最近のTVドラマは、まんがや小説が原作にある作品が多くなりましたよね。
2016年~2017年に放映されたドラマ「嫌われる勇気」。これは、原作者の怒りを買ったドラマとして、大きな話題になりました。
正確に言うと原作者自身ではなく、原作者(学者)の所属する学術団体から抗議を受けたのでした。
2017年2月3日、香里奈主演のフジテレビドラマ「嫌われる勇気」に対して、日本アドラー心理学会より、抗議文が送付されました。
岸見一郎氏・古賀史健氏共著『嫌われる勇気』を原作として、刑事ドラマとしてのストーリーに仕立て上げた番組です。
書籍版『嫌われる勇気』は、アドラーという心理学者の教えを「青年」と「哲人」の対話というスタイルで解説した本です。
日本アドラー心理学会というのは1984年に創設された学会であり、『嫌われる勇気』著者の岸見一郎氏も、学会の顧問をしています。
ちなみにこの原作本自体は、実用書。
アドラーという心理学者の教えを「青年」と「哲人」の対話というスタイルで解説。ドラマ性や物語性はありません。
(関連記事)『嫌われる勇気』の岸見一郎氏はギリシア哲学研究者なので実績を調べてみた
ドラマ「嫌われる勇気」は、日本アドラー心理学会から「放送中止または脚本修正を要求する」といった抗議文を受けていました。
それを受け、フジテレビは「中止する気はありませんが、ご意見参考にします」というコメントを出しました。
個人的には、「フジは抗議を全然相手にしていないな」という印象でした。
しかし「嫌われる勇気」のその後のエピソードを観たところ、「もしかしたら修正入ったのかな?」と感じる部分がありました。
学問とエンタメ。原作とドラマ。
その対立と葛藤の一例として、非常におもしろいやり取りだったので、記録として残しておきます。
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日本アドラー心理学会によるドラマへの抗議文とは?
抗議文は、日本アドラー心理学会のウェブサイトで全文を読めます。
ここでは一部抜粋しつつ、抗議の内容を考えていきたいと思います。
書籍版『嫌われる勇気』の内容にも、少しだけ触れていますので、原作を読んだことのない人の参考になれば幸いです。
ドラマはアドラー心理学の一般的な理解とかなり異なる
貴番組(ドラマ「嫌われる勇気」)のアドラー心理学理解は日本及び世界のアドラー心理学における一般的な理解とはかなり異なっているように思えます。
そのような一般的でない見解を、テレビのような公共的な場で、あたかもそれがアドラー心理学そのものであるかのように普及宣伝され……本学会としては困惑しております。
出典:http://adler.cside.ne.jp/common/pdf/fuji_tv.pdf ( )内補足は当サイト
ここでは、「アドラー心理学の一般的な理解」と異なると言われていることに注目です。書籍版『嫌われる勇気』と異なるとは言っていません。
岸見一郎氏はもちろんドラマ制作にあたって、刑事ドラマとしての脚本や演出に同意していると思われます。
だから学会としては、岸見一郎氏がどう考えているかはともかく、一般的な理解と全然違うよ、と抗議しているわけです。
協調性を欠いた「その考え、明確に否定します」
ドラマ『嫌われる勇気』の中では、たとえば「私はただ、感じたことを口にしているだけ」と言っている主人公を「ナチュラルボーンアドラー」としているなど、「相互理解のための努力」や「一致に到達する努力」や「意見や信念を分かちあうための努力」の側面を放棄しているように見受けられます。
「ナチュラルボーンアドラー」とは大まかにいえば、「先天的にアドラー心理学の本質を習得しているような性格・気質を持つ者」といったところでしょう。
「相互理解のための努力」に関して、香里奈演じる庵堂蘭子は協調性を欠いた性格として描かれています。確かにアドラー学会の指摘は当っており、言いがかりではありません。
ドラマ版「嫌われる勇気」では、香里奈の「その考え、明確に否定します」というセリフが毎回出てきます。
確かに書籍版の『嫌われる勇気』でも「明確に否定します」という言葉が出てきます。しかし、その文脈は、香里奈のように他人の考えを「明確に否定」するのではなく、「アドラーの教えでは、そういった一般的な考えを明確に否定する」と言うにすぎません。
香里奈の「明確に否定します」は、ほぼ個人攻撃ですが、書籍版では個人攻撃的なニュアンスは限りなく抑えられています。(それでも「青年」はいつも侮辱を感じ憤慨していますが。)
対人関係をできるだけ避ける庵堂蘭子
自分の行為の結果が他者にどういう影響を与えるかについて、いつも配慮をしなければならないと思います。ドラマの中の考え方には『他者の利害』という見方が完全に欠落している気がします。それではアドラー心理学とは言えません。
ドラマでは、香里奈演じる庵堂蘭子の「それは私の課題です」「それはあなたの課題です」というセリフが印象的です。
これは書籍版『嫌われる勇気』では、「タスク」として説明される部分にあたると思われます。
このタスクは、人生で達成するべき課題とも言えますが、それは「行動面の目標」と「心理面の目標」という2つの側面から考えられています。
- 行動面の目標
自立した生活を送れること
社会と調和して生活できること - 心理面の目標
私には能力があると感じる
人々は私の仲間だと感じる
以上が、書籍『嫌われる勇気』においては、アドラー心理学で目指される、基本的な目標と言われます。
これらの目標は、「人生のタスク」をこなしていくことで達成できると言われています。人生のタスクとは、「仕事」「交友」「愛」の3つに分類されています。
これらのタスクは、すべて「他者との関わり」に関することがらです。
人間の悩みとは、とどのつまり全て対人関係の悩みである、などと書籍版『嫌われる勇気』では言われています。
一方ドラマと言えば、ナチュラルボーンアドラーと称する庵堂蘭子は、他者との関わりを可能な限り持とうとしません。
誰も庵堂蘭子とチームを組みたがらず、終始、捜査課のチームワークを乱し、自分のペースで行動する。
ドラマにおける主人公が他者との協調性を欠いた人物として描写されている。
これでは、日本アドラー心理学会から抗議もやむを得ないといったところでしょうか。
同学会は、フジテレビおよび製作責任者に対して、同番組の放映中止または脚本の変更を求めました。抗議の要求としては、かなり大きなものでしょう。
抗議に対するフジテレビの反応
日本アドラー心理学会の抗議に対して、フジテレビがコメントを出したというニュースがあります。
フジテレビ側は「放送中止は考えていない」とし、脚本に関しては「日本アドラー心理学会からいただいたご意見も、今後のドラマ制作に生かして参ります」とコメント。
出典:https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12216-1275710/
あまり相手にしていないといったところですね。脚本に関しては、もうクランクインの段階でほとんど決まっているでしょう。
したがって、もし改変するにしても細かいセリフといった程度しかできないでしょう。全体のプロットを変更することは、実質的にほぼ不可能です。
放映中止・打ち切りになるには、恐ろしいほどの低視聴率を出すこと以外では不可能でしょう。
現在も視聴率は6%程度で、まあまあ低いのですが、これが半分の3%程度であれば、打ち切りの可能性もあったかもしれません。
「嫌われる勇気」第7話の内容と脚本修正の可能性
フジテレビは、実際に脚本を修正したか?
ドラマ「嫌われる勇気」第7話(2月23日放送)のテーマは、ぬいぐるみ爆弾事件です。
捜査課に持ち込まれたぬいぐるみの中に爆弾が仕掛けてあり、犯人は庵堂蘭子(香里奈)へ挑戦を仕掛けます。
仲間の命を賭け、庵堂蘭子(香里奈)は犯人の出したクイズを時間内に解いていくというあらすじです。
簡単に言うと「蘭子が仲間の命を助ける」という話になっています。
そして、アドラー心理学会の抗議文にも出てきた「共同体感覚」という概念にも触れています。
アドラー心理学会によれば、庵堂蘭子は協調性に欠き、アドラー心理学の重要な部分である「共同体感覚」に欠けていると指摘しています。
今回の脚本は、青山(加藤シゲアキ)を始めとした仲間が庵堂蘭子を信頼し、蘭子がその期待に応えるといった内容でした。
また、冒頭で、アドラー心理学の導師役を演じている大文字先生(椎名桔平)は、青山との会話でこう教えています。
「嫌われる勇気」と「共同体感覚」は矛盾するようで、実は共存できるものなのだ。
大文字と青山の2人の対話は、ドラマを通じて毎回挿入されているシーンです。そして、撮影もセットがあれば簡単でしょう。
「嫌われる勇気」と「共同体感覚」は矛盾しない。
大事なのは、他者に嫌われたとしても、自分が他者に貢献できているという自覚である。
というようなことを、結末で青山が話していました。(正確なセリフではありません。)
ひょっとするとこのあたり、ドラマ「嫌われる勇気」の制作陣は、本当に脚本を修正したのだろうか? と思われる箇所でした。
まとめ ドラマ「嫌われる勇気」は間違いなくアドラー心理学を普及させた
ドラマ「嫌われる勇気」は、日本アドラー心理学会からの抗議を受け、脚本修正をしたのでしょうか?
「修正した」という声明は発表されていませんが、2月23日放送の第7話を見る限り、脚本修正をにおわせるシーンやセリフがいくつか見つかりました。
まとめると以下の3つです。
- 第7話は「蘭子が仲間の命を助ける」というストーリー。
- 仲間が蘭子を信頼し、蘭子はその信頼に応えようとする。
- アドラー学会より抗議のあった「共同体感覚」という概念・用語を何度も使用し、説明している。
以上から、もしかしたらドラマの脚本修正があったかもしれない、と予想されます。
このドラマや、学会からの抗議をきっかけに、アドラー心理学について興味をもつ人が増えるといいですね。
なお、このドラマをきっかけにアドラー心理学や、書籍『嫌われる勇気』を手に取ってみるという方は、大勢いるかと思います。
そういう意味では、抗議を受けたとしても、原作をゆがめていたとしても、ドラマには一定の役割や価値があるかと思います。
「だから抗議なんかするな」という意見もあります。「学会は器が小さい」みたいな。
しかし、違うものは違うと言わねばならないと、個人的には思います。学会がそういう抗議をしたニュースを知って、原作の書籍に関心を持つ方もいるでしょう。
書籍は対話スタイルで書かれており、読み物としては非常に読みやすい本です。