東京ディズニーリゾートで活躍する蒸気船「マーク・トウェイン号」をご存知ですか?
この記事を読んでいる人の中にも、乗ったことがある人もいるかもしれませんね。
実はこの「マーク・トウェイン号」、有名な作家から取られた名前だって知ってましたか?
その作家とは、日本では「トム・ソーヤーの冒険」や「王子と乞食」などの作品で知られているマーク・トウェインという人です。
「知ってる!子どもの時に読んだ!」「本は読んでないけど、アニメや映画なら見たことがある!」と思ったそこのあなた!
マーク・トウェインのことを子ども向けの物語だけを書く児童文学作家だと思っていませんか?違いますよ?
「え〜!嘘〜!」と思うなら、この記事を読んでみて下さい。
この記事では、
- マークトウェインの生い立ちと生涯
- マークトウェインの代表作や小説は?
- マークトウェインの性格は?晩年の自伝とは
- ディズニーのマークトウェイン号の意味や由来は?
- まとめ マークトウェインはどんな人?おすすめドラマや映画、書籍
について紹介します。
この記事を読めば、マーク・トウェインの生い立ちや性格、作品について知ることが出来ます。また、子ども向け作品以外のマーク・トウェインの作品を楽しむことが出来るようになります。
「マーク・トウェインの作品は子どもじゃなくても読んでて面白そう!」「子ども向け以外の本も読んでみたい!」と間違いなく思うようになります。
ぜひご覧下さい。
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マークトウェインの生い立ちと生涯
マーク・トウェインは、19世紀のアメリカを生きました。
具体的には、
- 1835年11月30日、ミズーリ州のフロリダという集落で生まれる
- 1910年4月21日、コネティカット州のレディングという街で亡くなる
74年の生涯を送りました。
「アメリカの州の名前を言われてもピンと来ない…」という方は、下の地図を見て確認して下さい。
す
(参考:世界の歴史まっぷ https://www.sekainorekisi.com/world-history/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E6%8B%A1%E5%BC%B5/)
マーク・トウェインは、父のジョン・マーシャル・クレメンズと母のジェイン・ランプトンの6人目の子どもとして生まれました。
マークトウェインの本名や家族は?
ちなみに、マーク・トウェインというのは彼のペンネームで、生まれた時にはサミュエル・ラングホーン・クレメンズ(愛称はサム)と名づけられています。この記事では混乱を避けるため、マーク・トウェインで統一します。
マーク・トウェインが生きた19世紀のアメリカは、現代よりも医療が整っておらず、子どもを多く生んでも数人しか育たないことも珍しくありませんでした。
当然、クレメンズ家にも7人の子どもが生まれますが、大人になるまで生きたのは、
- 長男のオリオン…マーク・トウェインより10歳年上
- 長女のパミラ…マーク・トウェインより8歳年上
- 四男のサミュエル…後のマーク・トウェイン
の3人だけでした。
当時は仕方がないことだったとはいえ、悲しいことですよね…。
さて、マーク・トウェインが生きた19世紀のアメリカは、西部開拓時代です。
人々はドンドン西に移住し、より良い暮らしを求めて、住む場所や仕事を転々としていました。
クレメンス家も例外ではなく、短期間で様々な場所を転々としています。
マークトウェインの経歴。小説家になるまで
そのため、マーク・トウェインの人生を語るには、
- 人気作家になるまで
- 作家としての全盛期
- 晩年
にどこで何をしていたのかを、時期を分けて紹介していきます。
人気作家になるまで
- 1835年11月30日〜1869年7月
- ミズーリ州フロリダ→ミズーリ州ハンニバル→セントルイス州→アイオワ州マスティカン→アイオワ州キオカク→フロリダ州ニューオリンズ→ネヴァダ州→サンフランシスコ州→ニューヨーク州へと移動
- 印刷所の手伝い→ミシシッピ川の水先案内人→記者→旅行記作家へと転職
マーク・トウェインは4歳の頃、ミズーリ州ハンニバルという町に、父親の転職で引っ越します。
父のジョンは、ホテルと乾物・雑貨販売店を経営していましたが、一家の暮らし振りは貧しい物でした。
ジョンは1847年、マーク・トウェインが11歳の時に亡くなります。
その頃はすでに、長男のオリオンがセントルイス州の印刷所で見習いの印刷工(印刷を行うための技術職)をしていました。
そのため、ジョンの死後はオリオンがミズーリ州ハンニバルに戻って印刷所を開業し、一家を養うことになります。
マーク・トウェインも、15歳の時からオリオンの印刷所で働きます。
見習い印刷工としてのマーク・トウェインの仕事は、
- 週刊新聞の発行を手伝う
- 紙面の穴埋めをするために、記事を書く
ことでした。
この時に記事の執筆を手掛けたことが、物書きとしての出発点だったのです。
しかし、給料の不払いを理由にマーク・トウェインとオリオンは喧嘩をしてしまいます。
- マーク・トウェインは17歳の時に家を飛び出し、セントルイス州やアメリカ東部の印刷所で働く
- アイオワ州キオカクに移っていたオリオンの印刷所に戻って、再び兄の手伝いを再開する
- しかし1857年、マーク・トウェインは21歳の時にまたしても兄と喧嘩をして家を飛び出す
それから彼がどうしたかというと、
- 南米に行って医療用コカイン(当時は規制する法律がなく、個人が輸入して販売しても問題なかった)を仕入れ、一儲けしようと考える
- 取り敢えず、フロリダ州ニューオーリンズまでミシシッピ川を船で下った
- その時に乗った船の水先案内人と仲良くなり、水先案内人になりたいと思うようになる
という経緯を辿り、水先案内人になるために現役の師匠について、2年間の修行に励みました。
「水先案内人って何?」と疑問に思いますよね。これは、人々の移動手段が主に馬車や船だった時代特有の職業でした。
- ミシシッピ川は地形が複雑で川の流れも変わりやすかったため、船の事故が多かった
- そこで、ミシシッピ川について熟知している専門職・水先案内人を必ず1人は船に乗せた
- 水先案内人は、船の上では船長に指示を出すこともできた
- また、当時の平均年収をはるかに超える高給取り
という、少年たちにとっては憧れの花形職業だったのです。
ミシシッピ川が流れる地域について詳しく書かれている当時の地図は、こちらです。
(参考:世界の歴史まっぷ https://www.sekainorekisi.com/13%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%9C%B0%E5%9B%B3/)
マーク・トウェインは修行の後、正式に水先案内人の免許を取得します。
そして彼は月収250ドル、年収3000ドルの収入を得るのです。これを現代の日本円に直すと、何と月収150〜170万円、年収1800〜2100万円に相当します!
兄に反発して家出した弟が、大出世をしてしまったのです!
正直、運が良すぎますよね…。
これ以後、マーク・トウェインはオリオンの収入をはるかに超えたことで、一家の大黒柱となり、家での発言力が増します。
- オリオンが印刷所を廃業して法律事務所を開設した時、止めようとした(結局は止められませんでしたが…)
- オリオンの印刷所で働いていて、廃業と共に仕事を失ってしまった末弟のヘンリが船員として働けるように世話をした
しかし、水先案内人の仕事も安泰ではありませんでした。
- 1858年、ヘンリが蒸気船の爆発事故に巻き込まれて亡くなる
- ヘンリが亡くなったのは、船員の仕事を紹介した自分のせいだと、マーク・トウェインは罪悪感に駆られる
- その傷がまだ癒えない1861年4月に南北戦争が勃発し、ミシシッピ川は北部と南部の境界線に当たることで戦場になってしまう
- ミシシッピ川を通行する船は無くなり、水先案内人の仕事も無くなった
水先案内人を始めてからわずか数年で、再び仕事を失ってしまいます。
そんな中、
- 1861年、オリオンが知人のツテで、ネヴァダ州の政務長官に任命される
- しかし、ネヴァダ州への引っ越し費用は自分で準備しなくてはならなかった
- そこでマーク・トウェインは、自分をネヴァダ州へ連れて行くことを条件に引っ越し費用を出すことを提案した
- ネヴァダ州でマーク・トウェインは、『エンタプライズ紙』の記者になる
経緯を経て、再び物書きの世界に戻ります。
確かに戦場になっているミシシッピ川周辺よりも、遠く離れた西部の方が仕事があるだろうと考えるのは自然なことです。
でも、このタイミングで行くことができるなんて…。
またしても運が良いですね。
ネヴァダ州と1864年に引っ越したサンフランシスコ州では、
- 当時の西部の新聞では、読者受けを狙うために話をわざと大袈裟にしたり、ほら話っぽくすることが常識だった
- マーク・トウェインも記事を書く時に、創作を織り交ぜた「トール・テール」を書いた
- この経験が、作家としての訓練になった
- また、記事としてのペンネーム「マーク・トウェイン」を名乗る
- 物書きとして人気のアーテマス・ウォードと親しくなり、作品を発表する東部の新聞や雑誌に紹介してもらえるようになった
- 取材のために訪れた場所で、人々の間に伝わる伝承・物語を集め、後に小説の材料にした
という活動をします。
そして、
- 1865年11月、ニューヨークの『サタデイ・プレス』紙に短編小説『ジム・スマイリーと彼の飛び蛙』
- 1866年3月〜7月、ハワイに滞在してサクラメントの『ユニオン』紙に、現地の情報を書いた通信記事(後に本として出版される『ハワイ通信』)
を発表し、高い評価を受けました。
どちらも東部の新聞です。
このことで自信をつけたマーク・トウェインは、1867年1月に単身ニューヨーク州へ向かいます。
- 東部ではまだ無名に等しかったため、いきなり物書きとして食べていけなかった
- そこでマーク・トウェインは、ハワイ滞在中の出来事をネタにした講演会(ラジオもテレビもない時代の漫才劇場)を行った
- 講演会は大成功して、しばらくは暮らしに困らなかった
しかし、
- マーク・トウェインはニューヨーク州に来た時には、既に31歳だった
- そのため、早く物書きとして成功したいという焦りがあった
- 念のため、サンフランシスコ州を出る時に、滞在先から記事を送れば原稿料を貰えるフリー特派員の契約を、『アルタ』紙と結んでいた
- 本音では、『アルタ』紙よりも東部で早く作品を発表したかった
という状況でした。
そんな中、マーク・トウェインに絶好のチャンスが訪れます。
- 1867年6月〜11月にヨーロッパの地中海沿岸と聖地巡礼を船で遊覧するツアーが企画される
- ツアーのことを聞いたマーク・トウェインは、参加したくて堪らなかった
- そこで『アルタ』紙と『ニューヨーク・トリビューン』紙、『ニューヨーク・ヘラルド』紙と現地から通信記事を送る契約をして、参加費用を肩代わりしてもらった
この地中海遊覧ツアーでは、
- フランス、イタリア、ギリシア、中近東、エジプトを回った
- 悪友のダン・スロートや、マーク・トウェインが生涯つきあうことになる友人のチャールズ・ラングドン、メアリ・フェアバンクスと出会う
- 一方、ツアーを企画した団長兼船長のチャールズ・ダンカンとは折り合いが悪く、その後数十年後に裁判を起こすほどだった
という出来事がありました。
兎にも角にも、マーク・トウェインが新聞社に送った50通の通信記事は大人気になります。
その人気は、記事が『地中海遊覧記』という本として出版され、ベストセラーとなるほどでした。
こうして、マーク・トウェインは人気作家の仲間入りを果たしたのです!
作家としての全盛期
- 1869年7月〜1894年12月
- ニューヨーク州バッファロー→コネティカット州ハートフォード→イギリス→コネティカット州ハートフォード→ヨーロッパ旅行→コネティカット州ハートフォード→世界一周の講演旅行へと移動
- 作家の他に投資・会社経営も行う
さて、人気作家となったマーク・トウェインは
- 1872年2月、『西部放浪記』を出版
- 1872年8月、著作権問題でイギリスに渡る
- 1873年12月、『金メッキ時代』を出版
- 1876年12月、『トム・ソーヤーの冒険』を出版
など精力的に活動します。
また私生活でも
- 1870年2月、チャールズ・ラングドンの姉であるオリヴィア・ラングドンと結婚し、ニューヨーク州バッファローに移る
- 8月、オリヴィアの父のジャーヴィス・ラングドンが亡くなる
- 11月、長男ラングドン・クレメンズが誕生
- 1871年10月、コネティカット州ハートフォードに移る
- 1872年3月、長女オリヴィア・スーザンが誕生
- 6月、長男ラングドンが亡くなる
- 1874年6月、次女クララが誕生
という変化が起こります。
当時のマーク・トウェインは、まさに人生の絶頂期で、
- 1872年8月に著作権問題の争いでイギリスに渡った時に大歓迎を受けるほど、イギリスでも人気があった
- 結婚相手のオリヴィア・ラングドンは大富豪の娘で、新聞社の共同経営権を手に入れた
- コネティカット州ハートフォードでは、順調に売れた本の印税で豪邸を建て、家族と共に優雅な暮らしをした
成功と言える生活を送ります。
途中で子どもたちの死という悲しい現実にも直面していますが、作家としては申し分ない成功です。
しかし同時に、ここからマーク・トウェインは転落への道を歩み始めてしまいます。
- 豪邸の建築費用、投資に使った金額、使用人への給料、困窮していた兄・オリオンへの援助などの度重なる出費
- 1876年12月に『トム・ソーヤーの冒険』を出版したが、それまでの旅行記とは違う作品だったため、売れ行きが伸びず、印税が減る
- そのため、それまでの裕福な暮らしを続けることが困難になった
- そのため、一家揃ってヨーロッパを旅行して紀行文を書き、印税を得ようとした
- 帰国後の1880年3月、『ヨーロッパ放浪記』出版
- 出版会社と仲たがいしたことで、自分で出版社「チャールズ・L・ウェブスター社」を経営
- 更にペイジ植字機という印刷機に出資
- 1882年1月『王子と乞食』、1883年5月『ミシシッピの生活』を出版したが、売れ行きは悪い
- 生活費のため、4ヶ月間の講演旅行に出かける
作品としては
- 1885年2月『ハックベリー・フィンの冒険』
- 1889年12月『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』
- 1892年『アメリカの爵位権主張者』
- 1894年12月『まぬけのウィルソンとかの異形の双生児』
など後世に名を残す作品を多く書いています。
しかし、これと反比例するように
- 1890年10月、母親のジェーンが亡くなる
- 1891年6月、豪邸での生活ができなくなり、一家でヨーロッパに移り住む
- 1894年4月、「チャールズ・L・ウェブスター社」倒産
- 1894年11月、ペイジ植字機の実用化に失敗
と私生活はドンドン悪くなってしまいます。
そして、マーク・トウェインの手に残ったのは、7万ドルの借金だけでした。
晩年
- 1894年12月〜1910年4月21日
- 借金完済のための講演旅行、本の執筆をする
- 家族への不幸が襲いかかり、暗い晩年を過ごす
さて、後世に残る作品を残しながらも、莫大な借金を抱えてしまったマーク・トウェインは、巻き返しを図ります。
何と
- 60歳を目前にして世界一周講演旅行に出る
- その収益と旅行記の印税を借金返済に充てる
という計画を立てます。
そして1895年7月から1年間、家族と共に船に乗り込み、計画を実行します。
この時60歳ですよ…。凄すぎ。
この世界一周講演旅行では、
- オーストリア周辺
- インド
- 南アフリカ
などに初めて行き、この時の体験を旅行記『赤道に沿って』で出版します。
- 『赤道に沿って』は大好評になる
- 印税で借金を全額返済
- 生活に余裕が出て、執筆活動に専念できた
この時、マーク・トウェインはアメリカには戻らず、ヨーロッパで執筆活動を続けていました。
創作意欲はますます活発になり、
- 1899年12月「ハドリバーグを堕落させた男」を『ハーパーズ・マガジン』に発表
- 1905年『レオポルド王の独白』を出版
- 1906年、伝記の口述を開始。『人間とは何か』を250部限定で出版
- 1907年、『クリスチャン・サイエンス』を出版。6月、オックスフォード大学名誉博士号を授与される
などの活躍を見せます。
一方、私生活の方では晩年特有の翳りが出始めました。
- 1896年8月、長女スーザンが24歳で病死
- 1897年12月、兄オリオンが72歳で亡くなる
- 1900年10月、トウェイン一家はアメリカに帰国
- 1904年6月、妻オリヴィアが58歳で亡くなる
- 1909年10月、次女クララが結婚。12月、三女ジーンが29歳で事故死
マーク・トウェインの子どもたちのうち、次女のクララ以外は若くしてなくなり、妻にも先立たれてしまいます。
そして、マーク・トウェイン自身も1910年4月21日に、胸の病で亡くなります。
74歳の激動の生涯でした。
マークトウェインの代表作や小説は?
ではここから、マーク・トウェインの代表作について見ていきましょう!
すでに説明したように、マーク・トウェインは
- 旅行記作家
- 小説家
- 講演者
としての側面がありました。
ここでは、それぞれの分野の作品について簡単に紹介していきます!
旅行記作家
『ハワイ通信』
- 1866年3月〜7月にハワイに滞在したマーク・トウェインが、現地での出来事をサクラメントの『ユニオン』紙に通信記事として送った
- この時の合計25編の記事を後でまとめて出版した作品
- 当時のハワイで起きた出来事や事件が生き生きと伝わってくる
『地中海遊覧記』
- 1867年6月〜11月の遊覧旅行記で、ヨーロッパや地中海でマーク・トウェインが経験した出来事が面白おかしく描かれている作品
- 多少の誇張が入っていて、時々有り得ないような冗談も入れられており、読んでて思わず笑いが込み上げてしまう
『西部放浪記』
- 大陸横断鉄道が完成する前の駅馬車での西部への旅が描かれている
- 悪名高い無法者やモルモン教、銀採掘、西部での記者時代の話など、『ハワイ通信』に繋がるまでの作者の半生を語った作品
- とは言っても、真面目な自伝という訳ではなく、マーク・トウェイン特有の誇張された文章があちらこちらにある
- それらの文章を探してみるのも面白い旅行記
『ヨーロッパ放浪記』
- 1878年4月〜1879年2月までヨーロッパを回った時のことを題材にした旅行記
- 友人であるトウィッチェル牧師と共に旅行をした
- トウィッチェルは相棒ハリスとして登場する
- 各地の伝説や昔話、見聞きしたことなどが盛り込まれている
- そのため、旅行記はあまり読まない人でも面白く読める作品だ
『ミシシッピの生活』
- 水先案内人をしていたマーク・トウェインの回想記
- マーク・トウェインがミシシッピ川周辺でどのような生活をしていたかがよく分かる
- 同時に、ミシシッピ川の歴史が紹介されている
『赤道に沿って』
- 1895年7月〜1896年7月までに行った世界一周講演旅行を題材にした旅行記
- 当時のオーストラリアやニュージーランド、インド、南アフリカの現状がよく分かる
- マーク・トウェインは植民地支配に憤っている
- 同時に、現地の風習への批判も欠かしていない
小説家
『王子と乞食』
- 1547年のイギリスが舞台
- 瓜二つの王子エドワードと貧民のトムは衣服を交換して入れ替わる
- 貧民として扱われたエドワードは、世の中を知り成長していく
- エドワードが宮廷に戻るまでの3週間の冒険物語
- マーク・トウェインがシェークスピアの影響を受けていたことがよく分かる小説
『ハックルベリィ・フィンの冒険』
- 『トム・ソーヤーの冒険』で放浪する友人だったハックが主人公
- 窮屈な養い親から逃げ出したハックと所有者から逃げ出した黒人奴隷のジムが、力を合わせて何とか逃げ切ろうとする物語
- 当時は当たり前だった黒人奴隷への疑問をマーク・トウェインが抱き、痛烈に批判している
『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』
- コネティカット州出身のハンク・モーガンはアーサー王時代のイギリスにタイムスリップしてしまう
- 現代の知識と技術を駆使して、アーサー王伝説を面白い内容に変えていく
- しかしアーサー王が最後を迎える場面で、当時の作者の暗い境遇を想起させるエンディングを迎える
講演者
『マーク・トウェインのスピーチ集』
- マーク・トウェインが講演会で話した面白い話をまとめた作品
- 旅行記を書くために巡った旅行での出来事を、誇張を交えた彼自身の口調で語っている
- 読んでいて、文章だけではなく実際の舞台も見たくなるようなスピーチ集だ
マークトウェインの性格は?晩年の自伝とは
ここまで、マーク・トウェインの人生や作品を見てきました。
彼は見ての通り、
- 話を面白い内容に誇張して語ることが上手
- 度が過ぎて反発を買うこともある
- 一度仲が悪くなった人間とは、絶交したり、何年も訴訟騒ぎを起こしたりなど、対人関係への柔軟性はない
- 投資で成功することにこだわり、何度も投資をしては失敗し、莫大な借金を抱える
一面がありましたが、
- 活動的で旅行記や講演会のネタのためによく旅行に行った
- 本当に心を許した人間とは、一緒に旅行に行くほど仲が良かった
- 常識に囚われない価値観を持っており、当時の社会情勢を痛烈に批判した
という魅力的な一面もありました。
ただ、話を誇張して脱線をしてしまうことはよくあったようで、彼のこの特徴がよく表れているのが、実はマーク・トウェインの自伝なんです。
マーク・トウェインの作品は、
- 結婚後、妻のオリヴィアが最初に読んだ
- そこで修正した方が良い文章を見つけたら、マーク・トウェインに書き直させた
- また、マーク・トウェイン自身も積極的にオリヴィアの批評を確認した
ため、下品な表現や横道に逸れる話は少なくなっていました。
しかし、
- 1904年1月、オリヴィアが亡くなる
- 1906年、マーク・トウェインが伝記の口述筆記を始める
経緯のため、伝記はオリヴィアの修正を受けませんでした。
そのため、
- 誇示されたような自慢話
- 嫌いな人間への非難・悪口
- 老人の繰り言
が満載の内容になってしまいました。
マーク・トウェインを研究している人の本の内容と読み比べてみると、どこが現実と違うのかよく分かるんですけどね…。
きっと歳を重ねてから、ますます頑固になってしまっていたのでしょうね。
ディズニーのマークトウェイン号の意味や由来は?
ところで皆さん、「本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズなのに、どうしてペンネームを『マーク・トウェイン』にしたの?」と不思議に思いますよね。
実はマーク・トウェインというペンネームは、
- 酒場で客が2杯目の酒を注文した時に、バーテンダーが勘定をする店の下働きに叫んでいた合言葉
- 主に、ネヴァダやカリフォルニアの酒場で使われていた
- 「マーク・トウェイン」という言葉の響きが気に入り、ペンネームにした
のではないかと言われています。
「本とかに全然関係ない名前じゃん!」と突っ込まないで下さい。
強いて言えば、ちょっとだけ関係があるんですよ!
「トウェイン」という言葉は
- 『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリィ・フィンの冒険』などの舞台になったミシシッピ川の水先案内人たちも使っていた
- 意味は「水深2尋(12フィート、約3・6メートル)」
- 「船を航行するのに、これ以上浅瀬を行くと危険だ」と知らせるかけ声
なんです!
無理矢理ですが、作品の発想に結びついた作者自身の経歴にも関係があるんですよ!
ちなみに、東京ディズニーリゾートで活躍する蒸気船の名前が「マーク・トウェイン号」なのも、マーク・トウェインが蒸気船の水先案内人だったと考えると納得が行きますね。
本当はウォルト・ディズニーがマーク・トウェインの作品である『トム・ソーヤーの冒険』が好きすぎて付けただけの名前なんですけどね!
まとめ マークトウェインはどんな人?おすすめドラマや映画、書籍
マーク・トウェインの性格と経歴、面白いエピソード、作品について紹介しました。
最後に、マーク・トウェインについて簡単にまとめておきますね!
- 19世紀に生きたアメリカの、旅行記作家、小説家、講演者
- 印刷工、ミシシッピ川での蒸気船の水先案内人、通信記者を経て、初めは旅行記作家としてデビューした
- 会社の経営、発明の投資に取り組んだ時期もあるが、ことごとく失敗して借金を抱えた
- 借金返済のために講演旅行を行い、旅行記を執筆して印税を稼いだ
- 一所に落ち着くことなく、アメリカ国内やヨーロッパの様々な地域に住み、頻繁に旅行した
- 日本で有名な『トム・ソーヤーの冒険』は、出版当時あまり評判は良くなかった
- 興味があることには何でも取り組む旺盛な好奇心
- 人の好き嫌いが激しく、度々まわりとトラブルを起こしていた
- 話を面白おかしく盛ることが上手
- 強運の持ち主で、借金や周囲とのトラブルを抱えるたびに妻や仕事仲間に助けられ、人生の最後には全てのトラブルを清算していた
マーク・トウェインは、それまでヨーロッパの模倣でしかなかったアメリカの文学を、アメリカ特有の文学に発展させた作家だと言われています。
本人はそんな大きなことをしてやろうという気はなく、ただ気の赴くままに執筆活動をしていました。
しかし、結果的にマーク・トウェインは、アメリカ文学の方向性を切り開いたパイオニア作家となったのです!
そんなマーク・トウェインの作品をもっと知りたいという方のために、おすすめのドラマや映画、書籍を紹介します。
マークトウェイン関連映画おすすめ作品
- 『トム・ソーヤー&ハックルベリー・フィン』(監督:ジョー・カストナー 制作会社:ラインコミュニケーションズ)…『トム・ソーヤーの冒険』と『ハックベリー・フィンの冒険』の内容を1本にまとめた映画です。「手軽にマーク・トウェインの作品を楽しみたい。」という方に、お薦めの作品です!
- 『ナイト・フロム・ザ・フューチャー 時空を越えた騎士』(監督:ラルフ・トーマス 制作会社:)…『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』を映像化した映画です。中世ヨーロッパへのタイムスリップ、魔法を使うファンタジー物が好きな人は、ぜひ1度見て下さい!
マークトウェイン関連本おすすめ作品や読む順番
お薦めの作品と読む順番は、
1 日本で有名な作品
- 『マーク・トウェイン コレクション 6 トム・ソーヤーの冒険』(訳:柿沼孝子、解説:常盤新平、出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 7 ハックルベリィ・フィンの冒険』(訳:山本長一、解説:平石貴樹、出版:彩流社)
2 歴史小説
- 『マーク・トウェイン コレクション 5 ミステリアス・ストレンジャー44号』(訳:山本長一、佐藤豊 解説:有馬容子 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 13 王子と乞食』(訳:山本長一 解説:エヴァレット・エマソン 出版:彩流社)
- 『マークトウェインコレクション 16 アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』(訳:砂川宏一 解説:ルイス・J・バッド 出版:彩流社)
3 19世紀社会への風刺作品
- 『マーク・トウェイン コレクション 1 まぬけのウィルソンとかの異形の双生児』(訳:村川武彦 解説:勝浦吉雄 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 3 地球からの手紙』(訳:柿沼孝子、佐藤豊、吉岡栄一 解説:桝田啓介 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 9 細菌ハックの冒険』(訳:有馬容子 解説:巽孝之 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 12 アメリカの爵位権主張者』(訳:三瓶眞弘 解説:ピーター・メッスン 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェインコレクション 19 金メッキ時代(上)(下)』(著:マーク・トウェイン、C. D. ウォーナー 訳:柿沼孝子、錦織裕之 解説:G.キャムフィールド 出版:彩流社)
4 旅行記
- 『マーク・トウェイン コレクション 2 ミシシッピの生活(上)(下)』(訳:吉田映子 解説:金谷良夫 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 8 ヨーロッパ放浪記(上)(下)』(訳:飯塚英一、松本昇、行方均 解説:池内紀 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 10 地中海遊覧記(上)(下)』(訳:吉岡栄一、錦織裕之、飯塚英一 解説:亀井俊介 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 11 西部放浪記(上)(下)』(訳:木内徹、吉田映子 解説:ヘンリー・B・ウォナム 出版:彩流社)
- 『マーク・トウェイン コレクション 14 赤道に沿って(上)(下)』(訳:飯塚英一 解説:フレッド・キャプラン 出版:彩流社)
- 『マークトウェインコレクション 15 ハワイ通信』(訳:吉岡栄一 訳:佐野守男、安岡 真 出版:彩流社)
がお薦めです!
「3、4は難しそう…。」と思う方は、1と2だけでも十分楽しめるので、ぜひ読んでみて下さい。
以上、「マークトウェインの生涯と性格はどんな人物?晩年や自伝、代表作品の解説」でした。
参考文献・ウェブサイト
【蒸気船マークトウェイン号】徹底解説!ディズニーランドで楽しめる船!:
『旅行記作家マーク・トウェイン―知られざる旅と投機の日々』(著:飯塚英一 出版社: 彩流社)
『評伝 マーク・トウェイン I: アメリカ建国と作家の誕生』(著:飯塚英一 出版社: 彩流社)
『マーク・トウェイン コレクション 20 マーク・トウェイン新研究 夢と晩年のファンタジー』(著:有馬容子 出版社: 彩流社)
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特に末尾の「お薦めの作品と読む順番」は必見です