マルコムXと公民権運動

      2016/12/20

20世紀アメリカで起こった人種差別撤廃運動(公民権運動)。それにはキング牧師をはじめとするキリスト教系の宗教団体だけではなく、イスラム教系の宗教団体も大きな役割を果たしていました。

そのイスラム系宗教団体で中心的な役割を果たしたマルコムX(1925-65)の生涯について、何回か書いてきています。生い立ちや刑務所での猛勉強・また入信したNOI(Nation of Islam)という組織について、前回前々回と書いてきました。

マルコムXの生涯や行動を追っていくと、彼がいかに優れた現実感覚・決断と行動の早さ・政治的なセンスを備えていたかがうかがえます。

 

さて今回は、刑務所から出所後、NOIに入信・所属したマルコムXがいかにして世に出てきたのか、ということについて追っていきます。

マルコムXは、ニューヨークのハーレムで起きた「ジョンソン事件」を発端に、世に出てくることになるのです。

 

マルコムが世に出た「ジョンソン事件」

 

「ジョンソン事件」とは、マルコムとNOIの名が世に広まった出来事です。

マルコムは刑務所を出所後、既に連絡をとっていたNOIという組織に入信・所属し、布教に努めます。彼は、ニューヨークのハーレムにある第七寺院の導師として活動していました。

ジョンソン事件は、1957年、NOIのメンバーであるジョンソン・ヒントンが、路上で起こった黒人同士の喧嘩を、単なる野次馬として見物していたら、仲裁していた警官に「どけ!」と言われ警棒で殴られ、頭が割れた上に逮捕されたという事件です。つまり、何もしていないのに警察官に頭を割られたあげく逮捕されたのです。

教団員を通じて事件を知ったマルコムは、ジョンソン・ヒントン逮捕から30分以内という驚くべき迅速さNOIの50人ものメンバーを召集し、警察署の前に横一列に並びました。そして、ジョンソン・ヒントンが適切な治療を受けているかどうか確認するため、彼への面会を申し出ました。

しかし、警察がマルコムたちにヒントンを引き合わせた時、ヒントンは意識朦朧の血だらけであった。逮捕後も全く治療を受けていなかったのです。マルコムたちはヒントンを直ちに病院に連れて行くよう要求し、ヒントンはハーレム病院へ移されることになりました。再び病院の前に並んだ時には、メンバー50人の後ろに、大きくふくれあがった群集が後をついてきていました。

マルコムの迅速な行動がなければ、ヒントンは警察署で治療を受けないまま、命を落としていたでしょう。ハーレムは黒人人口の多い地区で、黒人たちは警官の暴力に長い間晒されてきました。(警察による暴力は、キング牧師の有名な演説”I have a dream”の中でも言及されています。)

マルコムの今回の行動は、そうした黒人たちの興味を引き、大きな事件として新聞に大々的に報道されました。これがマルコムXが世に出る端緒となったのです。

 

ドキュメンタリー番組『憎悪が生んだ憎悪』

マルコムXの名が世に出たきっかけは「ジョンソン事件」のほかにもう一つ、『憎悪が生んだ憎悪』というドキュメンタリー番組の放送がきっかけとなりました。

この番組は1959年に、マルコムの所属するイスラム系宗教団体NOI(Nation of Islam)の寺院に潜入し、活動を取材したドキュメンタリー番組です。マルコムによると、この番組の狙いはショッキングな印象を視聴者に与える内容だったそうです。要するに扇動的な番組ということですね。

ちなみに『憎悪が生んだ憎悪』というタイトルの意味は、白人への憎悪を黒人導師が説教をしていることから名づけられたものとされます。これもやはり扇動的なタイトルであり、当時この番組を視聴した白人のうちには、漠然とした恐怖感を抱いた人もいたことでしょう。

製作者の狙い通り、この番組に対する世間の反応は非常に大きなものとなり、新聞や雑誌がNOIの特集を多く組むようになりました。

また、同じころ、ボストン大の黒人学者C・エリック・リンカーンが博士論文にNOIを取り上げ、『アメリカの黒人イスラム教徒 “American Black Muslims”』を出版しました。このことも教団の名が世に広まったことに影響を与えています。

こうしてNOIおよびその中心的な前線に立つ人物としてのマルコムXが、世間に知られるようになったのです。

 

政治運動への態度の違いからNOIを去るマルコム

1960年代に入ると、公民権運動はキングを中心にますます盛んになってきます。しかし実は、NOIは直接公民権運動に参加したわけではありません。NOIの教祖であるイライジャ・ムハマドが運動への参加を禁止していたのです。

イライジャ・ムハマドは「白人からの分離」を提唱していただけあって、「融合」という形を伴う公民権運動についてはこれをよしとしませんでした。しかしながら、現実的な政治感覚に優れていたマルコムは、NOIおよびイライジャ・ムハマドの非政治的な態度に不満を覚えるようになりました。

マルコムが不満を募らせるなか、1963年にケネディ暗殺事件が起こります。この事件に関連して、NOIやマルコムへも多くの取材が駆けつけました。

マルコムは取材に対して、イライジャ・ムハマドより政治的発言を控えるよう言われていたにも関わらず、”John F. Kennedy was a case of chickens coming home to roost.”と答えてしまいます。この発言についてマルコムは、「アメリカ社会に満ち満ちた憎しみが、白人にも跳ね返ってきてしまった」という意味を述べたつもりでしたが、「人を呪わば穴二つ」というニュアンスもある言葉であったために、失言としてマスコミに叩かれるようになってしまいました。

NOIはマルコムの政治的な動きを以前から懸念していたため、マルコムを活動禁止の処分にしました。これをきっかけにマルコムはNOIから去ることになります。

参考にした本

マルコムX著、アレックス・ヘイリィ執筆協力、浜本武雄訳 『マルコムX自伝』 河出書房新社 1993
上坂昇著 『キング牧師とマルコムX』 講談社 1994

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