラマ:袋井から船田へ説明。
ドラマは、時間の制限があります。
説明をなるべく簡潔明快にしなければなりません。
それに急に説明が始まると、不自然に見えることもしばしば。
福本まんがの魅力の1つは、そのオリジナルなゲーム、独特なルールです。
その福本まんがのオリジナルゲームを説明するのは、制作だからすれば一苦労でしょう。
しかもドラマであれば、ポーカーや麻雀のルールを知らない人も視聴しています。
このドラマはゲームの説明を、うまく工夫しているように見えます。
西条と蔵前の麻雀対決
まんが:西条が蔵前に役満を振り込むまでの流れが詳しく説明されている。
ドラマ:西条が役満を振り込む流れがよくわからない。
原作では種銭が尽きかけている西条に、よい手が入ります。
だから、この局をなんとか上がろうと、勝負を続行します。
しかし蔵前が「白」「発」をポンして、大三元=役満の気配が濃厚になります。
そこに西条は「中」を引いてしまい、絶望。
その直後のツモが絶好のパイ。「中」を切り飛ばす決心をして、森田に「よせ!」と止められる。
こういう流れです。
原作では、このように西条の心理が克明に描かれています。
それに対してドラマは、最初から西条は「中」を抱えている。
それに蔵前が大三元であることも示唆されていません。
雀卓をよく見れば「白」と「発」を鳴いていて、大三元の気配が濃厚だということは分かります。
しかしドラマしか見てない人は、西条がなぜ「中」を切っていったのか、その理由がよくわからないでしょう。
単に自滅していったとしか思いません。
森田が「よせ!」と言った理由が、ドラマだといまいちわかりませんでした。
原作をすでに読んでいる人にはわかりますが、イマイチわかりにくいシーンになってしまいました。
ちなみにリーチをしたおっさんは、原作者の福本伸行です。
柄本明に「先生」と言われていて、このシーンが第10話の小ネタ、ギャグでした。
西条の末期
まんが:「ぐにゃ~っ」となる。別室へ案内され、蔵前が西条の父親へ連絡するよう指示を出す。
ドラマ:即刻地下室へ連行。父親への連絡なし。
まんがでは負け金の肩代わりのため、父親に連絡するよう、蔵前が指示をします。
しかしドラマでは父親に連絡するという指示はありませんでした。
ここから読み取れることは、ただ1つ。
西条はドラマでは父親から縁を切られた。勘当された、ということしかない。
前回の第9話で、負けた西条は、頭を抱えながら
「父親に言えるわけがない。」「勘当される。破滅だ。」
とつぶやいていました。
しかし、蔵前は父親に債務を肩代わりするよう指示したということは、
まんがでは森田に負けたことを父親に許してもらえたと解釈できます。
しかしドラマでは、西条はパパに許してもらえなかったのでしょう。(森田に負けたことを)
債務を払うあてのない西条が、地下室に行くというのはそういう背景がうかがえます。
ちなみにポーカー勝負の掛け金、まんがでは9億。ドラマでは7億。
ドラマの方が負けが2億も少ないのに、お父さんに勘当された西条はいささか不憫ですね。
蔵前の血圧
まんが:最高が165。最低が120。「高いですね。」「思ったより興奮しとった。」
ドラマ:具体的数値なし。「少し高いですね。」「少し興奮しとった。」
原作の方が蔵前の興奮度が高いです。
これには完全に理由があります。
それは賭け金設定の違い。
まんがでは、西条が用意した金額は26億。
一方ドラマでは、4億ほど。
そりゃ血圧も少ししか上がらないでしょう。
少し高いということはおそらく140~150程度ではないでしょうか。
ちなみに血圧を計っているのは、まんがではサングラスの黒服。
ドラマでは白衣を着た医師風の男がかかっています。
勝負は明日に延期する
まんが:困惑する森田を諭す銀二。「むしろ一晩の猶予はありがたい」と述べる巽。
ドラマ:「明日にする」と言われて、若干キレ気味の森田。
ドラマでは「蔵前が銀二との対決を待ち望んでいた」と言う会話が挿入されます。
これは原作にはないシーンです。
この会話の挿入はかなり自然で感心しました。
蔵前はずっと以前から平井銀二の脳みそが欲しかった。
だから平井銀次を自分の手元におきたい。
そのためには平井銀次とギャンブルの勝負をして勝つことが必要。
蔵前はきっと以前からギャンブル勝負を銀さんに持ちかけていたのでしょう。
それを断り続けていた銀次だが、今回ついに勝負を受けた。
その理由は、森田鉄雄という人間を手に入れたから。
前回の第9話、銀次と政治家井沢との対話で「総理になるなら今だ。自分は最後のピースをてにいれた。」というセリフがありました。
これは森田鉄雄の力を借りて「蔵前と勝負をする準備が整った」ことを示唆していたと、ここでわかります。
この辺はセリフとしてはほんの数行。時間としても10秒程度。
そのわずかなシーンによって今回の麻雀勝負のいきさつが自然に描写されています。
これはドラマの製作者に対して、素直にお見事と言いたいです。
森田のギャンブル観
まんが:深い谷を飛び越えようとする行為。
ドラマ:ビルの屋上から飛ぼうとする行為。
先ほど褒めましたが、今度はけなします。
なぜ、意味もなくちょっと変えるのでしょうかね? これはよろしくない改変。
深い谷。周りは漆黒の闇。だから先が見えない。そこを飛ぶ。
これがギャンブルだ、と森田は述べます。
それに対してドラマの森田。
ビルの屋上から、向こうのビルの屋上へ飛ぼうとする行為。それがギャンブルだ。
あのねえ、ビルの屋上では、周りは漆黒ではないじゃないか。
しかも向かい側の距離まで大体見当がついてしまう。
「飛べるかどうかわからない?」 いやビルの屋上だったら、飛べるか落ちるか、嫌でもわかっちゃう。
まんがの森田のギャンブル観のポイントは、「全く周りが見えない。なのに飛ぶ」こと。
ビルの屋上だったら、飛べるか飛べないか、大体推測が付いてしまいます。
漆黒の闇だったら、もしかしたらその谷の幅は、たった1メートルかもしれない。
それに対してビルの屋上では1メートルだったら見えちゃう。大体の距離が測れてしまう。
撮影の都合があるかもしれません。
しかし深い谷だったら、CG映像でも使っとけば良かったのでは?
わざわざビルの屋上で撮らなくても。
しかもビルのチョイスも念が入っていて、助走が利かない構造になっています。ジャンプしやすいビルを選ばないという。
100人中100人が「ごめん森田、そこのビルから向こうのビルへは、絶対飛べないよ……」と思う映像。
ちょっと違和感しかありませんね。
蔵前マージャンの供託金
まんが:500億の元手をチップで支払う。
ドラマ:チップではなく、血液モニターというスマホアプリを使う。
この辺はドラマならではの良い改変です。お金を人の血液に例える。
このアイディアは言うまでもなく「アカギ」の鷲巣麻雀ですね。
非常に面白いアイディアだと思いました。
蔵前麻雀の始まり
まんが:ナレーションのみで静かに始まる。
ドラマ:森田が「昨日から待たされてるんだ。とっとと始めよう」とイキる。
なぜ森田がこれほどミナギっているのか。
ドラマでは常に半ギレ気味な森田。
蔵前に対しても、はやる心を抑えきれず、イキっちゃいます。
森田のハネ満
まんが:南1局でツモ上がり。
ドラマ:東1局でツモ上がり。
蔵前マージャンではトップを取った人が、その半荘で蓄積された供託金を回収できます。
したがって、序盤からどんどん場代を上げたり、二度ヅモして投資する必要はありません。
金をたくさん使うタイミングは、後半戦。
自らがトップを取れる可能性があると判断した場合のみです。
そういうわけで原作では、勝負が動くのは後半という描写をしていました。
それに対してドラマでは森田が最初の東1局であっさりハネ満をツモる。
かなり速い流れの勝負になっています。
もしかしたら半荘勝負ではなく東場のみの勝負なのかもしれません。(説明は特になし。)
森田の場代アップ
まんが:南2局
ドラマ:東3局
ドラマの森田は非常に仕掛けが早いです。
これが東場のみの勝負だったらもちろんok。
しかし半荘勝負であれば、明らかに早すぎる。
安田の忠告のほうがどう考えても正しいです。
とにかくドラマの森田はイキりたがっています。
蔵前邸の地下室の様子
まんが:地下室の囚人たちの生活の説明や描写が主。
ドラマ:囚人たちの表情や精神変化の説明や描写が主。
ドラマでは囚人たちが、うめきまくっています。
しかも、セリフも結構オリジナル。柄本明は言います。
- 「見ろ、あの真っ黒な、何も見ていない眼を。」
- 「意志のない土人形こそ、人間の本質だ。」
- 「喜びも悲しみも一瞬のきらめき。切ないものだ。」
- 「そのはかない意志にすがりつく様は、実に人間的だ。」
- 「私はね、人間が好きなんですよ。」
この脚本、このセリフは個人的には素晴らしいと思います。
意志のない眼。役者もいい眼をしています。
しかも、蔵前の「自分は人間好きである」というセリフ。
非人間的な所業をする蔵前に言わせるセリフとして、見事な逆説。完ぺき。
マルキ・ド・サドの文学を彷彿とさせます。
イっちゃってる西条
まんが:描写なし。西条は地下室に行っていない。
ドラマ:薬でも打たれて、ふにゃふにゃになってる。
まあわかりますよ。いかれ西条を撮りたい気持ちは。大東駿介の演技が素晴らしかっただけに。
しかし、地下室収容の翌日から精神崩壊するわけにもいかない。
「じゃあ薬打ったってことにしておくか……」という考えでしょうかね。
しかし蔵前は、地下に閉じ込められた人間の精神が段々と崩壊する、その過程を楽しんでいます。
薬打ったら、最初から精神崩壊しちゃっています。これはアウト。
じゃあどうしたらいいかって?
西条にはそのまま「出せ~!」とか言わせておけばいい。狂わせなくていい。
そして蔵前が「彼は今は元気だ。しかしここでの生活を続けていると、段々と壊れていく。その過程を見るのは愉悦……」
とか言っておけば十分でしょう。
まとめ 蔵前仁=柄本明というキャスティングは最高
今回も、非常におもしろかったと思います。
福本伸行が、ちょっとしか出なかったのは少々残念です。
しかし、蔵前仁役に「柄本明」を使用したのは、良いキャスティングと思います。
原作の蔵前は、物の怪。妖怪と描写されています。威厳はゼロ。
蔵前と柄本明のタイプは全然違います。
しかし柄本明に特有の「妖怪感と威厳のなさ」が、奇妙に蔵前のイメージと合致します。
不満点はいくつかあるにせよ、主な不満は、蔵前麻雀に対する描写です。
これは放映時間が決まっているドラマでは、如何ともしがたい面があるでしょう。
それ以外の、
- 蔵前と銀二のちょっとした対話。
- 「人間好き」蔵前というオリジナル脚本と設定。
といった部分は、素晴らしい改変だったと思います。
もうすぐ終わりですが、次回も期待できそうです。