哲学は役に立つのか?
アマチュアの私たちが関心を持つのは、この部分です。
実践哲学といえば、ストア派です。
「私たちは命の短さを嘆くわりには、大したことに命を使っていません」(セネカ)
この記事では、ストア派という実践哲学が、
学問研究の分野において、どのように扱われているかを、
とってもざっくり解説します。
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ストア派の教えについての解説は9割以上「もう読めない本」から構成されている
ストア派の学説解説って、9割以上ヘレニズム時代の初期ストア派の断片から構成されています。
ローマ期のセネカ・エピクテトス・マルクスアウレリウスはおまけ程度に触れられるのみ。
しかし、近代以降の影響史としてはこの3人のほうがはるかに重要なのです。
結局、いまの学問研究の世界では、ローマ時代のストア派を中心とする実践哲学を扱うことはできないのだ。
彼らは現代の学問研究の手には余って、ビジネス書とか自己啓発書といった分野に利用されています。
しかし、本来は「もう一段高いレベル」で扱えるはずなのです。
ローマ時代のストア派を学問しようと頑張る学者たちの紹介
実践哲学を扱おうとちょっとがんばった学者もいます。
1人は有名なフーコー。
「性の歴史」シリーズは、
- ストア派
- エピクロス派
- 懐疑主義
といったヘレニズム哲学の「実践哲学領域」を「学問として扱おうとする」きわめて興味深い作品です。
もうひとりは、ピエール・アドという学者。
この本、じつはフーコーが「性の歴史」シリーズを書くにあたって、
めちゃめちゃ参考にしている本なのです。
どちらもフランス人なんです。
アドという方は、マルクスアウレリウスの『自省録』について何とか扱おうと努力しました。
このあたりの紹介は、荻野弘之さんというギリシア哲学研究者の本でわかります。
荻野さんの『自省録』の解説書。
これで、現在のローマ期ストア派を扱う学問研究のレベルがわかります。
マルクス・アウレリウス『自省録』―精神の城塞 (書物誕生―あたらしい古典入門)
学問研究としての『自省録』のレベルは、どうなのでしょうか。
まあなんか頭こねくり回しています。
色々「読みの戦略」とか、「統一的な読み方」
こういったことについて、策をこらしているといったところ。
的に当たるまでは、あと100年か下手すりゃ500年はかかるだろうという印象です。
実践哲学は、学問なんだけど学問じゃないという微妙な点があるのです。
デカルトも実践哲学として読むべきです
デカルトも直接ストア派に多大なる影響を受けました。
この『省察』は学問的な研究が非常に進んでいます。
しかし『省察』も、我々アマチュアに言わせれば、あれはまさに実践哲学です。
序文でデカルトは言います。
「私とともに省察してほしい」
このデカルトの言葉を、
文字通りのものとして、真摯なものとして受け止めるのが、アマチュア哲学です。
プロの哲学研究では、こんなところは無視します。