竹中半兵衛の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い




あなたは竹中半兵衛をご存知でしょうか。

軍師であった黒田官兵衛と名前が似ている。と感じた方も多いでしょう。

  • 竹中半兵衛も黒田官兵衛と同様に軍師であった人物です。
  • 竹中半兵衛は軍師でありながらも体は弱く、女性のような見た目であったとされています。
  • NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」にはそんな女性のような見た目であった竹中半兵衛を谷原章介さんが演じられました。

 

では一体、竹中半兵衛とはどのような人物であったのでしょうか。

今回は竹中半兵衛の

  • 生い立ち
  • 経歴
  • 逸話から分かる性格

 

この3つについてご紹介いたします。

これを読めば、竹中半兵衛がどのような生涯を送っていたのか、経歴や性格などが分かりますよ。

 

 

竹中半兵衛の生い立ちとは?

天文13年(1544年)竹中半兵衛は美濃国大野郡(現在の岐阜県)にある大御堂城の城主・竹中重元の息子として誕生します。

当時、父・竹中重元は美濃斎藤氏の家臣でした。

 

永禄元年(1558年)父・竹中重元が不破郡の岩手城主・岩手弾正を攻略すると、翌年、菩提山城を築いて菩提山城を居城とします。

この時、15歳であった半兵衛も父と共に居城を移しました。

 

永禄3年(1560年)父・竹中重元が死去、又は隠居すると、半兵衛は竹中家の家督を継ぐこととなります。

こうして居城であった菩提山の城主となり、父と同じく美濃国の国主・斎藤義龍に仕えます。

 

その後、永禄4年(1561年)に斎藤義龍が亡くなると、息子であった斎藤龍興に仕えました。

 

竹中半兵衛の経歴や強さは?

この頃、尾張の織田信長によって美濃侵攻が繰り返されていました。

半兵衛が初めに仕えていた斎藤義龍はこの織田信長の侵攻をうまく防衛していましたが、

斎藤義龍が亡くなり後を継いだ斎藤龍興は織田軍の侵攻を防衛することが困難となります。

 

永禄4年(1561年)7月、永禄6年(1563年)織田軍は幾度も美濃国へと侵攻するも、半兵衛の戦術によって斎藤軍は勝利したとされています。

このような状況の中、主君の斎藤龍興は政治に興味を示さず、酒に溺れる日々を送っていました。

また一部の側近しか寵愛せず斎藤氏の有力家臣で西美濃三人衆と呼ばれる

  • 稲葉良通
  • 安藤守就
  • 氏家直元

 

と半兵衛を政務から遠ざけるようになります。

 

稲葉山城を乗っ取る

このようなこともあり、また半兵衛の女性のような見た目を侮辱されたことから、

永禄7年(1564年)2月6日、斎藤龍興の居城である稲葉山城を襲撃し、齋藤飛騨守ら6名を殺害しました。

  • 簡単に言えば、半兵衛は主君・斎藤龍興の居城を乗っ取った訳です。
  • この襲撃の際、半兵衛は稲葉山城にいる弟・重矩が病気になったと聞き、看病に訪れたと称して城内へ入ったとされています。
  • 武器などは小さな箱にしまっていたようで、齋藤飛騨守ら6名の殺害に至りました。

 

これによって斎藤龍興は逃亡します。

 

しかし、同年8月には斎藤龍興は稲葉山城を奪還したとされています。

  • 半年もの戦闘が続き、斎藤龍興を支持する勢力によって攻撃され稲葉山城を奪われたためでした。
  • その後、稲葉山城は信長によって占拠されることとなり、永禄10年(1567年)に信長のよって斎藤氏は滅亡となります。
  • 主君を失い浪人となった半兵衛を信長は家臣としたいと考え、豊臣秀吉に半兵衛の勧誘を命じました。

 

半兵衛はこの時、秀吉の優れた能力に気づき、信長の家臣になるのではなく秀吉の家臣になることを理由として勧誘の承諾をしたとされています。

 

秀吉の家臣となる

その後、信長が義弟である浅井長政と対立すると、半兵衛は浅井家の家臣団との間にあった人脈を利用して

  • 元亀元年(1570年)に浅井家の家臣を織田軍へと寝返らすことに成功します。
  • 同年に起きた織田信長と浅井長政の対立である姉川の戦いにおいても半兵衛は安藤守就の部隊に参加します。
  • 織田軍が勝利を飾った姉川の戦い後、信長に横山城に秀吉と残るように命じられました。

 

その後、秀吉が信長に毛利輝元の勢力圏であった中国地方を侵攻する中国征伐の総大将に命じられると、半兵衛も秀吉と共に中国征伐に参加します。

この中国征伐において備前八幡山城の城主を調略すると備前八幡山城は落城となり、半兵衛は功績を称えられ、信長から銀子100両が与えられました。

 

荒木村重の謀反

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同年、信長の家臣であった荒木村重が信長に対して謀反を行います。

  • 謀反を起こした荒木村重の居城である有岡城に秀吉の幕僚であった黒田官兵衛は説得に向かうも、城内で捕らえられることとなりました。
  • 信長は黒田官兵衛が荒木村重に加担したのではと思い込み、黒田官兵衛の嫡男・松寿丸の殺害を秀吉に命じます。
  • このことを不憫に感じた半兵衛は、秀吉に松寿丸ではない人物の首を信長に提出させ松寿丸の命を救うことができました。

 

その後、救われた松寿丸は自身の領地内にある家臣・不破矢足の屋敷に匿わせたとされています。

 

天正7年(1579年)4月、もともと体の弱かった半兵衛は三木合戦中に結核に苦しみ6月22日に36歳で死去しました。

竹中半兵衛は黒田官兵衛とともに、天才軍師とされる人物です。

しかし、竹中半兵衛についての明確な史料はあまり残されておらず、天才軍師であったかどうかは分かりません。

ですが、

  • 姉川の戦いにおいて浅井氏から織田軍へと家臣を寝返らせる
  • 黒田官兵衛の息子を救う
  • 半兵衛亡き後行われた三木城の攻略において半兵衛が提案した無血開城戦法である兵糧攻めが行われる

 

など多くの場面で、半兵衛は活躍しました。

 

【エピソード】竹中半兵衛の人柄や性格が分かる逸話

では、竹中半兵衛は一体どのような人柄であったのでしょうか。

半兵衛は『太閤記』、『常山紀談』によると体は細く、見た目は女性のようだったと残されています。

  • ですが肖像画を見てみると、あまり女性には見えません。
  • 体も弱く出陣した際も、ただ馬に乗っているだけだったようで、あまり騒ぐような人物でなく寡黙な人物であった様です。
  • そんな半兵衛を主君であった斎藤龍興と、その家臣たちから女性みたいだと。侮辱され、なんと斎藤龍興の家臣からは小便をかけられました

 

しかし、どんなに侮辱されても半兵衛はこの時、言い返すこともなく、ただ無言を貫いたとされています。

本当に大人しい性格だったのですね。

  • ところが、その数日後に半兵衛が主君・斎藤龍興の居城であった稲葉山城を襲撃しています。
  • 襲撃理由は主君・斎藤龍興が酒に溺れ政治活動をしなかったので愚行を戒めるために襲撃した
  • といった理由があげられていますが、主君・斎藤龍興や、その家臣から受けた侮辱を晴らすために襲撃したとも推測されます。

 

普段、大人しい人を怒らせると怖い。なんて現代においてよく言われますが、その典型的な例が、この半兵衛の稲葉山城襲撃事件なのではいでしょうか。

また半兵衛は少年の頃から読書をするのが大好きであり、中国の軍師である張良や諸葛孔明の兵法書を読んでいたとされています。

この兵法書から野戦攻城技術を学んだとされ、半兵衛が勤勉であったことが分かります。

 

  • 半兵衛は結核に苦しみ、天正7年(1579年)4月に陣中で亡くなりますが、心配した秀吉は京都で療養するよう半兵衛に言います。
  • しかし、半兵衛は「陣中で死ぬこそ武士の本望」といって療養を断り亡くなりました。
  • 大人しい性格でありながらも、戦術をしっかり学び、最期は武士として陣中で亡くなる。

 

とってもかっこいい最期ですよね。

 

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まとめ 竹中半兵衛はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

以上、竹中半兵衛の生涯や、経歴、逸話から分かる性格のご紹介でした。

竹中半兵衛について簡単にまとめると

  • 斎藤龍興を主君に仕えるも、女性のような見た目から斎藤龍興や家臣たちからいじめられる
  • その侮辱を晴らすため稲葉山城を襲撃、斎藤龍興の家臣を殺害
  • 織田信長、豊臣秀吉に仕える
  • 黒田官兵衛の息子を救出する
  • 結核で陣中にて亡くなる
  • 女性のような見た目で体は弱かった
  • 読書が好きだった

 

大人しい性格ながらも、半兵衛は侮辱を晴らすため主君の居城を襲い、信長、秀吉の家臣となり陣中で亡くなった魅力的な人物でした。

そんな竹中半兵衛が登場する有名な作品は

  • NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」

 

です。

このドラマで、黒田官兵衛を岡田准一さん、竹中半兵衛を谷原章介さんが演じられました。

また

  • テレビ東京「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」

 

では山本耕史さんが半兵衛役を演じられています。

どちらも、カッコいい俳優さんです、女性のように見えなくもないですね…。

これを機に竹中半兵衛に興味を持った方はNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」、

テレビ東京「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」を見てみてください。

以上「竹中半兵衛の性格と経歴、生い立ちや面白いエピソード」のご紹介でした。

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