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高等遊民の有料noteの紹介

 

noteにて、哲学の勉強法を公開しています。

 

現在は1つのノートと1つのマガジン。

 

1.【高等遊民の哲学入門】哲学初心者が挫折なしに大学2年分の知識を身につける5つの手順
 
2. 【マガジン】プラトン『国家』の要約(全10冊)

 

1は「哲学に興味があって勉強したい。でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。
 
5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。
 
3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。
 
3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。
 
ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。

かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。

音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。

 

2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます
 
 

\無料試し読み部分たっぷり/

38 件のコメント

  • 何でもといってもアレなので、わたしの最近読んでいる本をいくつか挙げてみます
    ・夏目漱石『こころ』
    これは、何年ぶりでしょうね。大学生以来なので、きっと10年くらい経ってるかもしれません。
    非常におもしろかったです。おもしろすぎて、わたしのブログとしても、9記事くらい書いてしまいました。
    『こころ』の先生は、高等遊民の代表ですね。Kは、ちょっと求道者的な精神が強いです。大学生のころのわたしは、Kに共感を持つようなタイプでした。
    三島由紀夫なんかも、恋愛で心中するのが美しいみたいな話、ずっとしてますよね。
    なんだっけな。『反貞女大学』(ちくま文庫)などで、そんな話がありますよ。
    そういえば、わたしの大学時代の友人で、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を失恋後に読んで、自らも本気で自害を考えたというつわものがいます。
    こんなとりとめのない雑談で結構です。
    ぜひ、あなたの日ごろの何か思っていることを、つらつらと語ってくださればと思います。

    • こんにちは。いきなりですが、今日「自分を愛せないものに人を愛する資格はない」のような言葉を見かけました。それが心に引っかかって。。独り言を聞いて頂きたくて、やってきました
      確かに、自分を十分に愛せていないと、どんなに頑張ってもきっと愛する人や愛してくれる人を傷つけてしまうと思います。でも、「だから資格がない」と言って仕舞えば、その人は独りで自身の癒しに取り組むか、さもなければ傷は放置されたままですよね?自分を愛せないのは、その人に非がある訳じゃないと思います。ただ、人一倍傷ついている。(この世に生を受けながら傷ついてない人なんていないと思うけど)
      資格はない=だから、たとえ愛する人がいても心のうちにしまっておく、という事なら異議を唱えたくて。マスターや皆さんはどう思われますか?

      • 愛情は自然に湧いてくるものなので、資格など必要ないと思います。自分も面と向かってそう言われたら、angelicaさんと同じような気持ちになると思います。
        その一方で行間を読んでみると、その言葉を発した方は、結局自分のことが好きな自分を肯定したいだけなのかもしれないですね。更に言い換えれば、そういう自分が否定されたり、その方自身が、自分のことを愛せなくなってしまうことが怖いのかもしれないという想像も出来て、もしそうなら少し同情したくなる気持ちも湧いてきますね。
        結局その格言?の意義は、『同感できるかできないか』これに尽きると思います。

        PS この掲示板、とても素敵なアイデアだと思いますマスター(^^)

        • Rさん、ご返信ありがとうございます!
          独りで煮詰まっていたので、ご意見聞いて安心しました♡(今後はリアルでこんな会話が出来る環境を作っていきたいな〜♫ )感謝♡

        • 良いアイデアとのご評価、ありがとうございます!
          「自分のことが好きな自分を肯定したいだけ」
          こちらはどういうことですか?
          自分のことを愛せない人は、自分のことが嫌いではないかな~と思ってました。
          まあ、わたしも「自己を愛さない自己を愛しているんだ」と言ってますが!
          同じような意味ですかね~。

          • わかりづらくてすみません。自己嫌悪している人の立場ではなく、『自分を愛せない人は人を愛する資格なし』という言葉を発する側の人について言及してみました。その言葉の裏には、実は『私は自分のことが好きだから、皆そうあるべきだよ。』って自分の願望を述べて、予防線を張っているに過ぎず、言葉の持つ印象とは違い、自己嫌悪に陥った人を否定し傷付ける意図は、あまりないのではないかと思ったのです。その言葉の是非はともかく、そういう願望を抱くこと自体については、誰もがもつ普遍的な物のような気がしたので、前述のようにコメント致しました。あくまでその言葉に対する捉え方の1つを述べてみたつもりです。

            • 返信ありがとうございます。
              『自分を愛せない人は人を愛する資格なし』という言葉を発する側の人について
              あ、なるほどです。予防線、たしかにそうですね。
              たしかに、こんなことを言い出した人は、批判されてしかるべきです!!(笑)
              自由な視点からのご意見で、素晴らしいと思います。

      • マスターってわたしのことですかねw
        スターウォーズのジェダイのようで、非常にうれしい呼び方でありがとうございます。
        「自分を愛せないものに人を愛する資格はない」
        このような格言や名言的なものは、抽象化されていますよね。
        なので、いったん具体的な状況に落としてから、判断すると、色んな考え方が出てきます。
        たしかに、「自分を愛さないと、人を愛してはならない」これがただしいなら、
        「自分を愛せない人間はどうすればいいの?」
        と感じるのは、もっともです。わたしも賛成です。マスターキートンにもそんな話出てくる気がします。
        「自分を愛せないのは、その人に非がある訳じゃない」
        これもなるほどです。愛によって癒される~なんてこともありますね。
        で、わたしの考えですが。
        わたしの考えというより、古代哲学的な考えをすると
        「自分を愛せない人間など存在しない」
        「人間は自己愛に満ちた存在だ」と考えます。
        ソクラテス(プラトン)は「わかっちゃいるけどやめられない」みたいな心理を否定するんです。
        たとえば「自己を愛さないことで、何らかの善や得を獲得できる」そうおもってるんだ、と。
        言い換えると「自己を愛さない自己を愛しているんだ」みたいな話になります。
        パスカルも言います「人間は誰しもが自己の幸福を求めている。自ら命を絶つ人をも含めて」と。それほど人間の自己愛は強いものです。
        何が言いたいかというと、「自分を愛していない人間なんか存在しない」だから「他人を愛する資格のない人はいない」と私は思います。
        ぜひ、これをご覧の皆様も、思うところをつらつらと教えてくださればと存じます。

        • マスター、ありがとうございます♡
          「自分を愛してない人間なんか存在しない」「他人を愛する資格のない人はいない」
          今見ると至極当たり前の事に思えますが、最初に読んだときは 存在そのもの、大前提が肯定された様に感じて、なんだかホッとしました。本当に、誰かとの対話があると違いますね。人との交流がこんなにも嬉しいものとは、、気軽に書ける場と雰囲気を作ってくださって♡謝謝♡(╹◡╹)

          • よかったです。自分で文章として書いてみるだけでも、違いますよね。
            それで、みなさまもご意見ご感想くださって、ありがとうございます。
            これからも、ぜひ、気楽になんでも書き込んでくださいませ。

        • はじめまして。愛についての話題だったので少し紹介したい本があります。
          「愛するということ」著エーリッヒ・フロムです。
          エーリッヒ曰く「愛する」というのは、誰もが簡単にひたれるような感情ではなく努力して身に付ける技術だそうです。今までこのような考え方は、あまりしたことがなかったのでかなり新鮮でした。
          自己の愛については、自分自身を愛するということと他人を愛するということは不可分の関係にあるとあります。また一人の人間を愛するということは、人間そのものを愛することでもあるともあります。
          つまり、資格云々ではなくて「私も他人と同じように愛するし、他人も私と同じように愛する」のような双方向であるのが愛なのかと思います。
          私自身は、自己を愛するのが苦手だと主観的に思っているので、この段階には至ってないですが・・・。

          • 手羽先さんはじめまして。マスター高等遊民です。
            フロムはたしか、愛をいくつかの段階あるいは状態に分類してましたよね。
            で、愛するには努力が必要だと。以前、本棚にあったので、まだあるかもしれないです。
            たしかに、新鮮でドキッとする内容ですよね。
            「自分と他人を等しく愛する」
            これできたら、神です。神の領域です。
            なのでそれを愛と定義してしまうと、愛は成立しえないと思います。
            自己愛というものは、あまりにも大きい。不当なほどに大きいです。
            自己を愛するのが苦手って、どういう感情なんですか?
            わたしにはよくわかりません。ぜひたとえばこういうこと、と教えてくださればと存じます。

            • 横から失礼致します。『自分を愛せない感情』についてですが、『世俗的な意味における愛(この場合自己愛)のイメージに適応できずに葛藤すること』を、一般的に『愛せない』と述べているだけなのではないかと思います。
              愛を音楽で例えると、『周りは皆JPOPを聴いてるのに、なぜ私はデスメタルなんだろう。その周りの人達はデスメタルを雑音と見なし、音楽として見ていない。でも私はデスメタルしか聴けない』みたいな感じでしょうか笑(わかりづらかったらすみません)

              マスターが仰った『自分を愛せない人はいない』ということや、『自殺者も自己愛がある』ということ、自己愛というものの強さについては同感です。

              • お二人共ありがとうございます。手羽先です。
                自分を甘やかすという観点では、確かに自己を愛していると思います。しかし自分を慈しむ、ほめてあげるといったことがあまりうまくできないのでこの意味で自己が愛せないと表現しました。自分の中では、自分を慈しむ割合より貶したり嫌悪する感情のほうが多いように感じられます。

                Rさんの『世俗的な意味〜に葛藤すること』とは、ハッキリと言えませんが少し違うような気がします。
                正直なところ、このようことはいつも頭のだけでグルグル考えているだけなので自分でも少しあやふやです。
                追記
                みなさんも書かれておりますが、普段しない話題について語り合えるというのは楽しいですね。素敵な場だと思います。

                • 自己嫌悪、わたしもよく陥ってました。最近、ようやく抜け出しました。
                  特に、学生時代と、労働時代には自己嫌悪が大きかったです。
                  高等遊民になって、束縛されない自由を得ましたが、それ以上に精神的な自由を得られたのが大きいなあと実感しております。。
                  わたしが役に立った本はペトラルカ『わが秘密』という本ですね。岩波文庫です。
                  このペトラルカという男、自己を破滅させることにかけては天才的、と自身を評しております。
                  自己嫌悪・自己分析のさいには、どんな心理療法の本よりも役に立つのではないかな~と思っています。

    • いくつか、とか言って、『こころ』しかあげてないじゃないか……。
      あとは、きのう、amazonプライムで、ドラえもんの『夢幻三剣士』観ました。
      なかなかおもしろかったです。好きな夢が見られる道具で、そこで冒険するという話です。
      現実と夢が入れ替わっちゃうみたいな主題もあったのですが、そこは深くは追いかけてはないですね。
      チンカラホイで有名な『魔界大冒険』はたしか現実世界と魔界が入り混じって、めちゃくちゃになる、みたいな話があって、相当奥深い物語になりました。
      夢幻三剣士では、暗示だけはありましたが、じっさいに夢と現実が混ざり合うことはなかったですね。
      でもラストシーンを筆頭に、謎を仕込んでいたのがおもしろかったですね。
      ブログでもちょっと書いてみたいなとも思いつつ、いまさら夢幻三剣士なんか書いて誰が読むんだよ、という思いもあります。日本誕生や雲の王国みたいに、リメイクされればいいんですけどね。
      本じゃなくてドラえもん映画になってすみません。
      こんな返事に困るような、「あ~、そうですか……(真顔)」みたいなリアクションしかできないような雑談をどうぞお気軽にお寄せください。

  • 明治大正期の文豪の作品をよみたいのですが、おすすめの作家や文庫などありますか?
    よろしくお願いいたします。

    • はじめまして。夏目漱石『こころ』や『それから』じゃダメですか(笑)
      めっちゃおもしろいですよ。

  • 「自分を愛せない者には人を愛する資格がない」というのは確かに暴論かと思いますが、個人的には、見方を変えるとそれなりに含蓄のある言葉であるような気もします。
    というのも、個人の人生というのはまずもってその人自身のために捧げられるべきであって、他人のためを思って行動するのは二の次で良いと僕は考えていて、したがって、自分のことを愛せていない人はまず自分を愛せるようになったほうが良いと思っているからです。だから、「自分を愛せない者には人を愛する資格がない」というよりも、「人を愛するのは自分を愛せるようになってからでいい」というふうに言い換えれば好い言葉になるのかなと。とはいえ、他人を愛する経験によって自分を愛せるようになったりもするので、順番はどうでも良いとも思いますが。

    あるいは、ちょっと皮肉な見方をするのであれば、愛するというのは多分に寛容になるということを含んでいると思います。愛している人の行いには誰しも大らかでいられますよね。それで、自分を愛せていないということは自分に寛容になれていないということ。自分の行いを許せない人が、他人の行いを許すのは難しいように思います。自分に厳しく他人に甘いという人を僕はほとんど見たことがありません。

    いずれにせよ、たしかに「人を愛する」ということは手羽先さんが紹介してくださったフロムが言うように、私たちが普段思っている以上に困難なことなのだろうと思います。だからこそ、「人を愛するという困難なことにあえて挑戦するのは、自分を愛することで訓練をした後で」というふうに考えれば、ある程度真理を表現している言葉なのかもしれません。もちろん、実際問題として「自分を愛せていない」と感じるからといって、好きな人のことを諦めなければいけないなどということはまったくもってばかばかしい意見だということも付け加えておかせてください。

    ここはとても好い場所ですね。これからもいろいろと面白くて、基本的には役に立たなくて、でもたまに役に立ったりするような議論をしたいものです。

    • 私がうまく言語化できなかったことを書いて下さったのかと思うほど、共感しました。「人を愛することによって自分を愛せるようになる」私はこれを選びたいです。いえ、「愛し、愛されることによって」(╹◡╹)♡
      きっと二人で取り組むなら手取り早い し、
      愛する人が現れるのなら、その準備が出来ているという事ではないでしょうか。
      ただ、「愛」という言葉はあまりにも大きくて、人それぞれ概念が異なると思うので、共通の認識を持つ相手とじゃないと建設的な関係を 続けるのは難しいのかな、とも思います。(勿論、それがどんな方向に行こうとも学びには違いないのでしょうが)
      ・・自身はなぜか昔から「愛とは感情ではなく、愛するという意思だ」と強く思い込んでいました。(未だその意思を正しく発揮できた事はありませんが。。)

      きっとこの先、私達の愛についての意識、認識が洗練されていくと、愛を表現する言葉が増えるのでしょうね。ちょうど「雨」を様々に表現するのと同じに♡

      • 共感していただいて嬉しいです。ありがとうございます。
        「愛する人が現れるのなら、その準備が出来ているという事」というのは、その通りだと僕も思います。よく恋と愛の違いについて語られますが、この文脈で差異化するのであれば、恋とは個人の心に発現するもので、愛とは個人と他者(愛し合う者同士)の「あいだ」に現象するものなのだと言えるかもしれません。
        そういう意味で、愛する人が現れたのであれば、それはその人と一緒に「愛」を現象させていく機会がやってきたということを意味していると解釈できると思います。僕は基本的に「運命」のようなものは信じない質ですが(「信じられない」といったほうが正確かもしれません)、それでも「運命」という概念を用いて自分の人生を切り拓いていくということは可能だと考えています。愛する人の出現を、自分が自分自身を愛せるように、相手が相手自身を愛せるように、そしてお互いがお互いを愛せるようになるための「運命」だと定義して一歩踏み出すことはきっと無意味ではないでしょう。
        キザな言い方になってしまいますが、「愛」とは、二人の人間が共同作業で作り上げていくものなんでしょうね。そして作り上げられた「愛」は二人の作品になるというわけです。もちろん二人でなくてもいいわけですが。

        • なんて素敵な文章♡ その言葉に惚れてしまいます (^-^) 私のバイブルにさせていただきます (๑・̑◡・̑๑) ♡ ありがとうございます♡

        • 愛は現象であるって、魅力的なフレーズですね。
          良い機会なので、恋についてのプラトンの説を箇条書きで整理してみます。
          ・「人間はもともと2つの身体を持っていたが、傲慢ゆえに神によって半分にされた。そのもう半分の体を求めて本来の姿を回復しようとするのが恋である」饗宴、アリストパネスの説
          ・「恋(エロース)とは美しいものへの恋であり、自分に欠けているものへの欲求である」饗宴、ソクラテス
          ・「エロース(神話における存在)とは、神と人間(死すべきもの)の中間者=ダイモ―ンである。豊かさと貧しさ、知と無知の中間にあるもの」饗宴、ディオティマの説
          ・恋とは、一般に美しく良いものが永遠に自分になることを目指すもの
          ・恋は美しいものの中で産むことの欲望
          ・出産への欲望は可死的なものが不死を求める姿。不滅の徳を産もうとすることもまた同じ
          以上プラトン『饗宴』よりまとめてみました。
          個人的には「恋は美しいものの中で産むことの欲望」この定義、かなりいいですね。
          ちなみにアリストテレスも出産について、有限の生命が不死をもとめる欲望などと言っています。

    • 人を愛するのは自分を愛せるようになってからでいい、
      なるほどです。たしかにポジティブな意味合いに変換できますね。
      愛を寛容の1つとして解釈するのもおもしろいですね。ただ反例も出せそうです。例えば愛する人がお酒をやめられない、だから飲みたいと言っても決して許さない。これは愛するがゆえの不寛容と言えますかね。愛するがゆえに、浮気を許せない、とか。
      自分を愛する訓練という言葉もとてもおもしろいですね。
      高等遊民などは、自分を極限まで甘やかす天才なので、訓練しなくとも自分を愛してしまっています(笑)
      いい場所との評価、ありがとうございます。
      これからもなんでも気楽に書き込んでいただければと存じます。

      • 愛するがゆえに浮気が許せない。逆に、愛するがゆえに浮気を許そうとする、、。そこには男性と女性の構造?の違いや、愛と執着の問題など、様々なものが含まれていそうですね。
        女性の立場から体験を通して言えるのは、女性にとって昔から愛は死活問題であったということです。その意識が、現代にも深く影響を与えていますよね。勿論、男性は男性で愛するという事に過去からの傷があるのでしょうけれど。歴史を遡って見るとお互いの理解が深まるのかな? 今、この場で私達が愛について互いに語っているという事は、 もう過去を癒してお互いに仲良くしましょう♡愛しあって本来の姿に戻りましょうという時代なのかな、って思います♡ (*´꒳`*)

        男性陣、逃げないでね♡ 女性陣、私達の強さで男性を心から愛して女神になりましょう♡

        あは… いきなり飛躍しすぎちゃったかな??
        *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

        • 女性にとって昔から愛は死活問題であったということです。その意識が、現代にも深く影響を与えていますよね。
          こちらは、非常に含蓄のあるお言葉ですね!
          夏目漱石『こころ』も『それから』も、『草枕』『三四郎』もなんでもそうですが、とにかくこいつらは自分の恋愛のことばっかり考えてますね。
          高等遊民は恋愛のことを考えるのが義務だと言わんばかりです。まったく困ります(笑)

  • すごい雑談。
    わたくし高等遊民、プレバトの俳句が好きで、ほぼ毎週見てます。
    千賀健永さんの俳句一覧とかまとめました。
    https://kotoyumin.com/prebato-senga-works-3258
    こうやってまとめてみると、作風がわかったので、かなり勉強になりました。
    あ、千賀くんは、五感に訴える句をつくるのが上手なんだな、それを夏井いつき先生はほめてるんだな、と。
    まとめて、書いて、はじめて私自身も気が付きます。だから、書いてるとおもしろいですね。
    今後、梅沢富美男さんやフジモンやそのまんま東さんなどもまとめていきたいですね~。

    • 読む本の種類や堅さ、自分がその本に何を求めているかによって変えています。

      まず単純に楽しみのために読む小説の場合、極力メモはとらずに没入して読みます。
      そこから何も得ようとしない読書というのは最大の贅沢だと個人的には思います。

      次に文学作品を鑑賞しようとする場合、登場人物の相関図やプロフィール、時代・舞台設定の考証、長い年月を扱った作品であれば年表、複雑な構成を持った作品なら構成表などをまとめながら精読します。ついでに気に入った文章やセリフなどがあれば抜粋します。読了後に、その作品のテーマは何だと思うか、類似するテーマの他作品に比べてどこが異なっているか、などを考えてまとめておきます。

      入門程度の学術書(新書など)の場合、新しく知ったことを抜粋してまとめておきます。一方で堅めの学術書の場合、まずは一度読みます。そして再読に値すると思った場合、今度は段落ごとに要約を作りながら長い時間をかけて精読していきます。

      だいたいこんなところでしょうか。
      参考になれば幸いです。

      • 大学三年生さま
        読みたい本と、メモをとる目的を教えてください。
        https://kotoyumin.com/dokusho-note-template-2651
        https://kotoyumin.com/dokushonotemaking3hoho-1745
        読書ノートについてはこちらの2記事で書きました。
        こちら参照して頂いたうえで、何か分からないことや感想などありましたらぜひ教えてください。


        みらん君さま
        丁寧なご回答ありがとうございます。
        メモなしの没入は、確かに最高の贅沢ですね。
        わたしも『君たちはどう生きるか』を最近読みまして。
        ブログを書くつもりで読んでいましたが、いつしか夢中で読んでおりました。
        まったくぜいたくな時間でした。

  • はじめまして。私も哲学思想に触れてみたいと思い、先日土屋賢二の『新しい哲学入門』を読んだのですが、その中でどうにも理解できないパートがあって大層困っているので良ければご助力ください!
    その章では、基準という考え方を使えば

    (私は痛いと思っているが実は痛くないのかもしれない、という文はおかしい。なぜなら痛いことの基準は、自分が痛いと思うことだから。と例を挙げており、これは納得できました)

    時間や気温とは何か?という問いに対して変な思弁を弄する必要はないと主張した上で、
    『時間という表現があるのだから、それに対応するものが何処かにあるに違いないという先入観が、多くの哲学的誤解を招いている。基準を問えばその先入観に陥らなくてすむ。1時間経つことの基準は、時計の針がこれこれの角度を移動することだ、と考えれば、1時間がどこかに存在すると考えずにすみます』と言っているのですが、これは
    1 痛いことの基準=自分が痛いと思うこと

    痛いとは何か=自分が痛いと思うこと

    2 A型インフルエンザであることの基準=熱があって、〇〇の症状があって、 A型ウイルスが体内にあること。

    A型インフルエンザとは何か=熱があって、〇〇の症状があって、 A型ウイルスが体内にあること。
    同様に、

    一時間の基準=時計の短針針が30度動くこと
    一時間とは何か=時計の短針針が30度動くこと

    という認識でいいんでしょうか…?
    どうも言葉遊びと言うか、未だに闇の中にいる感覚でどうか知恵を貸してください!

    書いて整理したいのもあって長文にしてしまいました!すみません!

    • べいべいさま

      はじめまして。高等遊民です。土屋賢二の『新しい哲学入門』
      私読んだことがありませんが、答えられる範囲で。
      ご説明されてる1,2,3の例示を拝見する限りでは、そのような認識でいいようにも思います。
      でも、「だからどうした」って感じじゃないですか?(笑)
       
      時間は客観的なのか、主観的なのか、という問題かと思いますが、
      まずギリシャ時代には、主観・客観という概念がありません。
      たぶん中世になってそういう考えが出てきたのかな。アウグスティヌス以降ですかね~。
      最初は客観的に時間はあると考えられてきました。
      で、カントになって、時間は客観的な存在じゃなくて、主観的な認識の形式だということになりました。
      要するに、時間というのは人間がものを理解する上でのフィルターだと言ったんです。カント。頭いいですね。
       
      どこかに存在するわけじゃないというのは、たぶん、土屋先生のご説明のとおりかと思います。
      30度動くこと、と考えると、なんかよく分からなくなっちゃうので、
       
      「人間は時間と空間という枠組みのなかではじめて、ものごとを認識したり理解できるんだ」という話になるかなと思います。
       
      いかがでしょうか?

      • わあ!素敵な意見ありがとうございます!そして返信が遅れてしまい大変申し訳ありません!!(見てないと思ってました)もしよろしければこれからも質問させてもらいたいなと思います!!✨

        psもしよければ師匠の思う哲学初心者にオススメの本を何冊かご教示いただけないでしょうか!
        よろしくおねがいします!!

        • どうぞ、お気軽にお問い合わせください。
          こちらでも、Twitterで質問箱?に投稿してくださっても結構です。
           
          おすすめ本ですが、現在ちょっと吟味しております。
          「kindle読み放題で読めるおすすめ哲学入門書」のような記事を今週中に作りますので、乞うご期待くださいませ!
           
          こちらもご参考までに。
          https://twitter.com/MNeeton/status/992293541983367168

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