アーネスト・ヘミングウェイという作家をご存知ですか?
「誰、それ?」「初めて聞いた名前だ。」と言う方に質問です。
『探偵の探偵』や『ストロベリーナイト』、『探偵はバーにいる』などの作品はご存知ですか?
「知ってる!映画で見たし本も読んだ。」という人や「タイトルだけ聞いたことがある」という人もいますよね。
実は今タイトルを挙げた作品は、ハードボイルドと呼ばれるジャンルの小説なんです。
そしてこの記事では、アメリカ版ハードボイルド小説の原点とも言える小説家アーネスト・ヘミングウェイについて紹介します。
この記事では、
- ヘミングウェイの生い立ちと生涯
- ヘミングウェイの経歴や代表作品は?
- 【エピソード】ヘミングウェイの性格が分かる面白い逸話
- まとめ ヘミングウェイはどんな人物?おすすめ書籍や映画
について紹介します!
この記事を読めば、ヘミングウェイの生涯や作品、面白いエピソードについて知ることが出来ます。
ハードボイル作品が好きという人やヘミングウェイの名前を初めて聞いた人、ハードボイル小説を知りたいという人は、ぜひ読んでみて下さい。「ヘミングウェイのこと知ってる!」という人も、もちろん大歓迎です。
それでは、記事をご覧下さい!
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ヘミングウェイの生い立ちと生涯
アーネスト・ヘミングウェイは、20世紀前半を生きた作家です。
具体的には、
- 1899年7月21日、イリノイ州のオークパークで生まれる
- 1961年7月2日、アイダホ州のケチャムにある自宅で、狩猟用の銃を使って自殺した
という61年の生涯を送りました。
自殺という衝撃的な最後を迎えた作家だったのてですが、ヘミングウェイが生きた時代を見ればどうして彼が自殺するほど追い詰められたのかが、現代人である私たちにも何となく想像がつくと思います。
まずは、ヘミングウェイがどんな人生を送った人なのかを見てみましょう!
(参考:世界の歴史まっぷ https://www.sekainorekisi.com/world-history/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E6%8B%A1%E5%BC%B5/)
ヘミングウェイは、医師の父クラレンスと母グレースの長男として誕生しました。
兄弟には、
- 1歳年上の姉
- 3人の妹
- 1人の弟
がおり、8人の大家族の中で育ちます。
これだけたくさんの子どもたちがいながら、ヘミングウェイの家庭は裕福でした。
実際、ミシガン州の北部にあるベア湖の近くに、夏の間だけ過ごすための別荘まで持っていたのです!
お金持ちすぎでしょ…。
ヘミングウェイは1921年に結婚するまで、夏が来る度にこの別荘で過ごしました。
この別荘での生活体験は、後のヘミングウェイの作品に大きな影響を与えます。というのも、
- 別荘の周りには、ベア湖の他に整備された森林があった
- 父クラレンスの趣味である釣りや狩猟を教えてもらった
- 近くにネイティブ・アメリカンの居留地があり、クラレンスは無料で彼らを診察していた
- ヘミングウェイもクラレンスに連れられて居留地に何度も行き、ネイティブ・アメリカンたちの生活に触れた
- また、近くの農場に住む兄妹と大の仲良しになった
経験をしたのです。
これらの経験がヘミングウェイの作品にどんな影響を与えたのかは、後ほど説明します。
別荘だけでなく、オークパークでも
- クラレンスが立ち上げた自然研究団体に加わった
- その活動で、近所の子どもたちと一緒に自然の中を駆け回った
- 動植物の観察と標本集めに熱中した
という屋外活動に熱中します。
アウトドアなこれらの趣味を、ヘミングウェイは生涯持ち続けました。
作家がインドア派ではなくアウトドア派というのは、何だか珍しくてびっくりしますよね?
でも、そんなヘミングウェイだからこそ書けた作品がたくさんあるんです!
次は、作家としてのヘミングウェイの経歴と彼の代表作について紹介します。
ヘミングウェイの作家としての経歴とは?
アクティブな青年に育ったヘミングウェイは、高校時代にある才能を開花させます。
その才能こそが、文才だったのです!
ヘミングウェイの若いころ。学生時代の生涯と作品
高校時代のヘミングウェイは、
- 学内新聞『トラピーズ』の記者になり、熱心に記事を書いた
- 『トラピーズ』には、1916年1月〜1917年5月の間に、37の記事を掲載
- 文芸雑誌『タビュラ』に、短編小説や詩を寄稿した
などの文筆活動を始めました。
この時、『タビュラ』には
- 3つの短編
- 4つの詩
- 1つの小説
が掲載されました。
その中でも
- 『マニトゥーの裁き』
- 『色の問題』
- 『セピ・ジンガン』
という3つの短編は、ヘミングウェイの作品として有名な部類に入ります。
それぞれ
- 少年が垣間見たネイティブ・アメリカンの生活
- ボクシングの八百長のための作戦が、色盲のスウェーデン人によって失敗する
- 主人公が、いとこを殺害したポールという極悪人のネイティブ・アメリカンへの復讐を誓い、他のネイティブ・アメリカンが飼っている犬に救われ、復讐を果たす
というあらすじです。
あらすじを見ただけで、ヘミングウェイのアクティブな趣味と別荘での経験が、短編を書くための下地になっていることが分かります。
文武両道で高校生の時から作家としての才能まで見せるなんて、才能の一部を分けてもらいたいくらいですね。贅沢すぎます。本人のせいではないのですが。
ヘミングウェイの職務経歴。ジャーナリストととして働く
すみません、話が逸れました。
1917年6月に高校を卒業したヘミングウェイは、大学へは進学せずジャーナリストの道を選びました。
この頃からヘミングウェイは「作家になりたい」とはっきり思うようになっていたのです。
そんな彼と北ミシガンで会った1人のジャーナリストが、
- 文才を磨くためには、ひたすら書くしかない
- 自分が経験したことをテーマにすることが一番だ
というアドバイスをします。
このアドバイスに従い、ヘミングウェイは1917年10月に『キャンザス・シティ・スター』紙に就職し、ミズーリ州のキャンザス・シティに引っ越しました。
そこで彼は
- 社会部の報道記者の見習いになる
- 『スター』紙の文体心得を学び、文章の基礎を確立する
成長を遂げました。
理論よりも実践で学んだんですねー。才能に奢らず努力する人なんて、天才だからと嫌いにはなれない所が心憎いです…。
ヘミングウェイは第1次世界大戦に志願するものの…
そんな中、アメリカは第1次世界大戦に参戦し、多くの若者が軍隊に志願して戦場に赴き始めます。
ヘミングウェイもそんな若者の1人でしたが、
- 軍隊の徴兵年齢は20歳9ヶ月からだった
- 左目が弱視
ということが障害となり、入隊を断られてしまいます。
ヘミングウェイは落ち込みましたが、戦地で赤十字の傷病兵運搬車の運転手になれば、障害があっても戦地に行けることを偶然知りました。
その後、
- 1918年5月、赤十字の傷病兵運搬車の運転手としてイタリアに渡る
- 7月8日、迫撃砲弾によって脚に重傷を負う
- ミラノの赤十字病院で治療を受ける
- そこで7歳年上の看護婦アグネスと恋に落ちるが、年齢差を理由にアグネスから一方的に関係を切られる
経験をしました。
ヘミングウェイは失恋で大変落ち込み、終戦後はアメリカに戻ります。
しかも、
- 父クラレンスはうつ病の発作に悩まされていた
- そのため、両親は不仲になった
- 戦争から戻ってきたヘミングウェイと母グレイスが些細な行き違いから喧嘩になった
ため、ヘミングウェイは家を出てシカゴの友人の家に身を寄せなくてはいけなくなりました。
1920年10月のことでした。
ヘミングウェイの結婚とパリでの生活
そこでヘミングウェイは記者として生計を立てながら、雑誌へ短編を寄稿していました。
そんな中、ヘミングウェイは
- ハドリー・リチャードソンという女性と恋に落ち、1921年9月3日に結婚
- 作家として活躍していたシャーウッド・アンダソンと共通の友人を通して知り合う
という出会いを果たします。
結婚したヘミングウェイはアンダソンの助言に従い、パリに住むことにしました。
1921年12月20日、パリに着いたヘミングウェイは
- 図書の貸し出しと販売を行うシェイクスピア・アンド・カンパニー書店で多くの作家たちと出会い、様々な書物に触れた
- アンダソンの紹介状を手にして、詩人のエズラ・パウンドと作家のガートルード・スタインと会い、交流を深めた
など、作家として必要な素養を身につけていきます。
その側らで、
- アメリカで引き受けていた仕事の契約を打ち切る
- ヨーロッパを周遊して記事を執筆する移動特派員の仕事を手掛ける
- 1923年10月、長男ジョンが誕生
という私生活の変化もありました。
ヘミングウェイの代表作品のあらすじ(少しネタバレあり)
1928年4月にフロリダ州に戻るまでの間、ヘミングウェイはパリを含めたヨーロッパで作家としての修行を積みます。
そして
- 1925年10月『われらの時代に』
- 1926年5月『春の奔流』、10月『日はまた昇る』
- 1927年10月『女のいない男たち』
などの作品を出版して好評となり、作家としての華々しいスタートを切り、
- 1929年9月『武器よさらば』
- 1932年9月『午後の死』
- 1933年10月『勝者には何もやるな』
- 1935年10月『アフリカの緑の丘』
- 1937年10月『持つと持たぬと』
- 1938年10月『第5列と最初の49の短編』
- 1940年10月『誰がために鐘は鳴る』
- 1950年9月『河を渡って木立の中へ』
などの作品が生涯を通して出版されます。
これらの中でも
- 『われらの時代に』
- 『日はまた昇る』
- 『武器よさらば』
- 『誰かために鐘は鳴る』
に特に焦点を当てて紹介します。
『われらの時代に』ヘミングウェイの代表作品1。あらすじと少しネタバレ
- ヘミングウェイになぞらえた少年ニックが主人公
- ニックの幼少期から結婚までが描かれる
作品です。
具体的には、
- ネイティブ・アメリカンを診察する医師の父について行った経験
- 両親の不仲
- 幼少期の失恋
- 参戦した戦場で負傷した体験
- 看護婦との恋と失恋
など、ヘミングウェイの実体験としか思えないエピソードがたくさん描かれています。
『日はまた昇る』ヘミングウェイの代表作品2。あらすじと少しネタバレ
- ヘミングウェイをなぞらえた青年ジェイク・バーンズが主人公
- 第1次世界大戦後のパリへ戦争を経験した青年たちが旅行に行き、刹那的に生きる様子が主に描かれる
作品です。
これらの作品では、
- 戦争によって今までの価値観が崩壊し、代わりになる別の価値観を見出せない若者たちの苦悩がテーマ
- 心理描写がなく、若者たちがダンスや酒、闘牛、奔放な恋愛関係に興じる様が淡々と書かれている文章が特徴
- その淡々とした文章だからこそ、ヘミングウェイの世代が感じる虚無感がひしひしと感じられる
ことが評価されています。
実際、ヘミングウェイ自身もこの虚無感を常に感じており、
- 1927年4月、ハドリー・リチャードソンと離婚
- 同年5月、ハドリーの友人であるポーリン・ファイファーと結婚
- 1940年11月、ポーリンと離婚
- 離婚と同時に、仕事仲間のマーサ・ゲルホーンと結婚
- 1945年12月、マーサと離婚
- 1946年3月、仕事仲間のメアリー・ウェルシェ・モンクスと結婚
と次々と結婚と離婚を繰り返しています。
現代日本人の感覚からしたらダメ男の典型です。
実際、ヘミングウェイは誰か自分が甘えることが出来る女性には簡単に落ちていたようです。
「って妻はお母さんじゃないよ!」と突っ込みたくなりますね。
でも、両親の不仲や戦争経験、常に虚無感を感じていたということが『日はまた昇る』を読んだら感じられます。
ヘミングウェイだけを責めるのもお門違いじゃないかと思わされる作品です。
『武器よさらば』ヘミングウェイの代表作品3。あらすじと少しネタバレ
- ヘミングウェイを重ね合わせた作家フレデリックが主人公
- フレデリックが戦場での負傷や看護婦キャサリンとの恋愛、戦場からの逃走、出産によるキャサリンの死を振り返り、語る形の文章
で描かれた作品です。
ヘミングウェイ自身の経験が元になっているのは明らかですが、他にも
- 『日はまた昇る』の若者たちが持つ虚無感の正体を突き止めるプロセス
- 瀕死状態を経験した者にしか分からない、死への恐怖感と生への希求
- 虚無感を取り払ってくれる新たな時代のヒーローを模索する姿勢
が読み取れます。
『武器よさらば』と『日はまた昇る』では、ヘミングウェイの迷いと死への恐怖が主題です。
『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェイの代表作品4。あらすじと少しネタバレ
- スペイン内戦に参戦したロバート・ジョーダンが主人公
- ロバートは味方を逃した後、1人で敵に対峙し、死を遂げる
というあらすじで、今までのヘミングウェイ作品にはない主人公像へと変化しています。
この作品では、
- 体力の衰えを感じたヘミングウェイが迫り来る自身の死を受け止めた
- そのため、有限の生よりも自身の死後も残る作品を残すことに執着し始めた
- その執着の答えとして、力強い新しい時代のヒーローを作り出した
と言われています。
作家として全盛期だった頃のヘミングウェイ作品で有名な物を挙げていきました。
では、実際のヘミングウェイのプライベートな部分はどうだったのでしょう?
ヘミングウェイは戦後、
- 常に虚無感を抱えていて、精神的に不安定
- 死への恐怖に怯えていた
という点は既に紹介しました。
これはヘミングウェイだけではなく、1928年に父クラレンスが自殺するなど、当時の風潮でもありました。
しかし、ヘミングウェイはアウトドアな趣味を持ち、アクティブな性格の男性でもあります。
そんな弱い部分を見せることは、彼のプライドが許しませんでした。
- 狩りや釣りに勤しむ
- アフリカに何回も行き、狩猟に興じるだけでなく、原住民と生活を共にした
- 第2次世界大戦では、自前の潜水艦で自主的に諜報活動をする
- また、歩兵連隊と行動を共にして、実際に連隊を指揮したこともある
姿の写真しかマスコミに撮ることを許しませんでした。
そのため、世間のヘミングウェイに対する印象は、
- ワイルドな作家
- 「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれて親しまれるほど、親しみやすい作家
と思われていました。
しかし、実際の自分とイメージとしての自分が大きく違うほど、ヘミングウェイ自身は孤独を感じます。
加えて、
- 1930年11月、交通事故で右腕を骨折
- 1934年1月、アメーバ赤痢にかかる
- 1944年5月、自動車事故で入院するほどの負傷をする
- 1947年8月から耳鳴りと高血圧症に苦しむ
- 1949年3月、片目を病気の菌に侵されて入院
- 1951年6月、母グレースが死亡
- 同年10月、2番目の妻ポーリンが死亡
- その頃には、同年代の作家仲間たちが次々と死を迎えていた
という、自分も周りも精神的ダメージを受けるような出来事が相次いで起こります。
『老人と海』ヘミングウェイの代表作品5。あらすじと少しネタバレ
そんな中、晩年のヘミングウェイは大作『老人と海』を出版しました。
この作品は、
- 漁師を生業とする老人サンチャゴが主人公
- サンチャゴが大海原でたった1人でいる時、大魚との闘いに突入する
- 3日3晩の闘いの後、サンチャゴは大魚を仕留めることに成功する
- しかし、サンチャゴが船で曳く大魚の死骸を鯨が狙う
- サンチャゴは必死に大魚の身体を守ろうとするが、鯨との闘いは虚しくサンチャゴの敗北に終わる
というあらすじです。
ヘミングウェイの生前で最後に発表された『老人と海』は、それまでのヘミングウェイ作品とは一線を引きます。
- サンチャゴは戦争とは何の関わりもなく、酒も女も賭け事もしない孤独な老人
- サンチャゴは鯨との闘いに負けた敗者であり、何の力もない1人の弱い人間
- 鯨との闘いに負けた後のサンチャゴは、「人間はひどい目に遭うかもしれない、でも負けはしないんだ。」と自分の負けを認めていない
作品の中のこれらのポイントは、晩年のヘミングウェイが
- 視点を勝者ではなく敗者と見なされる人々に向けた
- 世界には敗者は存在せず、戦争の勝者も敗者も1人の人間である
- 淡々と大魚と鯨との闘いに挑むサンチャゴは、原始的であり、人間のあるべき姿でもある
を主張したポイントだと言われています。
肉体の老化を感じていたヘミングウェイは、サンチャゴに新たなヒーロー像を見出したのです。
しかし、1954年1月24日にサファリで2度の飛行機事故にヘミングウェイは遭い、重傷を負いました。
その後、
- 悪化の一途を辿る健康状態
- なかなか執筆が進まないいくつかの作品の原稿
に悩まされ、ヘミングウェイは
- 不眠症
- 抑うつ状態
- パラノイア
- 神経症
に苦しめられ、入院を何度もしています。
1961年4月23日にヘミングウェイは自宅で自殺未遂を図りますが、妻メアリーが阻止し、再入院します。
しかし、退院後の7月2日にヘミングウェイは再び猟銃を手に取り、自殺しました。
61年の人生でした。
【エピソード】ヘミングウェイの性格が分かる面白い逸話
さて、これまで紹介してきた通り、ヘミングウェイは
- 狩りや釣り、スポーツなど、アウトドアな趣味を持つ作家
- 他の人からのアドバイスを聞き入れて実践する度量の広さを持つ
- 作品の題材には、自分自身の経験を多く使っている
- 第1次世界大戦と第2次世界大戦に積極的に参戦した
- 狩猟のためにアフリカのサファリへ好んで行った
- 「パパ・ヘミングウェイ」という愛称で親しまれるほどアクティブな作家
でした。
これらのエピソードから
- アウトドア派
- 作家になるという目標を決めたら一直線に取り組む
- 素直
- 行動的
- 親しみやすい
という性格が見えてきます。
一方、
- 戦争での被弾体験や多くの事故、病気から、死への恐怖に捕らわれていた
- それまでの価値観が通用せず、新たな価値観も掴めない世代を生きたため、常に虚無感を感じていた
- そのため精神的に不安定で、結婚と離婚を繰り返した
- しかしそんな自分の弱い姿を世間に見せたくなくて、アクティブな姿しかマスコミに撮ることを許さなかった
という姿から
- 実は神経質
- 自分の芯がはっきりと決まっていない
- 人の温もりを求め続けた
- 他人の視線を常に気にしていた
という一面も見られます。
一見豪快に見える人って、実は陰に繊細な一面を持っていることが多いんですよね。
ヘミングウェイもそんな人の1人でした。
でもこういう人って、表の顔と裏の顔のギャップからなんか惹かれるものがあるんですよね。
特に女性から見たら守りたくなるというか、母性が刺激されるというか…。
それって、もしかして私だけでしょうか…?
まとめ ヘミングウェイはどんな人物?おすすめ書籍や映画
ヘミングウェイの経歴や性格、作品について紹介しました。
ここでは簡単にヘミングウェイについてまとめますね!
- 20世紀を生きたアメリカのハードボイルド作家
- 狩りや釣り、スポーツなどのアクティブな趣味を持っていた
- 高校時代から文才を発揮し、作家を目指した
- 第1次世界大戦と第2次世界大戦を経験した
- 戦争や度重なる事故での負傷から死への恐怖を常に抱いていた
- しかし弱い自分を周囲に見せることを嫌い、「パパ・ヘミングウェイ」と親しまれるような強い男性を演じていた
- そのため、ヘミングウェイの生前のファンは彼のことを豪快な男性だと思っていたが、実際は繊細な一面を持つ人物だった
アメリカ版ハードボイル小説の原点であるヘミングウェイの作品を読みたくなりませんか?
そんな方におすすめの作品を紹介します!
- 『ヘミングウェイ全短編』(出版:新潮文庫、訳:高見 浩)…「いきなり長編を読むのは難しい。」という方は、全部で3冊あるこちらの本から手にしてみて下さい。短編でも十分楽しめる作品ばかりです。
- 『日はまた昇る』(出版:新潮文庫、訳:高見 浩)…短編を読んで「長編の方も読んでみたい。」という方におすすめの1冊です。「漠然と未来に希望が持てない。」という気分の時にも読みたくなる作品です。
- 『武器よさらば』(出版:新潮文庫、訳:高見 浩)…「恋愛要素が入っている物語を読みたい!」という方はこちらをどうぞ!戦場で芽生えた愛を貫き通す主人公たちが淡々とした文章で描かれており、ドキドキするだけではない深い感情を味わえる作品です。
- 『老人と海』(出版:新潮文庫、訳:福田 恆存)…ヘミングウェイといったら外せない作品です。短編や他の長編を読み終わり、「もっとヘミングウェイの世界を味わいたい!」という方はぜひご覧ください!
以上、「ヘミングウェイの経歴や性格はどんな人物?生い立ちやエピソードが面白い」でした!
参考文献
『ヘミングウェイ―人と文学 (世界の作家)』(出版:勉誠出版、著:島村 法夫)
『ヘミングウェイの遺作 自伝への希求と〈編纂された〉テクスト』(出版:勉誠出版、著:フェアバンクス香織)
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