アリストテレスの性格と経歴はどんな人?生い立ちとエピソードが面白い

古代の哲学者の三番手、「アリストテレス」

ソクラテスの弟子、プラトンが築いた学園アカデメイアで哲学を学んだ彼は、歴史上に名を残す偉大な哲学者として名を残しています。

三番手ですが、残した功績の大きさでは間違いなくトップクラスと言えるでしょう。

今回はアリストテレスの

  1. アリストテレスの生い立ち、名前の意味と由来
  2. アリストテレスの経歴を分かりやすく
  3. アリストテレスの性格が分かる面白い逸話

 

をご紹介します!

 

ポイントは以下の通りです

  1. 名教師アリストテレス! メインの生徒は大王に、その友人は彼を支える将軍に。
  2. 知識欲は人間ならではの欲! 彼にとって、学問は全て「哲学」の範囲内!
  3. バックに大王がいる哲学者。ゆえに大王の安否が彼の立場を揺り動かす。

 

アリストテレスの生い立ち。名前の意味と由来

アリストテレスはトラキア地方のスケダイロスと呼ばれる場所で生まれました。

名前の由来はギリシャ語のaristos(最高の)とtelos(目的)が合わさったものであるとされています。

体は名を現す存在になったようですね。

 

彼は17~18歳でアテネ(アテナイ)の学園アカデメイアの門を叩きました。

  • あまりにも昔の人物であるため、そこに至るまでの経緯には不明確な部分が大きいです。
  • アリストテレスは言ってしまえば「外国人」だったわけですが、学園アカデメイアでの活躍は大きかったようです。
  • プラトンもアリストテレスを「学校の精神」と呼び、彼の存在を気にしていた様子が伺えます。

 

プラトンの死後、アリストテレスは学園を去ります。

諸説ありますが、マケドニア系の外国人であったために立場が危うくなったことが理由だとされています。

その後、彼は学友を頼ってミュソスの街に移住し、結婚するのですが、そこでも立場が危うくなり、アリストテレスは妻と共に街を離れるのでした。

 

アリストテレスの経歴を分かりやすく

ミュソスの街を出た後、アリストテレスはマケドニアの首都ペラから離れた場所に『ミエザの学園』を作り、そこで哲学や医学、文学や科学といった非常に多岐に渡る勉学を教えるようになります。

その生徒達が凄いのです。

  • アレクサンドロス王子(後の大王様)
  • 王子の側近騎士(後の将軍)
  • 摂政の子ども(後の大臣)
  • 貴族の子弟(後の大臣他)

 

などなど、彼の生徒達は後にマケドニア王国の中枢を担うこととなるメンバーばかりだったのです!

そもそも、アリストテレスはアレクサンドロス王子の父、つまりは国王直々に「息子の家庭教師に」と呼ばれていたので、彼はマケドニア王国で有名な知識人だったのでしょうね。

 

国王直々に声が掛かったアリストテレス。その教育は素晴らしいものだったようで、

  • アレクサンドロス大王は「高貴であることを教えてくれたのはアリストテレスだった」と語り、
  • アリストテレスを最高の教師だったと讃えています。
  • アレクサンドロス大王はアリストテレスを慕い、大王が死去するまで二人の交流は続きました。

 

アリストテレスは多くの学問を研究し、後世に多大な影響を与えます。

  • アリストテレスは『神(不動の動者)』という何者にも動かされないが他の者を動かすことが出来る絶対的な概念を主張しており、
  • これは後に登場するキリスト教等に繋がっていきました。
  • そのため、後世の学問の中には「アリストテレスの研究に反する」という理由で弾圧された(例:ガリレオの地動説)ものも存在します。

 

それだけアリストテレスは影響力の強い人物だったということですね。

 

アリストテレスの性格が分かる面白い逸話

アリストテレスの面白い・独特なエピソードとしては、以下の物が挙げられます。

  1. アリストテレスは知りたがり? 色々な学問に手を出した理由は「人間だから」?
  2. あっちにこっちに移動し、波乱の人生。偉大な人物だからこその苦悩。

 

上から順番に紹介していきましょう!

 

1.アリストテレスは「トリビア」を愛した?

何年か前に「トリビアの泉」という雑学を紹介する番組があったのを覚えていますか?

トリビア(トリヴィア)は「くだらないこと、瑣末なこと、雑学的な事柄や知識、豆知識」を指す言葉で、該当の番組をご覧になっていた方なら何となくイメージが出来るのではないかと思います。

アリストテレスは「人間は日常生活には使えない知識であっても、知識を得ることそのものに快楽を覚える」と主張していました。

  • 彼の主張通り、知識を得ることは楽しいことだと思います。特に、興味のあることならばどこまでも追求してみたくなりませんか?
  • アリストテレス曰く、それが「人間」という生き物なのです。アリストテレス本人もありとあらゆる学問に手を出し、研究していたことからもそれが伺えますね。
  • そのため、アリストテレスにとって学問の探求はそのまま人間の研究、哲学に繋がっていたと考えられています。

 

彼の知識欲が留まるところを知らなかったのは、哲学を愛する心ゆえなのでしょうね。

 

2.アリストテレスは出生ゆえに苦労の連続だった?

アカデメイアの出身ゆえにアリストテレスはアテネ出身のギリシャ人と思われがちですが、前述の通り、彼はマケドニア人です。

  • しかもアレクサンドロス大王の家庭教師をしていた時期があります。
  • そのため、マケドニア王国の状況次第で彼はあらぬ疑いを掛けられ時には迫害され、逃亡生活を強いられることとなってしまいました。
  • アリストテレスはアレクサンドロス大王が即位した後はアテネでリュケイオンという学園を開き、アカデメイアと競い合う存在にまで成長させています。

 

しかし、アレクサンドロス大王の死後はマケドニア人の迫害運動が起こり、彼はアテネにいられなくなってしまいます。

  • その後は病死したとも、自害したとも言われています。アリストテレスは人種ゆえに立場が危うくなり、住まいを三度も移しているのです。
  • ただ、どこに移動しても研究熱心なのは変わらず、アリストテレスは移動した場所で何かしらの研究はしていました。
  • 根っからの研究者気質だったのでしょうね。

 

まとめ アリストテレスの性格と経歴はどんな人?生い立ちとエピソードが面白い

最後に、アリストテレスについてまとめておきます。

  • アリストテレスは古代ギリシャの哲学者である。
  • アリストテレスはプラトンの教え子で、学園アカデメイアで学んでいた。
  • アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師をしていた。
  • アリストテレスは根っからの研究者気質だった。

 

アレクサンドロス大王の側近の一人、『エウメネス』を主人公とした歴史漫画

  • 『ヒストリエ』(作:岩明均)

 

はご存知でしょうか。複数の賞を受賞し、月刊アフタヌーンにて、現在も連載が続いている漫画作品です。

ヒストリエは多少の創作を含みますが、アリストテレスも登場しますし、基本的には現在判明している史実通りの展開です。

そのため、当時の様子を知るための良い参考資料になると思います。機会がありましたら、手に取って見て下さい。

以上、アリストテレスの性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードでした!

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2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
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