ペトラルカとラウラの出会い|抒情詩集カンツォニエーレの一節を紹介

ペトラルカとラウラ




ペトラルカの詩作の源泉にして、報われない終生の恋人。

ラウラとの出会いについてご紹介します。

ペトラルカがボローニャを去ってからの1年後。1327年4月6日。
22歳のペトラルカは、南仏アヴィニョンの聖クララ聖堂(=セント・クレール聖堂)で、若き人妻ラウラに出会います。

キリスト受難の日に当たったその日。
ペトラルカにとっても運命の日になりました。

その時の出会いを後に詩人はこのように歌っています。

その創造主の受難をいたみ
太陽の光さえ色あせたとき
はからずも私はとりこになった。
げに恋人よ、美しいきみの瞳に縛られて。

ペトラルカ『カンツォニエーレ』より

こうしてペトラルカは尽きることなき詩的霊感の泉をえました。
ますます詩の精神を高揚させ、俗語詩(イタリア語)において、その天分を開花させることになります。

ラウラに出会っていなければ、ペトラルカの『カンツォニエーレ』はありませんでした。
古典研究(リウィウス・キケロ)において、人文学的な功績を多少残したにすぎなかったでしょう。

ちなみに聖クララ聖堂1987年に取り壊され、いまは跡地として空き地になっています。
城塞都市アヴィニョンの町中にある、小さな空き地でした。

ペトラルカがラウラを初めて目にした時。
彼女は、祈りをささげていました。

その祈りの姿に、永遠なるもの・天上的なるものを、ペトラルカは見つけてしまったのです。

ペトラルカとラウラ~抒情詩集のインスピレーション

ペトラルカは、ラウラに対して誠実な愛をささげながら、屈折した思いを持っていました。

  1. 第1に、彼女が人妻であるという点。
  2. 第2に、ペトラルカが聖職者であるという点。
  3. 第3に、ペトラルカには2人も私生児がいたという点。

ペトラルカは自らの内面を分析した『わが秘密』という作品の中で、ラウラへの愛をとりあげています。

ペトラルカが持つ情念の中で、最も重い病気として描かれているのが、愛欲と名誉欲です。

愛欲とは人妻ラウラへの愛であり、22歳の時に出会って一目惚れした以来、終生にわたって純粋な思いを寄せました。
その間に、別の女性との間で私生児が2人も生まれる。
ペトラルカの罪悪感の深さもうかがえるでしょう。

彼女への純粋な愛は、ペトラルカの詩作のインスピレーションの源泉でした。

ペトラルカは言います。

「今の私に少しでもとりえがあるとすれば、それは彼女のおかげです」

そして彼が讃える恋人ラウラについての描写は、このようなものです。

「彼女の心は地上の煩悩を知らず、気高い願望に燃えており、その容貌には神的な美しさが火をみるよりも明らかに輝き出ています。
その生きざまは、完全な清廉の見本です。彼女の声音も目のかがやきも、滅ぶべきものらしいところがすこしもなく、歩みぶりも人間のものとは思われません」

ペトラルカ『わが秘密』より(近藤恒一訳岩波文庫)

桂冠詩人としてのペトラルカ:愛と名誉欲の果て

さらにこの愛は、もう一つの病気である「名誉欲」と一体のものとなっています。

「かくも誉れ高い彼女の名声は、だから当然のことながら、すぐれた名声を得たいという熱望をわたしのうちにも呼びさましました」。

この名声への熱望は「桂冠詩人」の称号に帰結する。
桂冠は、オリンピックの勝者がかぶるアレです。
古代ギリシア・ローマでかつて行われていた催しです。

ペトラルカ桂冠詩人

これが桂冠です。

中世にいたって、異教文化としてすたれていましたが、
もっとも優れた詩人に贈られたという月桂冠を、ペトラルカ自身の戴冠をもってその伝統を復活させるに至りました。

ラウラという名前は、ローレル、桂です。
ラウラという女性を愛したから、詩人として桂冠を戴冠したい。

その願望だけで、本当に1000年ぶりに伝統を復活させたのです。
執念がすごいですね。

以上から明らかなように、ペトラルカは、永遠なるものを自らの恋人ラウラに投影しています。

それほど、ペトラルカは、ラウラという女性を愛したのです。

まとめ ペトラルカの名言

ペトラルカとラウラの出会いについて、ご紹介しました。

誠実に愛しながらも、お互いの境遇によって、幸福に結ばれることができませんでした。

しかも、ラウラのほうがペトラルカをどう思っていたかは、一切不明なのです!!!!

ペトラルカの名言に、こんな言葉があります。

どんなに愛しているかを話すことができるのは、すこしも愛してないからである。

愛の苦悩が伝わってきますね。