突然ですが「春」といえば何を連想しますか?
10個くらい適当に頭の中で考えてみてください。
さくら、入学式、卒業式、うぐいす、つくし、等々……。
ありがとうございます。それを何となく頭の中で持っていてください。
以降、本文です。
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天才ブロガー清少納言
清少納言は、平安の天才ブロガーであると言うほかない。
清少納言と言えば『枕草子』。
じつは『枕草子』は、1冊の本として、ドサッと執筆・出版されたわけではない。
ブログのように、1段書いては公表、また1記事書いては公表という感じで書かれていた、と言われている。
そしてそれぞれの段で、書き出しがもはや天才的というほかない釣りスキルだ。
今でいえば、記事のタイトルやサムネイルが、読者をひきつけてやまない。
「春はあけぼの」の天才性に気が付け!
「春はあけぼの」という冒頭の句を見て何を思うだろうか?
もうあまりに有名になりすぎて、現代のわれわれは特に何も感じないだろう。
しかし、突然、春といえば何? と聞かれて、どうこたえるだろうか? 何を思い浮かべるだろうか?
この記事の最初で、10個くらい考えてくれたと思います。
しかし清少納言は「春はあけぼの」。
何という意外性。
春と言えば? と聞かれて、時間帯を答える清少納言。恐るべし着眼点。
枕草子がブログであれば、各段の書き出しが現代でいう記事タイトルである。
いうなればブログ記事のタイトルが「春はあけぼの」なのだ。「なんじゃそのタイトルは!?」と、当時の人々は度肝を抜かれたに違いない。
「春がなんであけぼの?」とみんな思う。
みんながクリックしたくなるようなタイトルを付ける。
- 春はあけぼの。
- 夏は夜。
- 秋は夕暮れ。
- 冬はつとめて。
これが清少納言の春はあけぼのという書き出し(=タイトル付け)の天才性である。
こんな連想、誰が思いつく? 清少納言以外に不可能である。
「心ときめきするもの5選!!」的なノリの書き出し
「春は~」という編が終わると、「~なもの」と言えば、という話が始まる。
「すさまじきもの」「たゆまるるもの」「にくきもの」「ありがたきもの」
「~なもの」と言えば何か? という書き出しで始まるのが特徴。ちょっとあるあるネタの要素もある。
「心ときめきするもの」
雀の子。兒あそばする所の前わたりたる。
よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見たる。よき男の車とどめて物いひ案内せさせたる。
頭洗ひ化粧じて、香にしみたる衣著たる。殊に見る人なき所にても、心のうちはなほをかし。待つ人などある夜、雨の脚、風の吹きゆるがすも、ふとぞおどろかるる。
(現代語訳)
心がドキドキするもの。
スズメのヒナを飼うこと。子供が遊んでいるところを通りかかるとき。
高価なお香を焚いて、ひとりでゴロ寝しているとき。唐鏡(とうきょう・中国製の鏡)を覗きこんだら、少し曇って暗くなっているとき。(※古代中国には日食や月食があると曇る宝の鏡があった)
身分が高そうな男が、家の前に車を停めて、使いの者を用件伺いに行かせたとき。
髪を洗って、化粧もして、フレグランスが香る服を着たとき。特に誰かと会う予定ではなくとも、心の中はとっても幸せモード。
彼氏が来るのを待つ夜。雨音や風の音でさえも、待ち人が来たのかとドキッとしてしまう。
いかがでしょうか。
「人生がときめく大人女子のアクティビティー5選!」みたいなのと、ほとんど同じノリである。
そして、そんなところにトキめくの? という、なんかそういう趣味の良さみたいなものもある。
現代でいうと、有名人の意外な感性に、読者が感心するというイメージだ。
枕草子は尊敬する上司に書けと言われ10年以上書き続けた
そもそも『枕草子』は、どのように出来上がったのだろうか?
清少納言とは、およそ西暦1000年くらいに生きていた人物。
一条天皇の妃である定子という人物に宮仕えしていた人物。
この定子という人物もおもしろい人で、平安のキャリアウーマンといった趣がある。
持ち前の勉学と教養で、天皇に愛されて、妃にまで出世した経歴を持つ。
その才気あふれる定子に気に入られたのが、清少納言である。
枕草子は、清少納言が定子に、なんか書けと言われて、書き始めたのだ。
そして清少納言は、枕草子をブログのように書いては公表、書いては公表と繰り返し、結局10年以上の歳月をかけて完成させた。
しかも定子は24歳という若さで世を去ってしまう。定子の死後も、清少納言は『枕草子』を書き続け、定子をしのぶような内容で書き綴られた。
枕草子のきっかけは1冊のノート
きっかけは、定子が兄からもらった1冊のノート。昔は、なんでも書ける自由帳みたいな冊子は、大変貴重なものだった。
これをどう使おうかと定子が訪ねたところ、清少納言は「枕にしたらいい」と答えた。ギャグである。
そしたら定子は「じゃああなたが使いなさい」と、これまたギャグで返した。
定子が兄からもらったこのノートの使い道、当初定子は『古今和歌集』を写すつもりだったという。
それを清少納言がふざけたこと言うから、じゃあ「お前の好きにしろ」と冊子を託した。
しかもそのさい定子は、清少納言に完全オリジナル、書下ろしの新作を作るように命じた。
「新しい最先端の文化をこれでもかというくらい詰め込んだ文学を作れ」 これが清少納言に命じた仕事のテーマである。
定子に当意即妙の機転を訓練された清少納言
清少納言は、定子の教養あふれる間接的な言い回しによく応えた。
たとえば冬に、定子がぽつりと「香炉峰の雪いかならむ」とつぶやいた。ツイートした。
これは有名な漢詩で、当時みんな知っていた。
その場に居合わせた清少納言は、ささっと簾を開け、外の雪景色を見せた。
要するに、定子は「雪景色見たい」とストレートにいえばいいのに、わざわざ有名な漢詩の一節を引用した。
定子はそれくらいお茶目で、教養のある人物だったのだ。
こんなことが日常茶飯事だから、そばに仕える清少納言は嫌でも鍛えられる。気の利いた表現や、学問知識をどんどん定子から吸収する。
現代でいえば、秋晴れの日に窓を開けてほしくて「わたし、世界で一番、青い空が観たい!」と口走るようなものだろうか。
みんな「あーセカチューか」と思うくらいだけど、清少納言は実際に窓を開けた。
10年以上ブログを書き続けられるか
むろん、『枕草子』の中には、別におもしろくない段も、平凡な段もたくさんある。
おそらく『枕草子』から引き出すべき重要な教訓は、10年以上ものを書き続けていられるか、ということである。
最初は、上司から与えられた仕事だった。かなりの無茶ぶりである。
「私が鍛えてやったでしょ。だから新しい文学作りなさい。」というような、無茶苦茶な依頼である。
もちろん清少納言が「そんなん無理……」と挫折する可能性は十分にあった。
しかも仕事を命じた定子は若くして亡くなり、清少納言には『枕草子』を完成させる義務もなくなった。
それでも清少納言は書き続け、当時の人びとを驚かせるような記事を時々は書いた。
タイトルで釣り、当時の宮廷人は、『枕草子』の新しい記事が出るたびに、飛びついた。
『源氏物語』で有名な紫式部なんか悔しくて悔しくて、『枕草子』の悪口を言いまくった。
「こんなもんタイトルだけだ! サムネホイホイだ!」と批判しまくった。
『枕草子』をブログだと思って読んでみる。
古典に対する1つの新しいアプローチをご紹介しました。
『枕草子』はすばらしい作品。
誰もが知っているけど、誰も読みません。
読む理由がないからです。
この記事をきっかけに、ぜひ読んでみてください!