マルコムX(マルコムエックス 1925-65)とは、アメリカにおける公民権運動の時期に活躍した、イスラム教グループの幹部です。
公民権運動といえばキング牧師(=キリスト教)のイメージが第一に浮かびます。
しかしアメリカにおけるイスラム教グループの果たした役割もまた非常に大きなものでした。
彼らの存在がなければ、バス・ボイコット運動を発端とした人種差別反対運動が、全米・全世界を巻き込む公民権運動として、これほど大きなうねりとなることはなかったでしょう。
前回は、マルコムXの生い立ちと、刑務所における猛勉強、兄弟たちからの手紙によるイスラム教への入信を見てきました。
今回は、そのマルコムXが入信したイスラム教宗教団体であるNOI(Nation of Islam)について書いていきたいと思います。
NOIの創始者ウォレス・ファード
ネイション・オブ・イスラムとは、アメリカの黒人イスラムの宗教団体です。
1930年にウォレス・ファード(Wallace D Fard 1877-1934?)により設立されました。
教義体系としては、イスラームの伝統的な教義と、ブラックナショナリズムの思想を取り込んだものです。
ファードは1930年、デトロイトにイスラーム寺院とイスラーム系の大学を設置。
またFOI(Fruit of Islam)という自衛軍のようなものも組織しました。
ブラックナショナリズムとは
ブラックナショナリズムとは特に1960-70年代に活発となった政治・社会運動です。
起源は1920年代マーカス・ガービー(Marcus Garvey 1887-1940)の提唱でした。
彼はUNIA(Universal Negro Improvement Association)という団体を設立し、黒人たちに経済的自立、共同意識、将来への明るい希望を持たせようと活動しました。
ブラックナショナリズムのスローガンは「ブラック・パワー “black power”」と「『黒』は美しい “black is beautiful”」
いずれも黒人自らに誇りを持たせ、自助努力を助長するものでした。
そしてブラックナショナリズムの目指すところは白人社会からの「分離」
ガービーはアフリカへ帰ろうという運動をしていた。
アメリカ国家による白人との「融合」は白人の支配にほかならないと考えました。
これはちょっと驚きです。差別撤廃というと、わたしたちは「融和」「和解」などというイメージをしがちですが、そうではない。むしろ「分離」することによって差別が生じない環境を作りあげようというのです。
この問題については、マルコムも言及しています。
1959年頃、あるパネルディスカッションの番組にマルコムが出演しました。
そこでの討論相手がマルコムに
「なぜ融合という方向に向かわないのか、分離を望むことは人種差別論者やデマゴーグ(民衆扇動家)と同じではないのか。」
という質問をしたところ、次のように答えています。
まともな黒人なら白人たちのいう融合が名ばかりのものであることを知っているし、それ以上のものを与えてくれるだろうと信じている者はいない。
西欧社会によって虐げられている黒人が救われる道は分離のみである。われわれ(NOI)は差別に対しては白人たちよりずっと反対している。
分離と差別はまったく別物だ。差別とは生命と自由とが、だれかほかの者によって支配を受けていることだ。しかし、分離は自由意志で、対等な二者によってなされるものだ。これらは皆イライジャ・ムハマド導師の教えである。(『マルコムX自伝』 p308-309(一部改変))
マルコムXがいかに優れた現実感覚・政治的センスを身につけているかがわかります。
マルコムの師 イライジャ・ムハマド
マルコムの師であるイライジャ・ムハマドは、ウォレス・ファードの側近でした。
1934年にファードが死亡(失踪とも)した後、イライジャ・ムハマドがNOIの指導者となり、ファードを「預言者」であったと説くようになります。
ファードには強力な指導力と一本に貫かれた教義が欠けていたが、イライジャ・ムハマドはそれを補うには十分な知識と能力を持っていました。
イライジャ・ムハマドは日常生活でのイスラーム教義を多く取り入れ、豚肉を食べること、タバコ、アルコール、違法薬物使用を禁止しました。
それは単なる教義体系の整備に留まらず、黒人の文化的な生活水準を上げようとする努力でもありました。
NOIの歴史観
マルコムが刑務所に居た頃、NOIの熱心な信徒であった兄弟たちが、NOIとムハマドについて話すのを彼はよく聴いていました。
イライジャ・ムハマド及びNOIの歴史観として「黒人についての真実の知識」と「ヤカブの歴史」というものがあります。
『マルコムX自伝』に詳しくあるので大意を要約してみました。
今の歴史は白人が作った歴史書で、黒人はそれに洗脳されている。最初の人間は黒人であり、彼らは聖なる都市メッカを建設し、発達した文明、文化を持っていた。
およそ6600年前、ヤカブという子が生まれた。ヤカブは災いを生み、平和を破り、殺すために生まれてきた。ヤカブは科学者となり、人種の科学的改良を学んだ。やがてヤカブは説教をはじめ、多くの人々を改宗させると、脅威を感じた当局に追放されてしまう。
追放されたヤカブはアラーに対して激しい憎しみを抱き、その復讐として、悪魔の種族、白人を創造しようと計画したのである。白人を作るためには長い時間をかけて肌の色を薄めなければならない。ヤコブも死に、完全な白人が出来上がったのはおよそ800年後のことであった。四つんばいで歩く野蛮人であった白人が黒人たちに交じって生活できるようになったのは更に600年後のことである。
そして黒人と交わるようになった白人は、嘘を武器に黒人同士を争わせ、地上の楽園であったメッカを憎しみと争いの地獄に変えてしまう。
白人の危険性に気付いた黒人は白人たちを捕らえ、ヨーロッパの洞窟へと閉じ込めた。2000年後、白人を洞窟から出すために、アラーはモーゼやイエスを遣わした。アラーは外へ出た白人は6000年にわたって世界を支配すると予言した。外へ出た白人たちはイスラームの教えを歪め、ユダヤ教、キリスト教を作り出し、世界を支配し、白人ではないあらゆる人種を略奪し、殺戮し、陵辱し、搾取してきた。黒人を捕らえ、人身売買にかけ、奴隷として働かせた。その際に、黒人のもともとの高貴な性質についての知識を一切取り除いてしまった。
アメリカでは奴隷所有者が黒人奴隷女を強姦し、肌が薄まった「新しい種族」が生まれた。白人はこの種族を「ニグロ」と呼び、自分の姓を与えた。
更に白人はニグロにキリスト教を教えた。キリスト教はニグロたちに、黒は呪いであり、白いものはすべて善であると教えた。
(『マルコムX自伝』p216-221)より
いかがでしょうか、この歴史観。非常に奇異なもの・危険なものと感じる方が多いかと思います。
しかし、そう感じる根拠というのは、単に私たちが、旧約聖書・新約聖書によって示された世界観に慣れ親しんでおり、その世界観を知らず知らず受け入れてしまっているからではないでしょうか? もちろん、明らかに後代の創作の感・とってつけた感がありますので、こんなのは日本の私たちにとっては受け入れようとしたって難しいのですが。まあしかし、この歴史観に心動かされた当時の人々もいたという現実を理解することのほうが重要です。日本に住む私たちがこの歴史観を受け入れようが拒否しようが、何の意味もありません。
その後のNOI
さて、イライジャ・ムハマドは、上記の歴史観のように「白人は悪魔」という主張をするようになり、多くの信徒たちがこれを信じました。
その後、第二次世界大戦時に信徒たちが兵役を拒否したためにNOIは抑圧されてしまいましたが、マルコムXの活躍などにより50-60年代に再び勢いを取り戻します。しかしながら、そのマルコムとは、のちに袂を分かつことになります(それはまた別の記事で扱う予定)。
マルコムの死後(1965)、イライジャ・ムハマドはこの分離主義的な言動を控えるようになり、1975年にイライジャ・ムハマドが死去すると、息子のウォレスが後継となります。マルコムとイスラム正統派の教義に深い影響を受けていたウォレスは、NOIを正統派イスラム教に改革するべく動き出しました。
NOIを”World Community of al-Islam in the West”と改称し、「白人は悪魔」や黒人優越説、ファードをアラーの使者とすることを教義から除いたのですが、この組織は1985年に解散してしまいます。
ウォレスの正統派への改革に不満を持った信徒たちもいました。ルイス・ファラカン(Louis Farrakhan 1933-)がその代表で、彼はマルコムXが所属していたニューヨーク第七寺院の代表でもありました。ファラカンたちはウォレスのもとから去り、1978年再びNOIを結成します。そこでかつてイライジャ・ムハマドが示した反白人・反ユダヤ運動をアメリカだけでなく、世界へ広めていきました。
ファラカンたちはイギリスとガーナにNOIの寺院を設置し、1984年にはジェシー・ジャクソン(Jesse Jackson)の大統領候補指名選に協力します。ファラカンは引き続き黒人の労働支援や薬物乱用、貧困解消に力を注ぎ、アメリカを代表する黒人の1人となりました。NOI自体は現在でも存在し、10000人から50000人のメンバーがいるとのことです。
参考にした本
マルコムX著、アレックス・ヘイリィ執筆協力、浜本武雄訳 『マルコムX自伝』 河出書房新社 1993
上坂昇著 『キング牧師とマルコムX』 講談社 1994