高等遊民の意味と由来を漱石の小説作品から辿る!結婚が当時の条件だった?

高等遊民という言葉は、いったい何?

 

このブログでわたしは高等遊民と名乗っていますが、正確な言葉の起源は知りません。

そして、私にとっては誰でも知ってる言葉と思ってましたが意外にそうでもないということを最近知りました。

 

一般的な説明としては、月9ドラマ『デート』における谷口巧(長谷川博己)の説明で十分です。

明治から昭和初期にかけてよく使われていた言葉だ。高等教育を受けながらも職につかず、読書などをして過ごす人のことだ。

漱石の『それから』における長井代助、『こころ』における先生などが、その代表例だ。

基本的には、上記の説明で意味は通じています。

だけど、正確に知りたいと思い、調べてみました。

ポイント・おもしろい点は3つほど。

 

  1. 高等遊民は漱石の造語じゃない
  2. 漱石の中で高等遊民という言葉が使われたのは『彼岸過迄』だけ
  3. 高等遊民は実業家よりも家庭的

 

3番がなかなかでしょう?

では、色んな本をちょくちょく引用しながら語っていきますね~。

全体の論調で参考にしたのは下記。

長島裕子「『高等遊民』をめぐって――『彼岸過迄』の松本恒三」(『夏目漱石ー反転するテクスト』所収)

 

高等遊民という言葉の起源

まず、芥川龍之介にご登場頂きます。

「撮ってゐる」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行はれるやうになったのは夏目先生から始ってゐる。

芥川龍之介

 

芥川龍之介はこのように言ってます。

ところが、高等遊民という言葉は、漱石が作った造語ではありません。

漱石以前に、社会問題として、高等遊民という存在が取り上げられたのです。

それが明治44年頃。1911年です。

明治後期に、高等教育を受けても、適当な働き場所がなく、失職困窮している人の社会問題として高等遊民があった。(中略)

糊口(ここう)のために奔走することなくもっぱら自己の知性教養を高めることができる境遇にいる人。精神的貴族。

『夏目漱石必携』より

 

ちなみに芥川龍之介が嘘言ってるのかというと、違います。「文壇上で使われるようになったのが夏目先生から」と言っているので、上記の社会問題の存在とは矛盾しません。

 

夏目漱石は自分の作品の中で高等遊民という言葉を使ったのはたった1つだけです。それが『彼岸過迄』に登場する松本恒三に対してだけです。

  • 漱石が『彼岸過迄』を書き始めたのは、明治44年の暮れ。
  • 作品の舞台設定は、明治44年の秋~翌年の春といった数か月の間です。

 

漱石が高等遊民という言葉を用いた箇所

『彼岸過迄』のある場面を読んでみましょう。

松本「……田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民こうとうゆうみんでないからです。いくらひとの感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」

敬太郎「実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか」

松本「文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」

夏目漱石『彼岸過迄』より

 

本当の意味で、という念押しがありますね。

この本当の意味というのは、いったいどういう意味なのでしょうか。

 

高等遊民は明治時代にも高学歴ニートの危険人物と見なされていた

高等遊民問題は、社会上最も重要な問題であったと言われています。

当時の知識人たちは高等遊民についてこのように説明します。

 

高等遊民肯定派の意見:文学的な視点

山路愛山

  • 「その時代に勢力を得ない……時代の反抗者、呪詛者」
  • 「実務の批評家」

 

木下尚江

  • 「高等教育を受けた人間はみな高等遊民」
  • 「それが問題化しているのは、少ない権力の座をめぐって競争が激しくなっているからだ」

 

内田魯庵

  • 「知識のある高等遊民は、その国の文明として喜んで良い」
  • 「高等遊民の出来るのを恐れて教育の手加減をするなどは愚の極」

 

山崎紫紅

  • 「一国文化の上から見ると、貴重すべきもの」
  • 「空論議やブレーキと思うような研究に従事することが高等遊民の値打ち」

 

ほとんど誰だか分かりませんね。。。

彼らは高等遊民に憧れとかを持っているような感じなので、かばう論調ですね。

 

高等遊民反対派の意見:経済的な視点

一方の反対派は経済の立場から、ムダを指摘します。

 

東京日日新聞

「高等遊民続出の傾向は政府当局の最も恐れるところ」

「いやしくも高等教育を受けた相当の紳士が、単に職業なきの故を以て危険人物の代名詞とみなされる高等遊民の名をもって呼ばれることは、耐えがたき1つの侮辱であろう」

 

「危険人物の代名詞」とのこと。

こんな風にも、見なされていたんですね。

 

彼岸過迄の高等遊民は結婚が当然だった?

『彼岸過迄』の高等遊民の記述をもう少し読んでみましょう。

先ほどの続きです。

敬太郎という人物が、高等遊民を自称する松本という人物にあれこれ質問する場面です。

自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風采ふうさいなり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。

「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」
敬太郎はみずから高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。

すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。

「奥さんは……」
さいは無論います。なぜですか」
敬太郎は取り返しのつかないな問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。

「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」
「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」
「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」
「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」

高等遊民にとって奥さんは「無論いる」

驚きですね~。しかも「なぜですか」って。

今だったら、「無論いません。なぜですか」ですよね。

 

・高等遊民=家庭的に暮らせない

というのが敬太郎のイメージ。これは私もあなたも同じイメージではないですか?

それに対して、高等遊民である松本は、「高等遊民は田口などよりも家庭的」と答えます。

田口とは、実業家です。

まあ、家にいるからですかね~。

 

とっても面白い『彼岸過迄』の続きはAmazonで読んでくださいませ!

 

漱石の職業観「道楽と職業」の要約

ここで少し話題を変えて、夏目漱石の職業観を読んでみましょう。

職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。

職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。

ただここにどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科学者哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでも見做みなすよりほかに仕方がないのです。

(科学者などは)まあ大体から云うと自我中心で、く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいです。

彼らにとっては道楽すなわち本職なのである。

要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。

夏目漱石『道楽と職業』より

この公演では小説家は明らかに芸術家と同じように扱われています。

小説家は職業は道楽となっているようなもの、と語っています。

楽しそうな語り口です。

 

とはいえ、漱石は別の個所では、小説家として生計を立てる自分を嘲笑したりします。

たまたま文芸を好んで文芸を職業としながら、同時に職業としての文芸をんでいる余のごときもの

『思い出すこどなど』より

うーーむ。漱石の心は複雑です。

 

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まとめ

高等遊民の言葉の意味や由来を追ってみました。

 

  • 意味:高等教育を受けながらも職につかず、読書などをして過ごす人のこと。
  • 由来:明治44年の社会問題を漱石が『彼岸過迄』で取り上げた

 

まとめるとこんな感じですね。

ちゃんとあなたの知りたいことに答えて、ご満足させることができたでしょうか?

わたしは高等遊民なので、現代における高等遊民の生き方などを、別の機会に語りたいと存じます。

 


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