古代の哲学者といえば「ソクラテス」ですよね。
皆様も恐らく、彼の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。もしかすると、死刑になったこともご存知かもしれません……が、どうして彼が死刑になったのかは、ご存知ですか?
今回はソクラテスの
- ソクラテスの生い立ちとは?
- ソクラテスの経歴は?
- エピソードから見るソクラテスの性格とは?
をご紹介します!
ポイントは以下の通りです
- 『真の賢者』はどのような人物かを追求し、答えを見つけるまでの課程が凄い!
- 皆に知識を広めよう……とした結果、奥様に罵倒されるように……。
- 何故ソクラテスは自ら死を選んだのか。彼の決意とは。
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ソクラテスの生い立ちとは?
ソクラテスは古代ギリシャの時代、アテネ(アテナイ)と呼ばれる都市国家に生まれます。父は彫刻家で、母は助産婦でした。
教科書などではソクラテスは『賢者』として知られていますが、彼は恐らく、皆さんが想像されている『賢者』とは異なります。
- 少なくとも、都市国家の外のことに関してはあまり知識を持っていなかったのではないでしょうか。
- というのも、彼は生涯、植民地の反乱制圧や戦争時に従軍した時などを除いてアテネから出ることはほとんど無かったそうです。
- 住居に関してはずっとアテネです。
何となく分かったかと思いますが、ソクラテスはアテネという自分の生まれ故郷をこよなく愛していました。
だからこそ、アテネをより良くしようという思いが強かったのですね。
何も起きなければ、恐らく愛する故郷でのんびりと暮らしていたと思われる彼の人生は、彼の弟子がアテネの神殿にて「ソクラテス以上の賢者はいるか」と訪ねたところ、巫女が「ソクラテス以上に賢い者はいない」と答えたことから大きく変容します。
ソクラテスの経歴は?
ソクラテスの特徴、それは「基本的に物凄く謙虚」なことです。
自分自身を過大評価せず、むしろ「知識でも体力でも人より劣る」と評価していた彼は、神殿で受けた信託の結果に酷く驚きます。
そして、「そんなことはない」と賢者と呼ばれる人々の元へ向かうようになりました。
しかし、
- 「徳」とは何か
- 「幸福」とは何か
- 「正義」とは何か
などなど、皆が知りたいと考えている筈の重要なことに関しては皆、ことごとく曖昧な回答を返すのです。
このような経緯を得て、ソクラテスは「自分は『知らないということ』を知っているんだ(無知の知)」という事実に気付き、人々に教えを説くようになります……
が、教えがそのまま野放しになれば、そのうち意味が変わってしまう等、思うところがあって、ソクラテスは自身の教えを本には一切残しませんでした。
ですが、プラトンを始めとする彼の弟子達が、ソクラテスの教えを残しているのです。
- 『クリトン』
- 『ソクラテスの弁明』
後者はソクラテスが死刑判決を受けた裁判と、ソクラテスの最期について記されたものです。
- ソクラテスは若者達に知識が足りていないことを自覚させ、「知らないのなら考えれば良い、共に考えよう」と説いていきます。
- しかし、その過程で彼は多くの人々の恨み(ソクラテスに論破されてしまった『賢者』など)を買い、「若者達を堕落させてしまった」罪に問われ、裁判に掛けられてしまったのです。
- そこでソクラテスは嘘偽りのない自分自身の考えを主張し、そのまま死刑となってしまいます。
ですが彼は結果を恨むことなく、人々にただ教えを説いた……という、ソクラテスの思いが伝わってくる作品ですね。
エピソードとしてのソクラテスの性格とは?
ソクラテスの面白い・独特なエピソードとしては、以下の物が挙げられます。
- 賢者巡りに説法巡り。働かないソクラテスに暴力を振るう妻……悪いのはどっち?
- ソクラテスの最期。助けがこようとも決して逃げなかった、彼の思いは?
上から順番に紹介していきましょう!
1.ソクラテスには妻がいました。
ソクラテスは「結婚は良いぞ。良い妻と結婚すれば幸せに、悪い妻と結婚すれば哲学者になれる」といったニュアンスの言葉を残しています。
これはつまり、ソクラテス自身の妻は『悪妻』ということになってしまいますね。
- 彼の妻、クサンティッペは夫の帰りを自宅で待つ普通の妻でしたが、「真の賢者とは?」とソクラテスが賢者巡りをし始めた辺りで彼女の堪忍袋の尾が切れてしまいます……
- というのも、ソクラテスが家に全くお金を入れなくなったためです。
- つまり、知を追求するあまり、ソクラテスは事実上の『無職』になってしまったのです。元々、決して裕福ではないというのに……。
それが終わったかと思えば、今度は教えを説いて回るようになります。
そうなるとクサンティッペは怒り狂うしかありませんね。
怒り狂うクサンティッペ、そしてソクラテスが残した言葉から、彼女は『悪妻』という不名誉な形で名を残すことになってしまいました。
とはいえ、クサンティッペはソクラテスの裁判の日、夫の無事を祈っていたとのことですし、ソクラテスもこんな言葉を残していながらも裁判の日以外はしっかり彼女の元に帰っていたのですから、ふたりの間に愛が無かったわけではないのです。
2.様々な思いが、ソクラテスに死を選ばせた。
ソクラテスの死刑判決が決まった後、弟子達は何とか彼を助け出そうと牢番を説得し、ソクラテスが閉じ込められている場所へと乗り込みます。
そこで彼は「悪法もまた法なり」と言って自ら毒杯を口にした……という説が昔はありましたが、現在では否定されています。
- 実際は「アテネの定められた手段によって、合法的に死刑になった。
- だから、例えその判決が間違っていても、自分が無罪であっても、脱獄という違法行為はしたくない」という思いから死を選んだのです。
- また、ここでソクラテスが逃げることによって、彼の教えが歪んだ解釈をされることも恐れていました。
「自分は絶対に間違っていない」と分かっているからこその判断ですね。
さらに言えば、ここでソクラテスが脱獄した場合、当たり前のことですが彼はアテネに残ることはできません。
生き延びるのならば愛するアテネを捨て、罪を犯し、自分の教えを汚さなければならない……ソクラテスは、それが耐えられなかったのです。
ソクラテスの性格や経歴は?生い立ちとエピソードが面白い まとめ
最後に、ソクラテスについてまとめておきます。
・ ソクラテスは古代ギリシャの哲学者である。
・ ソクラテスは「自分は何も知らない」と自覚することが大切だと説いた。
・ ソクラテスは妻に度々怒られていた。
・ ソクラテスは自分の信念のために、自ら死を選んだ。
途中でもご紹介した『ソクラテスの弁明』は比較的短く、現代語で訳されたものがいくつか出版されています。
また、漫画になっているものも出版されています。
彼の言葉や行動は弟子を通じて書かれたものでしか分からず、「美化されているのではないか」、「本当にそんな人物だったのか」という疑惑は現在でも消えません。恐らく、世界史における永遠の謎だと思われます。
ですが、『ソクラテスの弁明』は非常に内容が整っており、現代を生きる私達が読んでもハッとさせられる内容となっています。
機会があれば、是非手に取ってみてください。
以上、ソクラテスの性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードでした!