レストランで大量注文して食べ残しは許されるのか?哲学・倫理学的に考えてみた

ユーチューバーの方がサイゼリヤで食べ残して大炎上したそうです。

〈ダイキさんとひかるさんらが問題の行動を起こしたのは、11月21日夜。都内のサイゼリヤ店内で全メニューを注文し、それを食べ切るという番組を撮影したときのことだった。結果的に多くの料理を食べ残し、大量の皿を机の上に残して店を出た。その光景を他の客が撮影。ツイッターに投稿されると「食べ物をムダにするな」などといった批判が殺到した〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171226-00000051-sasahi-ent&p=1

でも私、ユーチューバーの方が非難されるのはおかしいと思っています。

「別に食べ残ししてもいい」と思っているわけではないです。

でも、この人たちだけを特別非難するのはおかしいんじゃない?

と思ってます。

その理由を述べてみます。

食べ残しを非難するべきでない理由

理由1 消費者の食べ残し量より、お店の廃棄量のほうがケタ違いに多い

食べ残しを非難する人って、何考えてるんでしょうかね。

だったら日々その何万倍もの大量廃棄を生み出している生産者側・提供者側はどうなんでしょうか?

「日々出る廃棄がもったいないだろ!」

と、どうして非難しないのでしょうか?

「今月は何トンもの食材を無駄にゴミ箱へ捨てました。申し訳ございません。」

このような謝罪を求めるべきでは? 

  • 消費者:注文して食べきれなかったら残した。
  • 供給者:仕入して売れなかったから廃棄した。

この2つで何が違うのかさっぱりわかりません。
なのに前者は非難ごうごう。後者は何も言われない。

なぜユーチューバーだけ叩く人がいるのか、よく分かりません。

理由2 フードロスの問題は、個人よりも企業のほうが責任重要だから

「もったいない」という言葉は、個人に言ってる暇があったら企業に言ったらどうですか?

といつも思っています。

敷衍させると

ごみ減量とか
省エネとか
リサイクル

これらもばかばかしいと思ってます。
家庭よりも企業が取り組むほうがよほど効果が高いからです。

(関連記事)個人レベルのエコ活動に意味はあるか?経済成長と原発と、3つの立場を考える

ただしこんなご意見も。

RT>食べ残しが多いと廃棄料がかかるから料理の値段を値上げせざるおえないの。食べれる量だけ頼んで食べてた人が食べれない量頼んで大量に残した人のせいで値上げされるのは嫌なんだけど。大量に残すの肯定するなら値上げも文句言えないね

私の意見へのご感想↑↑

これは初めて知りました。勉強になります。企業の論理でいえば売上は発生してるのだから、たとえ食べ残されても損失にはならないのでは? と思いました。

昨今の値上げの理由は原材料の高騰や不景気による売上低迷が主たる要因だと思ってました。食べ残しが多いため値上げするという話は聞いたことなかったです。

とはいえ、仕入過多・調理工程による廃棄のほうが確実に食べ残し量を上回ると思います。私も食べ残しは肯定しません。

しかし提供側のレストラン自体が消費者の食べ残しより日々けた外れの廃棄物を出しているのに、なぜかユーチューバーだけが叩かれる。これが私は不公平だと思っただけなのです。

理由3 批判する人の偽善者的な感じがすごい。自己欺瞞に気づいてない

食べ残しを非難するって、「わたしは食べ残ししていない」という理由だけで、自分たちが道徳的に善の立場にいるという勘違いが潜んでいるんですよね。

そもそも社会生活を営んでいる限り、大量廃棄の歯車に乗っているんですよ。

それがたまたま一個人のユーチューバーにおいて表面化しただけ。

本当は同じ穴のむじななのに、「自分は善」という勘違いの立場から「食べ残した悪人」を裁いているっていう、ウケる構図ですね。

大真面目に議論しているのがばかばかしいし、謝罪会見でなんか微妙な態度になっちゃってるユーチューバーの方は、本当に素直というか自然な態度だと思います。

理由4 悪ふざけして収入稼いでるユーチューバーに嫉妬してるだけでしょ?

結局、ユーチューバーが気に入らない的なイデオロギーも、前提にあると思うんですよね。

自分の無根拠な感情(ユーチューバーへのねたみ)を、よくわからない倫理(食べ残しはダメ)で正当化して叩いているのがちょっと痛いのです。

『食べられないなら注文するべきではない』という道徳観の存在そのものについては、僕は否定しないけど、その用い方に欠陥があることは事実。そういう意味では一理あるご指摘。
この件は、謝罪して店側と和解が事前になされていたわけだから、当事者ではない人が彼らを晒して叩くのは傲慢。

私の意見へのご感想↑↑

まとめ:ギリシャ哲学の本質は「自己欺瞞を暴く」こと

要するに、非難する人の自己欺瞞がうかがえてしまうのが、わたしの気に入りませんでした。

ギリシャ哲学の本質とかキャッチーに言ってますけど、特徴くらいのものです。

ソクラテスの「無知(不知)の自覚」は、「知識における自己欺瞞」を明らかにする営みです。
ソクラテスは知的な自己欺瞞を明らかにするのを自らの使命としました。

そして「理性に照らせば納得せざるを得ない」という主知主義的な思想を忠実に受け継ぎ、徹底的に実践化したのがストア派です。特にローマ時代のセネカやエピクテトスに顕著です。
セネカやペトラルカは自らの倫理的な自己欺瞞を明らかにしようと大いに努力しました。

自己欺瞞を吟味にさらす これがソクラテスやセネカやペトラルカ(ルネサンス時代の詩人)において一貫した哲学の流派です。

ユーチューバーという、格好のエサが、普段ストレスたまっていて石を投げたい人たちの前に現れた

そんな事件だったと思います。


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2 件のコメント

  • ツイートを使っていただき恐縮です。
    フードロス問題についてのご意見は、地球環境問題におけるCO2削減についても同じことが言えますね。これも日本がいくら削減する努力したところで、アメリカや中国を動かすことができなければ殆ど意味がないのですが、日本はもっと努力すべきと訴え続ける人がいますね(100%間違った主張とは思いませんけど)。
    記事に挙げられたような騒動は、客観的事実を皆が共有する難しさと大切さを浮き彫りにさせますね。そこをせめて追求していく姿勢を心掛けていかなければと思いました。

    • コメントありがとうございます。
      そもそも世界の経済構造がどんどんと無駄を作りまくって廃棄していくようにできていますからね。
      無駄をどんどん作れと言っているわけでは1つもなくて、「最も無駄を作っているのは誰か?」ということに焦点を当てるべきなのではないかと思いました。

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