【政治の天才】マルコムXはいかにして「無学な囚人」から「黒人を代表する知識人」となったか?




20世紀アメリカで起こった人種差別撤廃運動(公民権運動)。

 

それにはキング牧師をはじめとするキリスト教系の宗教団体だけではなく、イスラム教系の宗教団体も大きな役割を果たしていました。

 

そのイスラム系宗教団体で中心的な役割を果たしたマルコムX(1925-65)の生涯について、何回か書いてきています。

 

(関連記事)マルコムXとは誰か:キング牧師と公民権運動のあいだ

 

生い立ちや刑務所での猛勉強

また入信したNOI(Nation of Islam)という組織について、

前回前々回と書いてきました。

 

マルコムXの生涯や行動を追っていくと、彼がいかに

  • 優れた現実感覚
  • 決断と行動の早さ
  • 政治的なセンス

を備えていたか、がわかります。

 

さて今回は、刑務所から出所後、NOIに入信・所属したマルコムX。

 

「マルコムXはいかにして世に出てきたのか?」

ということについて追っていきます。

 

マルコムXは、ニューヨークのハーレムで起きた「ジョンソン事件」を発端に、世に出てくることになるのです。

 

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マルコムが世に出た「ジョンソン事件」

 

「ジョンソン事件」とは、マルコムとNOIの名が世に広まった出来事です。

 

マルコムは刑務所を出所後、既に連絡をとっていたNOIという組織に入信・所属し、布教に努めます。

彼は、ニューヨークのハーレムにある第七寺院の導師として活動していました。

 

ジョンソン事件とは、黒人が何もしてないのに警察官に暴行を受けたという事件。

ジョンソンは、人の名前です。NOIのメンバーであるジョンソン・ヒントン

 

1957年、ある路上で起こった黒人同士の喧嘩。

ジョンソンは、たまたまそこを通りかかり、単なる野次馬として見物していました。

 

するとほどなく警官が到着し、仲裁に入ります。

その警官に「どけ!」と言われ警棒で殴られたのです。

 

ジョンソンは、頭が割れた上に、しかも逮捕された。

つまり、何もしていないのに警察官に頭を割られたあげく逮捕されたのです。

 

これがジョンソン事件の概要です。

 

教団員を通じて事件を知ったマルコム。

ジョンソン・ヒントン逮捕から「30分以内」という驚くべき迅速さで、NOIの50人ものメンバーを召集しました。

 

そしてジョンソンが連行された警察署の前に、50人が横一列に並びました。

「ジョンソン・ヒントンが適切な治療を受けているか?」

これを確認するため、彼への面会を申し出ました。

 

しかし、警察がマルコムたちにヒントンを引き合わせた時、ヒントンは意識朦朧の血だらけでした。

逮捕後も全く治療を受けていなかったのです。

 

マルコムたちはヒントンを直ちに病院に連れて行くよう要求しました。

結果、ヒントンはハーレム病院へ移されることになりました。

 

再び病院の前に並んだ時には、メンバー50人の後ろに、大きくふくれあがった群集が後をついてきていました。

 

警察署と病院の前で、群れをなす群衆。

これがメディアに大注目されたのです。

 

 

マルコムの「たった30分間」。この迅速な行動がなければ?

ヒントンは警察署で治療を受けないまま、命を落としていたでしょう。

 

ハーレムは黒人人口の多い地区。

黒人たちは警官の暴力に長い間晒されてきました。

 

(警察による暴力は、キング牧師の有名な演説”I have a dream”の中でも言及されています。)

(関連記事)「白人は自らの暴力により魂をゆがめている」と大胆すぎるケンカを売ったキング牧師

 

マルコムの今回の行動は、そうした黒人たちの興味を引き、大きな事件として新聞に大々的に報道されました。

 

これがマルコムXが世に出る端緒となったのです。

 

ドキュメンタリー番組『憎悪が生んだ憎悪』

マルコムXの名が世に出たきっかけは「ジョンソン事件」でした。

そのほかにもう一つ、『憎悪が生んだ憎悪』というドキュメンタリー番組の放送がきっかけとなりました。

 

この番組は1959年に、マルコムの所属するイスラム系宗教団体NOI(Nation of Islam)の寺院に潜入し、活動を取材した番組です。

 

マルコムによると、この番組の狙いはショッキングな印象を視聴者に与える内容だったそうです。

要するに扇動的な番組ということですね。

 

ちなみに『憎悪が生んだ憎悪』というタイトルの意味。

これは、「白人への憎悪を黒人導師が説教をしている」ことから名づけられたものとされます。

 

これもやはり扇動的なタイトルですね。

当時この番組を視聴した白人のうちには、漠然とした恐怖感を抱いた人もいたことでしょう。

 

製作者の狙い通り、この番組に対する世間の反応は非常に大きなものとなりました。

各社新聞や雑誌がNOIの特集を多く組むようになりました。

 

また、同じころ、ボストン大の黒人学者C・エリック・リンカーンという方がいました。

彼は、自らの博士論文にNOIを取り上げました。

『アメリカの黒人イスラム教徒 “American Black Muslims”』という本を出版しました。

 

このことも教団の名が世に広まったことに影響を与えています。

 

こうしてNOIおよびその中心的な前線に立つ人物としてのマルコムXが、世間に知られるようになったのです。

 

政治運動への態度の違いからNOIを去るマルコム

1960年代に入ると、公民権運動はキングを中心にますます盛んになってきます。

しかし実は、NOIは直接公民権運動に参加したわけではありません。

 

NOIの教祖であるイライジャ・ムハマドが運動への参加を禁止していたのです。

 

(関連記事)マルコムXとNation of Islam(ネイション・オブ・イスラム)

 

イライジャ・ムハマドは「白人からの分離」を提唱していただけ。

「融合」という形を伴う公民権運動についてはこれをよしとしませんでした。

 

しかしながら、現実的な政治感覚に優れていたマルコム。

彼は、NOIおよびイライジャ・ムハマドの非政治的な態度に不満を覚えるようになりました。

 

マルコムが不満を募らせるなか、1963年にケネディ暗殺事件が起こります。

この事件に関連して、NOIやマルコムへも多くの取材が駆けつけました。

 

マルコムは取材に対して、イライジャ・ムハマドより政治的発言を控えるよう言われていました。

にも関わらず、

 

“John F. Kennedy was a case of chickens coming home to roost.”

 

と答えてしまいます。

この意味。

マルコムは、

「アメリカ社会に満ち満ちた憎しみが、白人にも跳ね返ってきてしまった」

という意味を述べたつもりでした。

 

しかし、「人を呪わば穴二つ」というニュアンスもある言葉。

そのため、失言としてマスコミに叩かれるようになってしまいました。

 

NOIはマルコムの政治的な動きを以前から懸念していたため、マルコムを活動禁止の処分にしました。

これをきっかけにマルコムはNOIから去ることになります。

 

 

 参考にした本

DVDもあります。

デンゼル・ワシントン主演映画『マルコムX』

 

『マルコムX自伝』 河出書房新社 1993

 

上坂昇著『キング牧師とマルコムX』講談社 1994

 

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