戦争は格差をリセットする希望の光だから若者弱者は「丸山真男をひっぱたきたい」読んでおこう

「丸山真男をひっぱたきたい」という論文があります。

これ面白いんですよねー。

これは2,007年、朝日新聞の発行する「論座」という雑誌に掲載された論考です。
著者は、赤木智弘氏。
もう10年前です。

丸山正雄をひっぱたきたいこの小論文の副題サブタイトルは

「31歳フリーター。希望は、戦争。」

という不穏な副題です。

北朝鮮が暴れている現在。
べつに日本が戦争になって、オレたちが戦争に行くわけはない。
(行ってる暇があったら、たぶんミサイルでやられてるだろう)

だけど、戦争は、まあ高等遊民みたいな社会的な落ちこぼれには大チャンスなんですよ。

なぜなら、戦争が始まれば、誰かが何かを失う。

  • 金持ちは資産を。
  • 親は子を。
  • 国民は自由を。
  • 政府は統治能力を。

はい、だから戦争は悲惨なんです。ぜったい起こしちゃいけません。

でも待て待て待て。

俺ら。失うものある?

せいぜい、スマホゲームの一生懸命集めたデータくらいじゃない?
失うものなんか、はぐれメタル倒した経験値くらいだろ。

じゃあ、むしろ、格差は縮まるんじゃね?
俺らは失うものゼロ。
金はもちろん、最初っから、人権も自由もあったもんじゃないからな。

だったら、持ってる人たちが失えば、必然的に格差は縮まる。

「おいこれチャンスじゃん! 戦争を希望しようぜ!」

っていう話をした論文です。

めっちゃおもしろいでしょ。

「ああ、おもしろそうかもしれない。でもだいたい丸山真男を知らんのだ……」

という方は、ちょっと待っててくれ。
そのうちすごーく薄っぺらい概要を書きます。

一言でいうと「とんでもなく影響力があった東大の政治学の教授」。
もう信者さんができるレベルでの影響力。
丸山真男の影響受けてない人いないくらいの。

「猫も杓子も丸山真男だった」なんて、むかし哲学の先生が言ってました。

「丸山真男をひっぱたきたい」
まあ一言でいえば、格差社会に対する1つの批判です。しかも炎上間違いなし。

こんな格差批判論文が、どうして「丸山真男をひっぱたきたい」なんていうタイトルなのか?

それは、論文の最後に書かれてるんですよ。

「丸山真男をひっぱたきたい」要約と解説

高等遊民がこの論文を初めて読んだのは、2013年くらいだと思う。
(2007年はまだ思想に関心がありませんでした。)

この論文の要旨をゆる~く解説していきますよ~。

全文はこちらで読めます。ときどき以下から引用します。

http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

1.非正規雇用者は格差を埋めようがない

学校卒業の時に、非正規雇用の枠に分類されると、人生詰む。

正社員として働けないままフリーターになってしまった若者は、格差社会の中で下層に位置することになる。

そして32歳のフリーターである著者(赤木さん)は、正規雇用の機会を得るチャンスがほぼ絶望的であると言う。

まあここまでなると、もう正社員厳しいですよね。
格差是正と言っておきながら、雇用の流動性を強化する国日本。
っていうか、「正社員を減らすことで格差是正」とかいう頭おかしい方向へ突き進んでるよね。

大学を卒業したらそのまま正社員になることが「真っ当な人の道」であるかのように言われる現代社会では、まともな就職先は新卒のエントリーシートしか受け付けてくれない。
ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかりだ。

2.正社員か非正規かは運次第。なのに一生埋められない可能性がある

この人によっては、もはやひっくり返すことのできない格差。
これが生じた理由って何よ?

高卒でも大卒でも院卒でも、就職活動があるわけだよね。
高等遊民もやりましたよ、一応。うまくいかなかったけどな。

就活ってなんで「うまくいく人」「うまくいかない人」が出るの?

それって、まあ実力もあるけど、運でしょ。
ご縁とか言うじゃん。それってタイミングと運でしかない。

じゃあたまたまご縁がなかったら?
たまたま卒業の就職活動時に運が悪かった。ご縁がなかった。

これだけでもう挽回できないほどの格差が生じてしまう。

格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。
弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。

若者が格差を是正するには戦争が最適という主張

この挽回できない格差をもし万が一ひっくり返して、社会の下層から上がるチャンスがあるとすれば、それは戦争である。

こう主張します。

戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。

持つ者と、持たざる者。この違いが浮き彫りになった。

「戦争をしたいわけではない。でも、戦争が起こることを望む。」

「丸山真男をひっぱたきたい」は、このように解釈できるような衝撃的な小論文なのです。

「丸山真男をひっぱたきたい」というタイトルの意味

この小論文のタイトルの由来。
丸山真男さんという政治学者は、第二次世界大戦当時30歳。
召集令状が届きます。

大学助教授でありながら、陸軍二等兵として教育召集を受けた。
大卒者は召集後でも幹部候補生に志願すれば将校になる道が開かれていたが、「軍隊に加わったのは自己の意思ではない」と二等兵のまま朝鮮半島の平壌へ送られた。
 by wikipedia

1944年で東大の助教授。30歳で。エリート中のエリートです。
戦後の民主主義を表する政治学者となる丸山さん。
彼が、陸軍の二等辺として戦場平壌へと送られる。

そこで中学も卒業していない陸軍の一等兵に、丸山真男は執拗にいじめ抜かれました。

二等兵と一等兵って、もう王様と奴隷ですから。
新兵イジメって、1年上の先輩たちだけなんです。

「丸山真男は平壌で、無学の一等兵にビンタされまくった。」

このエピソードが「丸山真男をひっぱたきたい」の由来。

戦争が起これば、格差がなくなる。
丸山真男のような東大のエリート。
丸山様の横っ面を張り倒せる立場に立てるかもしれない。

こういう希望の光。
それが戦争であると赤木さんは書いています。

戦争による徴兵は丸山にとってみれば、確かに不幸なことではあっただろう。しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。

一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。

雇用形態が格差となり差別につながる

いやあ、おもしろいですね~。
伝えることができたでしょうか?

この小論文の最大の特徴って、何かって言うと、
著者の赤木智弘さんは「自分は最下層の人物である」として徹底的に位置づけていること。

これ結構ポイントです。

この小論文の前半部分のほとんどは、時事的なニュースやワーキングプアのテレビ特集の話。
現代(2007年)のニュースに焦点を当てています。

それに加え自らのフリーターとしての経歴をつらつら書き連ねる。(ちょっとグチっぽい)

学問的な論文賞では全くない。
一般人の素朴な感性がストレートに表現されているような文体。
それがかえって読者に衝撃を与えたんです。

事実、文化人や政治家たちが、この論文にものすごく反応したんですよ。
日本中のインテリたちを炎上させた。
これ、すごいですよね。

要するにこの小論文の筆者は、こう言ってます。

自分は徹底的に弱者・下層の立場にいる。
それは自分の実力ではなく構造的な問題とか運の問題で、自分がチャンスを得られなかった。
自分が下層にいるので、社会に夢も希望も明るい未来も見られない。

だからこそ戦争によって一気に格差層がなくなることを希望する。
「反戦平和」というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押し止めるのだ。

と主張しています。

正規雇用に対する冷遇というのは教育界においても問題視されていますね。

2,000年代に高校や大学を中心に「キャリア教育」という概念が導入されました。
正規のカリキュラムの中にもキャリア教育に関する科目が大いに増えました。

キャリア教育の目的は企業に就職する上で学生が「社会人として必要最低限の能力を身に付けるべき」だという目的のもとで実行されています。

しかし、そのキャリア教育の内実は、ほとんどが正規雇用を獲得する目的が前提されているでしょう。
大学でも正規雇用・正社員になりなさいと言われますよ。そういうのを採用率何%とか実績に挙げる学校もあるでしょう。

社会に出ても正規雇用は経済面で安定。社会的な立場としても安心できます。
まあ、それももはや怪しいですが。ただ、一応は勝ち組とされます。

一方で、非正規の雇用のほうは実力が足りないとか怠け者だとか言われるような立場。
「そういう働き方で納得して選んだんでしょ? 自己責任じゃん?」的なことさえ言われる。

社会的にも不利な立場に置かれてしまう。こういう差別が発生しています。

格差とか戦争とか、改めて考え直すのに、最適な小論文だと思いますね!

Twitterで同じく「丸山真男をひっぱたきたい」を読んだ人がいらっしゃいまして、
「実際、どんな評価されてますか?」 と、ご意見伺いましたら、とても鋭い、印象的なご感想を頂けました。

あの主張に反対する資格は私にありません。私のような底辺の庶民があの論文を叩いたら自分の立ち位置が見えていないアホになってしまいます。かといって同意すると戻れなくなってしまいます。けしてオモテに出てこなかった、勉強できるヤツラにはけして見えなかったことを暴露したのは凄いことですね。

いや~、感服致しました。本当に、その通りですよね。
同意することも、反対することもできない。ただただ力強い意見。読む者を脅かすような文章だと思います。

高等遊民のnoteの紹介

 

noteにて、哲学の勉強法を公開しています。

 

現在は1つのノートと1つのマガジン。

 

1.【高等遊民の哲学入門】哲学初心者が挫折なしに大学2年分の知識を身につける5つの手順

2. 【マガジン】プラトン『国家』の要約(全10冊)

 

1は「哲学に興味があって勉強したい。でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。

5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。

3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。

3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。

ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。

かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。

音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。

 

2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
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6 件のコメント

  • アホかな?何がおもしろいのか全く分からん、低次元・低知能な文体。
    戦争になればフリーターやニートは真っ先に戦場の駒になってもだえ苦しんで死ぬよ。
    金持ちや既得権益者は生き残り、それらの人間を金儲けの駒として扱う。

    • コメントありがとうございます。
      なるほど。歯に衣着せないご意見ですばらしいですねー(笑)
      で、おっしゃるようなご意見は10年前にも当然言われてましたね。
      しかも、左派といわれる評論家や政治家たちが、こぞって赤木智弘氏に対して、反論したんですよ。
      まあ共食いというかなんというか、、赤木智弘氏は彼らの理想を見事な形で表現したのに、ひたすら戦争はよくない、君みたいな青二才は何も知らないだろうけど、みたいな反論あるいは説教をしたんです。
      ちょっと彼らの見識のなさにびっくりされると思います。
      なので、そのあたりもう少していねいに説明すべきですかねー。
      赤木智弘氏の希望は戦争というのは、まあ比喩といえば比喩なんです。
      この小論の終わりにこんな文章があります↓
      ——-
      それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
       しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
      ——
      この文章がどういう意味を持つかを考えてみると、色々深いかと。
      戦争になって、金持ちや既得権益層の都合のいいように、動くと思うか、という話です。おとなしく戦場に向かうだなんて、ちゃんちゃらおかしいですね。
      だから、私を戦争に向かわせないでほしいと書いてあります。
      戦争とは、秩序の転倒です。

  • この論文が一般の人に共感されないのは、著者の自己中心性と邪悪さが見てとれるからですよ。
    ゴチャゴチャ言ってても、「私が一発逆転してささやかな幸せを手に入れるために、他人が苦しんでも構わない(=戦争起こってくれ)」って主張してるんですから。

    そんなの考えてると、普通の社会人は直感でなんとなくヤベェって分かっちゃうんですよ。

    早くプライド捨てて、自分こそ真のバカだって、ワガママな子供だってことを自覚する。そんで、人のためにとにかく行動するのが良い。
    僕の場合は、それが生活改善の1番の薬でした。

    • コメントありがとうございます。
      なるほどです! 確かに共感はされにくいですね
      たしかに自己中心的な文章ですが、ここまで自分の状況に落とし込んでいるのは、やはり大変優れた文章であると私は評価しています
      でもまあ、おっしゃるとおり、やばいですね(笑)

  • >この論文が一般の人に共感されないのは、著者の自己中心性と邪悪さが見てとれるからですよ。
    ゴチャゴチャ言ってても、「私が一発逆転してささやかな幸せを手に入れるために、他人が苦しんでも構わない(=戦争起こってくれ)」って主張してるんですから。

    これが自己中心的ならば、彼らが苦しんでいる今の(戦争が起きない)社会を望むのも自己中心的でしょう。戦争が起きない今でも苦しんでいる人はいるんですよ。それが戦争が起きれば、苦しむ層が変わる(増える)だけ。他人が苦しんでも良いという発想を否定しているようだが、あなたが今の社会を肯定するならば、全く同じ発想を言わざるをえません。正直な感想としては、あなたは頭が悪すぎます。

    • 心情的には完全同意です。

      ですが、この論文的な主張をいくらしても、決して幸せに暮らしてる人々を説得することはできないでしょうね。それはこの論文に欠陥があるというよりも、決して両者が相容れることがない性質の問題ゆえだと思います。
      あなたの指摘の通り、突き詰めるとどちらも自己中心的だからなんですね。(それに、左派の人達の戦争観の欺瞞を押し付けられるのはやっぱり苦痛ですよね。普段弱者の視点をと言ってる人達なだけに余計にね)

      匿名さん(2018年8月2日 1:59 PM) は多分すでにこうした葛藤を経験して、通過した方なんでしょう。
      彼の言うことは、現実的な意味で正しいです。
      結局、共感してもらおうとしたり戦争が起きることを祈り続けたりするだけで時間を失うよりは、自分を立ち直らせて現状をマシにしていくほうが可能性があるぞと言いたいんだと思います。
      説得することはまずできないし、願ってても戦争は起きないし、起こそうと思っても力を持ってない人には難しいですもんね。

      匿名さんの口調からはところどころ自分が正義だというような傲慢さを感じます(通りすがりさんもそこが気になったのでしょう)。ですが、その無意識の傲慢さは彼が幸せな人間であることの証です。
      そして幸せな人々はその証を確認し合って安心し合うんです。自分と同じ匂いを嗅ぎ取って安心するんですね。
      前提として、幸せになりたかったら社会に溶け込まないといけない。社会に溶け込みたかったら、同じ匂いをさせないといけない。そのためには自分の思考から変えていけ、ということですね。そのほうが結局は幸せになれるから。

      私の本音としては悩ましいですね。
      立ち直ったあとに、それでもなお、通りすがりさんのような感覚を忘れずにいたいですね。少なくとも、自己中はお互い様だ、ってね。

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