杉原千畝の経歴や性格はどんな人物?生い立ちやエピソードが面白い

高等遊民
こちらは寄稿記事です。杉原千畝について詳しくまとめていただきました

 

杉原千畝という人をご存知ですか?

第2次世界大戦の時、何千人ものユダヤ人の命を救ったと言われる人物です。

2015年に公開された映画『杉原千畝 スギハラチウネ』の主人公だったので、知ってる人もいると思います。

では、杉原千畝とは一体どんな人生を送った人なのか思い出せますか?

「何千人ものユダヤ人を助けたことは知ってるけど、どんな人生を送った人なのかは知らない…」「そもそも杉原千畝って誰?」と今思ったそこのあなた!

ぜひこの記事を読んでみて下さい。

この記事では、

  • 杉原千畝の生い立ちと生涯
  • 杉原千畝の経歴や代表作品は?
  • 【エピソード】杉原千畝の性格が分かる面白い逸話
  • まとめ 杉原千畝はどんな人物?おすすめ書籍や映画

について紹介します。

これを読めば、杉原千畝がどんな人物で、どんな生涯を送った人なのかがよく分かります。

映画を見たことがある人も、これを読んで改めて映画を見直すと、新たな発見があること間違いなしです!

では、ぜひご覧下さい!

杉原千畝の生い立ちと生涯

(引用元:杉原千畝生誕100年記念事業委員会公式サイト 杉原千畝生誕100年記念事業 6000人の命のビザ 杉原千畝の生涯 http://www.chiunesugihara100.com/visa-reki.htmより『母の葬儀に集まった杉原一家 京城の実家にて 1921年』)

杉原千畝は、20世紀を生きた人物です。

具体的には、

  • 1900(明治33)年1月1日、岐阜県加茂郡八百津町で生まれる
  • 1986(昭和61)年7月31日、神奈川県鎌倉市で亡くなる

86年の人生でした。

千畝は父・好水と母・やつの次男として誕生しました。

当時の杉原家はどのような家庭だったのか

  • 父・好水は税務署勤務の公務員で、転勤が多い
  • そのため千畝はよく小学校を転校したが、成績優秀だった
  • 好水は千畝が小学校を卒業する前に、朝鮮総督府財務部(現在のソウル)に単身赴任した
  • そこで好水は旅館を営み、事業は成功した

など、公務員という安定した地位と事業の成功によって、当時としてはかなり裕福な家庭でした。

ところで、どうして千畝の父・好水がソウルに単身赴任したのだと思いますか?

ではここで、簡単に日本史の復習をしましょう!

当時の日本は欧米列強に比べると植民地が少なく、日本の国土自体に資源があまりありませんでした。

そのため、日本も中国の1部を植民地として獲得したかったのです。

  • 1904年、ロシアから過度の干渉を受けていた「韓国の独立を守るためにロシアと戦う」という名目で、日露戦争勃発
  • 日本は戦勝国として、韓国を日本の保護下に置くことに成功する
  • そして韓国に総督府を設置し、初代の韓国統監は伊藤博文
  • しかし韓国の経済が中々発展せず、日本にもあまり経済的な利益はなかった
  • そのため韓国を日本に併合して、日本が直接韓国を統治し、発展させるべきだ(つまり植民地にするべき)という意見が日本国内で強くなった
  • 1910年8月29日に『韓国併合に関する条約』が公布され、韓国は日本に併合された
  • 韓国に多くの日本人が移民した

 

1916(大正5)年、「朝鮮」と呼ばれていた当時の韓国に、杉原家は一家揃って移住

しかし、千畝だけは日本に残ります。

というのも、

  • 当時、千畝は愛知県立第五中学校(現在の愛知県立瑞陵高校)に進学していた
  • そのため卒業するのを待って、1917年に家族の元へ向かった

という経緯があったからです。

  • 当然、千畝は優秀な成績で卒業した
  • 好水は千畝が医者になることを望み、勝手に京城(ソウル)医学専門学校の受験手続きをしていた
  • しかし千畝に医者になる気はなく、受験を拒んだ
  • 激怒した好水は、千畝を家から追い出した

いやいやお父さん!

勝手に子どもの将来決めて手続きまでしないでよ!

せめて子どもと相談してよ!

とツッコミ所満載ですね…。

しかし、当時は一家の大黒柱である父親の意見は強く、「息子には医者になってほしい」と父親が言ったら逆らうなんて有り得ないことだったんです。

何という無理ゲーぶり…。

そんな時代で父親に逆らい、家を追い出された千畝は、

  • 語学に興味を持ち、英語教師になりたいと思っていた
  • そのため、1918(大正7)年に早稲田大学の高等師範部英語科予科(今でいう教育学部の英語科)に入学
  • しかし学費と生活費を全てアルバイトで工面しなくてはいけなかった

という貧しい生活を送ります。

そんな中、大学2年生の千畝にチャンスが訪れます!

千畝は、外務省の官費留学生募集のポスターを偶々見た

外務省の官費留学生とは、

  • 試験に合格すれば、官費(外務省の費用)で3年間留学して語学を身につけることができる
  • その後、正式に外交官として採用される

留学生のことです。

苦しい家計のやり繰りをしながら必死に語学を勉強する千畝にとって、これは2度とないようなビッグチャンスでした!

しかし千畝がポスターを見たのは、何と官費留学生になれるかどうか審査するための試験が行われるわずか1ヶ月前。

それにも関わらず、千畝は猛勉強してこの試験に合格しちゃったんです!

頭良すぎ…。

とにかく、千畝は大学を中退し、めでたく官費留学生として留学することになります。

では、官費留学生となった後の千畝について紹介していきます!

杉原千畝の経歴や代表作品は?

(引用元:杉原千畝生誕100年記念事業委員会公式サイト 杉原千畝生誕100年記念事業 6000人の命のビザ 杉原千畝の生涯 http://www.chiunesugihara100.com/visa-reki.htmより『ハルピン時代 ロシアの専門家として頭角を現す』)

 

官費留学生となった千畝は、1919(大正8)年10月にロシア語を勉強するためにハルビンに派遣されました。

下に地図を載せてますので、確認しながら読み進めて下さい。

(引用元:世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント https://www.y-history.net/appendix/wh1504-041.htmlより『満州国と華北5州』)

1924(大正13)年、正式に外務省の職員として採用された千畝は、

  • 1924年2月にハルビンの日本領事館ロシア係に任命される
  • 同年12月、ロシア人のクラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワと結婚する
  • 1932(昭和7)年3月に満州外交部に派遣される

 

など、私生活でも外交官としても充実したキャリアをスタートさせます。

 

満州国について簡単に説明

ところで、千畝が満州外交係になる前、満州国という国が建国されました。

「満州国って聞いたことないよ〜」「なんか聞いたことあるけど、どんな国だったっけ…?」という方のために、満州国について簡単に説明しますね!

20世紀の中国は政府の力自体が弱くなっており、各地域を欧米の植民地にされていました。

一方、自然資源に乏しい日本は、植民地を広げたがっていたことは、韓国の併合のことを説明した時に説明しました。

 

日本は中国の一部も、韓国と同じように植民地にしようと考えたのです。

  • 1931年9月、関東軍(後の満州国にあたる地域に派遣されていた陸軍の中の部隊名)は満州を横切る鉄道を爆破し、中国軍の仕業に見せかけた
  • それを口実に中国には満州地域を治める力はないと主張し、満州に住む人々を守るために日本が支援して独立国を作るべきと主張した
  • 半ば強引に「満州国」が成立したが、実際は関東軍が満州国の政治も軍事も支配する日本の傀儡国家だった
  • 満州国の首都はハルビンとされた

当時の満州国を東西に横断する鉄道は、ソ連が所有していました。

満州国はこの鉄道を購入するためソ連と交渉をしていましたが、購入費用を

  • ソ連は6億2500万円
  • 満州国は5000万円

と提示していました。

千畝はハルビンで築いた人脈でソ連を裏事情を集めて突きつけ、1億4000万円で交渉を成立させたのです!

この実績は外務省で高く評価され、千畝は将来を期待されるエリートと見なされました。

大出世ですよ!

 

しかし、当の千畝は満州外交部での仕事に嫌気が差していました。

千畝は、

  • 満州国で日本の関東軍(陸軍の一部の名称)が、自分たちの都合のみで現地の人々に無理な労働や税金を強制しているのを見た
  • そんな光景を見ることに我慢が出来なかった
  • 加えて日本の陸軍の策略家・橋本欣五郎が千畝に近づき、陸軍のスパイになるようにと声をかけてきた
  • 千畝がスパイになることを断ると、関東軍は千畝の妻・クラウディアがソ連のスパイだという噂を流した
  • その噂のせいで千畝とクラウディアは離婚しなくてはいけなくなった

ため、1935(昭和10)年にあっさりと満州外交部を辞任し、日本の外務省に勤務したいという希望を出します。

そりゃ千畝も怒ってサッサとズラかりたくもなりますよ…。

ま、千畝は日本の外務省に戻ってから菊池幸子という女性と出会い、結婚したんですけどね。

翌年の1936(昭和11)年、千畝は外務省から、モスクワにある日本大使館に赴任するようにと命令されます。

しかし、

  • ソ連(現在のロシア)は、満鉄のことで千畝が交渉を成功させたことを知っていた
  • そのため、千畝の高い交渉術を怖れた
  • 外交官としては異例なことに、千畝にソ連に滞在するためのビザを発行しなかった

外交官にビザを発行しないって余程のことです。

千畝も外務省もびっくりしたでしょうね…。

とにかくソ連に滞在できないことには、モスクワで働けません。

  • 外務省は千畝にフィンランドのヘルシンキの日本大使館に赴任するように命令した
  • 千畝は妻と2人の息子、妻の妹を連れてフィンランドに赴任した
  • 1939(昭和14)年、千畝はリトアニアの首都カウナスの日本領事館領事代理に任命される

 

ここから千畝の運命を大きく変える出来事が起きるのです。

  • 1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発し、リトアニアは中立国だった
  • 日本はドイツと同盟を結んでいたが、ドイツのことを完全には信用できなかった
  • そのため、それまで日本領事館がなかった中立国のリトアニアに、急遽日本領事館を開設することにした
  • 日本領事館の開設のためにカウナスに送られたのが、杉原千畝だった
  • 千畝は家族を連れてカウナスに赴任した
  • その頃、ドイツはヒトラーを党首とするナチ党が政権を握っていた
  • ナチ党は国を持たない民であるユダヤ人を差別しており、ドイツに住むユダヤ人を絶滅させようとしていた
  • ユダヤ人はナチ党に捕まると強制収容所に連れて行かれ、ロクな食べ物も与えられずに死ぬまで働かされた
  • それどころか、人体実験に使われたり、働けない子どもや老人はガス室で殺された
  • ユダヤ人はナチ党が支配する地域から逃げ出し、アメリカや他のヨーロッパの国々、匿ってくれる人々の家の隠れ家に逃げ込んだ
  • しかし、ドイツ軍の侵攻でナチ党の支配地域がドンドン広がり、ユダヤ人たちは追い詰められた

(引用元:杉原千畝生誕100年記念事業委員会公式サイト 杉原千畝生誕100年記念事業 6000人の命のビザ 杉原千畝の生涯 http://www.chiunesugihara100.com/visa-reki.htm)

 

何故ユダヤ人たちは、日本領事館の千畝に助けを求めたのでしょう?

そして1940(昭和15)年7月18日の早朝、カウナスに逃げ込んだユダヤ人は、何と日本領事館の千畝に助けを求めたのです。

 

  • ヨーロッパのユダヤ人の状況を見て、アメリカが逃亡してきたユダヤ人たちを保護することを宣言した
  • しかし、ドイツ軍の支配はフランスやイギリス、大西洋にまで及んでおり、西側からの移動は不可能
  • 東ヨーロッパもドイツ軍の侵攻を受けていた
  • 一方、ソ連はドイツと不可侵条約(お互いの国土に勝手に侵攻しないという内容の条約)を結んでおり、大陸を西から東へ移動する鉄道も通っていた
  • ユダヤ人たちはソ連を鉄道に乗って横切り、船で日本を経由して、アメリカや他の安全な国へ逃げようと考えた
  • それには日本を通行するための許可証であるビザがどうしても必要だった

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/ ※図中①~⑥は杉原千畝が外交官として移動した都市とその順)

(引用元:杉原千畝生誕100年記念事業委員会公式サイト 杉原千畝生誕100年記念事業 6000人の命のビザ 杉原千畝の生涯 http://www.chiunesugihara100.com/visa-reki.htmより『領事館前でビザ発給を訴えるユダヤ人たち 1940年』)

千畝は領事館の前に押しかけた大勢のユダヤ人に驚き、事情を聞くとすぐに、外務省にビザの発行許可を求めました。

しかし、ドイツと同盟を結んでいた日本はナチ党に敵対するようなことは出来ず、ビザを発行しないように千畝に命令したのです。

 

当然、千畝は悩みました。

目の前に助けを求める人が、昼夜を問わず押しかけてくるのです。

その中にはまだ幼い子どもの姿もあります。

  • 指示に従いビザを発行しないことが、外交官としては理想
  • 独断でビザを発行してしまえば、外交官としてのキャリアは終わってしまう

千畝は板挟みになってしまったのです。

そんな千畝が出した答えは、「独断でビザを発行すること」でした!

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自分の輝かしいキャリアよりも、人の命を救うことを選んだのです。

その後、

  • 約1ヶ月の間、千畝は寝る間も惜しんでビザの発行を続けた
  • 妻・幸子はそんな夫の身体を労わり、何とか支えようとした
  • 同年8月、外務省からプラハへの異動命令が出た
  • カウナスの日本領事館を閉めた後も、ベルリンに出発する列車を待つ間に滞在したホテル「メトロポリタン」でビザの発行を続けた
  • 同年9月5日、赴任先のプラハに向かう列車の中でも千畝はビザを発行し続け、車窓からビザを手渡しし続けた

千畝は強い意志でビザの発行に取り組みました。

この時、

  • 千畝が発行したビザは2139枚
  • 千畝に救われたユダヤ人は約6000人
  • 彼らの子孫は2018年時点で3万人以上

にもなります。

このことから、杉原千畝は多くのユダヤ人を救った人物として有名になるのです。

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/より『杉原千畝の発給した命のヴィザ』)

しかし、千畝のことが世界に知られるのは、ずっと後のことでした。

  • 1945(昭和20)年に第2次世界大戦が終結した時、杉原一家はルーマニアのブカレストで勤務していた
  • 敗戦国である日本の外交官だったため、杉原一家はブカレストの捕虜収容所に収容された
  • 捕虜収容所では、満足な食事もないまま働かされる厳しい生活を強いられた

そんな生活を続けた杉原一家は、1947(昭和22)年4月、やっとの思いで日本に帰り着きました。

しかし、

  • ビザを独断で発行したため、同年6月に外務省を首になる
  • 戦後の混乱の中、すぐに再就職することは難しく、杉原家は貧しい生活をしていた
  • そんな中、カウナスで生まれ、わずか5歳で捕虜収容所での生活を強いられた千畝の三男・晴生が白血病を発症し、わずか7歳で亡くなってしまう
  • 千畝は語学力を活かして商店や複数の商社で働き、15年間のモスクワへの単身赴任もした

など、千畝にとってはエリート街道から転がり落ち、家族にも不幸が及ぶ辛い時期が続きました。

千畝は、自分のせいで家族に辛い思いをさせていると自責の念に駆られながら、日々を過ごしていました。

そんな千畝の元に、1968(昭和43)年8月のある日、在日イスラエル大使館から急に呼び出しがかかります。

何故呼び出しを受けたのか分からないまま、千畝が大使館を訪れると、そこには1人の白髪混じりの外国人の姿がありました。

彼の手には、ボロボロになった1枚のビザが握られています。

それは何と、千畝がユダヤ人を助けるために独断で発行したビザだったのです。

男性の名前はニシェリ氏。千畝のビザに命を救われたユダヤ人の1人です。

千畝にビザを発行してもらったユダヤ人たちは、

  • 日本を経由して、アメリカや南米、ユダヤ人の国であるイスラエルを建国する動きがあった中東へ向かった
  • 戦後の混乱が落ち着いた後、イスラエルに住むユダヤ人を中心に、「杉原千畝という外交官に会いたい」と日本の外務省に連絡を取った
  • しかし、日本の外務省からは「杉原千畝という外交官は既に退職しており、現在どこにいるか分からない」という返答が来た
  • この時ユダヤ人たちは、ビザの発行は日本政府の指示ではなく、千畝の独断で行われたことを初めて知った
  • 千畝にお礼を言いたいユダヤ人たちは必死に千畝のことを探し、やっと本人に連絡を取ることができた

などの活動を行なっていたのです。

実は千畝は、ビザを発行したことを特別なことだとは思っておらず、二シェリ氏に会うまでビザのことをすっかり忘れていたのでした。

しかし助けられたユダヤ人たちは、命を救ってくれたビザを大切にしており、千畝への感謝の気持ちを持ち続けていたのです!

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/より『避難民の経路』)

この感動的な再会で、千畝の行いは28年ぶりにようやく報われました。

その後、

  • 1969(昭和44)年、ビザによって命を救われたバルハフティク・イスラエル宗教大臣から勲章を受ける
  • 1985(昭和60)年、日本人で唯一、イスラエルの「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・ヴァシェム賞)」を受賞した

など、ユダヤ人たちから感謝の念を示された千畝は、1986(昭和61)年7月31日、激動の生涯に幕を下ろしました。

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/より『イスラエルで29年ぶりに再会したバルハフティク宗教大臣(1969年)』)

【エピソード】杉原千畝の性格が分かる面白い逸話

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/より『外交官として最後の赴任先となったブカレストでの家族写真』)

杉原千畝は「正義の人」という言葉を体現したような人物

ですが、何が彼にそんな行動を起こさせたのでしょうか?

生い立ちを見れば分かるように、千畝は

  • 優秀
  • 弁が立つ
  • 人望がある
  • 正義感が強い
  • 曲がったことが嫌い

でした。

一方で、

  • 父親に強制されて医者になるのが嫌で、試験ではわざと白紙答案を出した
  • 陸軍のスパイになれば満州国で権力を手にすることも出来たのに、そんなことはしたくなくてあっさりと日本の外務省に戻った

 

1度こうと決めたら周りが何を言おうが貫き通す意志の強さを持っていました。

正義感があったからよかったのですが、1歩間違えたらただの面倒くさい人になってしまう程の頑固さです。

それに加えて、

  • 官費留学生になった時、南米への移民が増えた影響でスペイン語の習得を希望する留学生が多く、千畝もスペイン語を希望していた
  • しかし千畝は人数調整のために希望者が少ないロシア語の習得要員に回され、ハルビンに派遣された
  • 千畝は内心不満を感じていたが、現地でロシア語を話せる職員が2〜3人しかいなくて、ロシア人たちが役所での手続きが出来ずに困っているところを見た
  • 「この人たちの役に立ちたい!」と思った千畝はロシア語習得への態度を一変させた
  • 留学から4ヶ月後には、千畝はロシア語での日常会話には困らなくなり、後にロシア語教師として教壇に立つようになる

 

「具体的にどういう人たちをどんな方法で助けたい!」という目標に火がついて真っ直ぐ進むタイプでした。

生来の優秀さとカリスマ性も合わさって、ただの面倒くさい人にはならなかったのです。

そう考えると、かなり人間臭い人ですよね。

誰かを助けるということを目標に頑張るのが当然と考える人だったのですから、「何かの目標に向かって頑張る」という点では私たちとも共通点があります。

案外、偉人と讃えられる人って、千畝みたいに人間臭い人が多いものなんですよー。

もしかしたら私もあなたも、「誰かを助けたい」と思って咄嗟に取った行動で後から感謝される、なんてことを経験するかもしれないんです。

それが例え小さなことであっても、「自分は杉原千畝と同じように行動できたんだなぁ」とふと思えるような人間になりたいですよね!

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まとめ 杉原千畝はどんな人物?おすすめ書籍や映画

(引用元:杉原千畝記念館公式サイト http://www.sugihara-museum.jp/about/より『満州国外交部に勤務していた当時の千畝』)

 

杉原千畝の生い立ちや経歴、面白いエピソードについて紹介しました。

ここで簡単に、杉原千畝についてまとめておきますね!

  • 戦前・戦中に活躍した外交官
  • リトアニアのカウナスに赴任していた時、ナチ党から逃げてきたユダヤ人たちの命を助けるため、独断でビザを発行した
  • そのことが原因で戦後すぐに外務省を首になった
  • しかし助けられたユダヤ人たちは千畝に感謝しており、28年間彼の居場所を探した
  • 日本人で唯一、イスラエルの「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・ヴァシェム賞)」を受賞した

 

外務省では杉原千畝の名誉が回復されており、今では日本が世界に誇る人物の1人になっています。

そんな杉原千畝についてもっと知りたいと思いませんか?

私がお薦めする、杉原千畝を知るための本や映画を紹介します!

 

映画

『杉原千畝 スギハラチウネ 』(監督:チェリン・グラック、販売元: ポニーキャニオン)

  • 2015年に公開された比較的新しい作品
  • 千畝のハルビン勤務の時代からユダヤ人たちのビザを発行するまでの間のエピソードが描かれている
  • 千畝の人生の中で一番注目されている時期であり、千畝のことをあまり知らない人にお薦め!

 

『終戦60年ドラマスペシャル 日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ [DVD]』(監督:渡辺孝好 販売元: バップ)

  • ドラマをDVD化した作品だが、映画に匹敵するリアルな作品
  • 千畝と家族の決断、リトアニアでの人々の様子だけではなく、日本に着いたユダヤ人たちを保護した松岡外務大臣の活躍と日本で出産したユダヤ人女性が辿った運命など、密かに千畝に協力した人々のことも描かれた作品でもある

 

『杉原千畝: 情報に賭けた外交官』(著:白石 仁章 出版:新潮社)

  • ヒューマニストとしての千畝ではなく、外交官としての千畝を描いたノンフィクション
  • 実際の外交資料を元に千畝の人物像を浮き彫りにしている
  • 「ユダヤ人を助けたこと以外に、どんなことをした人物なのだろう?」と思った人には、ぜひ読んでほしい作品!

『新版 六千人の命のビザ』(著:杉原幸子 出版:大正出版)

  • 千畝の妻・幸子が書いた自叙伝
  • 妻として支えた夫・千畝の姿や子どもたちと接する家庭内での千畝、戦後に苦悩して苦しむ千畝など、1人の人間としての千畝の姿がよく分かる1冊

『スギハラ・サバイバル』(著:手嶋龍一 出版:新潮社)

  • 千畝が命を救った少年が、後に情報戦においてイギリス諜報部員と戦いを繰り広げるスパイ活劇
  • 「いきなりノンフィクションを読むのはちょっと…。」という人にとってお薦め!
  • 当時の世界情勢や千畝がビザを発給するに至った経緯など、事実とフィクションを織り交ぜた物語を楽しめる作品

これらの作品を見て、日本が世界に誇る偉人・杉原千畝について、ぜひ知りませんか?

以上「杉原千畝の経歴や性格はどんな人物?生い立ちやエピソードが面白い」でした!

 

参考文献

世界史の窓 世界史用語解説 『満州国』 https://www.y-history.net/appendix/wh1504-041.html

世界史の窓 世界史用語解説 『韓国併合』 https://www.y-history.net/appendix/wh1403-065.html

杉原千畝記念館公式ホームページ http://www.sugihara-museum.jp/

杉原千畝生誕100年記念事業 6000人の命のビザ 杉原千畝の生涯 http://www.chiunesugihara100.com/visa-reki.htm

Ages 人生・年齢・名言・年表を切り口とした歴史辞典 http://agebook.jp/tag/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%94%9F/

高等遊民の有料noteの紹介

 

noteにて、哲学の勉強法を公開しています。

 

現在は1つのノートと1つのマガジン。

 

1.【高等遊民の哲学入門】哲学初心者が挫折なしに大学2年分の知識を身につける5つの手順
 
2. 【マガジン】プラトン『国家』の要約(全10冊)

 

1は「哲学に興味があって勉強したい。でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。
 
5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。
 
3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。
 
3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。
 
ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。

かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。

音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。

 

2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます
 
 

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