早川殿の性格と生涯。結婚のエピソード。美人でかわいいのは本当?




あなたは、北条氏康の娘である早川殿をご存知でしょうか?

戦国大名・今川氏真の正室となった女性です。

ゲーム「戦国無双」で可愛いキャラクターとして登場していたことから早川殿を知ったという方も多いのではないでしょうか。

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」にも早川殿は登場し、女優の西原亜希さんが早川殿を演じられました。

北条氏康の娘であった早川殿は一体どのような人物であったのでしょう。

今回は、そんな早川殿の

  • 生涯
  • 性格
  • 結婚
  • 美人とされる容姿

 

についてご紹介いたします。

これを読めば、早川殿の生涯や、性格、結婚相手や容姿について知ることができますよ。

 

早川殿の生い立ちとは?

早川殿の出生年や母親は明確には分かっていません。

しかし、現時点では、戦国大名の北条氏康と今川氏親の娘・瑞渓院の間に誕生した子供とされています。

兄には北条氏政がいました。

早川殿の出生年に関して

  • 長谷川幸一さんは、天文15年(1546年)以降の生まれと推測
  • 黒田基樹さんは、天文16-17年頃の生まれと推測

 

このように、推測されています。

 

早川殿の生涯と結婚相手の夫

後北条氏はもともと駿河の今川氏と

  • 後北条氏の祖である北条早雲の姉・北川殿が今川義忠の正室であった
  • 北川殿と今川義忠の息子・今川氏親は北条早雲の家臣を務めていた

 

この2つのことから、駿相同盟を結んでいました。

しかし、天文6年(1537年)に今川義忠の息子・今川義元は、北条氏と対立関係であった甲斐の武田氏と駿甲同盟を結んでしまいます。

このことに、北条氏は怒り、今川氏と対立関係となるのでした。

その後、北条氏と今川氏は約10年もの間、争いを続けます。(河東の乱

長く続いた、北条氏と今川氏の対立でしたが、天文23年(1554年)に

  • 甲斐国の武田氏
  • 相模小田原の北条氏
  • 駿河府中の今川氏

 

この間で甲相駿三国同盟が結ばれます。

 

今川氏真と結婚する

この際、早川殿は、甲相駿三国同盟の婚姻政策として天文23年(1554年)7月に今川義元の嫡子であった今川氏真に政略結婚として嫁入りしました。

この時、今川氏真は17歳、早川殿は8歳から10歳とされています。

  • こうして、今川氏真の正室となった早川殿ですが、その婚礼儀式の記録はあまり残されていません。
  • しかし、『勝山記』には北条家から供奉した家臣が煌めく武具を身に着け婚姻行列をなし、多くに見物人が集まったとされ、
  • 早川殿の受け渡しは三島で行われ、天気も恵まれていたと記されています。

 

永禄10年(1567年)頃、早川殿は第1子となる娘を生みます。

この娘は後に徳川の家臣である吉良義定に嫁ぐこととなります。

 

永禄11年(1568年)12月、甲斐国の武田信玄が駿河侵攻を行います。

駿河にいた早川殿と夫の今川氏真は遠江国掛川城へと逃れました

この逃亡の際、早川殿の保護を武田氏が怠ったために、早川殿は歩いて遠江国掛川城へと向かいます。

  • このことに、娘を歩かせ遠江国掛川城に向かわせるなんて!と怒った、早川殿の父・北条氏康はなんと武田氏との同盟関係を破棄しました。
  • そして、長年の宿敵であった上杉謙信と越相同盟を結び、今川氏の援助のため駿河へと出陣します。
  • こうして翌年の5月に今川家と北条家、徳川家との間で和睦が成立したため、早川殿と夫・今川氏真のいた遠江国掛川城は開城となりました。

 

その後、早川殿と夫・今川氏真、その娘は北条家のもとで保護されます。

  • 戦いの後、今川家臣たちは北条家の指揮下に入り、早川殿の甥・国王丸が養子として迎えられました。
  • 早川殿と夫、娘は、駿東郡東南端の大平郷に大平城を築き、大平城を拠点とします。
  • しかし、元亀元年(1570年)4月には小田原近郊の早川郷に移ったとされています。

 

この早川郷の名前にちなんで、「早川殿」と呼ばれるようになりました。

この年には、第2子である長男の今川範以が誕生します。

元亀2年(1571年)10月、父・北条氏康が亡くなると、一度、破棄となっていた甲相同盟が復活します。

 

徳川家康の庇護下に入る

父が亡くなった後、早川殿と夫・今川氏真、その子供たちは明確な時期は分かっていませんが、徳川家康によって保護されることとなります。

天正元年(1573年)8月に、徳川家康の庇護下に入った記録が残されているため、それまでには保護されていたようです。

その後、

  • 天正4年(1576年)第3子である次男・品川高久、第4子となる三男・西尾安信
  • 天正7年(1579年)第5子である四男・澄存

 

が誕生します。

 

天正18年(1590年)早川殿の実家である北条氏が滅亡し、徳川が関東へと移ったのを機に、

早川殿と夫、子供たちは京都へと移り住みました。

 

慶長12年(1607年)11月、長男である範以が亡くなると、慶長17年(1612年)には江戸へと移り住みます。

 

慶長18年(1613年)2月15日、江戸へと移った翌年、夫を残して早川殿は亡くなりました。

甲相駿三国同盟の婚姻政策で、婚姻関係となった

  • 今川義元の娘・嶺松院と武田信玄の子・武田義信
  • 武田信玄の娘・黄梅院と北条氏康の子・北条氏政
  • 北条氏康の娘・早川殿と今川義元の子・今川氏真

 

この3組のうち、離別とならなかったのは早川殿と今川氏真だけでした。

 

【エピソード】早川殿の性格が分かる逸話

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早川殿は甲相駿三国同盟の婚姻政策として、今川氏真と結婚します。

つまり、攻略結婚ということです。

当時、全く知らない相手と結婚させられるのは当たり前の時代でした。

早川殿は、今川氏真との間には

  • 第1子となる長女
  • 第2子となる長男・今川範以
  • 第3子となる次男・品川高久
  • 第4子となる三男・西尾安信
  • 第5子となる四男・澄存

 

5人の子供が誕生します。

また甲相駿三国同盟の婚姻政策で、婚姻関係となった3組のうち早川夫妻は唯一、離別しなかった夫婦でした。

  • このことから、早川殿と夫の今川氏真は攻略結婚でありながらも、とても仲の良い夫婦であったことが分かります。
  • また『校訂松平記』には北条氏政と武田信玄が同盟を結んだ際、武田信玄は夫の今川氏真の討伐のため数人の家臣を小田原へと向かわせたとされています。
  • 夫の命が狙われていることを知った、早川殿は小田原にいた譜代達に船を造らせ、夫・今川氏真と共に、小田原から逃げた。という記されています。

 

この話の明確な史料は残されていませんが、このことから、早川殿は夫思いの優しい妻であったことがわかりますね。

ちなみに夫の今川氏真は、和歌や蹴鞠などを好む文化人でしたが、政治的評価はなされず、娯楽に溺れたため今川家を滅ぼした。とされる人物でした。

そんなダメ夫に死ぬまで、寄り添う早川殿は本当に心優しい人物であったのですね。

 

【史実】早川殿は美人でかわいいのは本当?

早川殿の容姿について調べてみましたが、残念ながら、早川殿の容姿についての記録は残されていませんでした。

肖像画に早川殿は描かれていますが、美人であったかは分かりません。

甲斐姫や茶々、お市の方のように、戦国一の美女であった。という記録は残されていないので、容姿は美人でもなければ、極端にブサイクであったようではないです。

 

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まとめ 早川殿はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

以上、早川殿の生涯や結婚相手、性格や容姿についてのご紹介でした。

早川殿について簡単にまとめると

  • 北条氏康の娘として誕生
  • 甲相駿三国同盟の婚姻政策で今川氏真と結婚
  • 5人の子供を授かる
  • 夫・今川氏真は文化人だった
  • 夫・今川氏真との仲は良好だった
  • 容姿は美人でもなければ極端にブサイクでもない

 

早川殿は文化人であった夫・今川氏真に最後まで寄り添った女性でした。

そんな文化人で、今川家を滅ぼした男。とされるに寄り添った早川殿の容姿が気になりますね。

早川殿が登場する作品として有名なのはNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」です。

この作品では

  • 早川殿を西原亜希さん
  • 今川氏真を尾上松也さん
  • 今川義元を春風亭昇太さん

 

が演じられました。

これを機に、早川殿につて興味を持った方はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を見てみてください。

以上「早川殿の性格と生涯、結婚のエピソードや容姿」についてのご紹介でした。

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