搾取の構造が5分で分かる!名言と要約で学ぶマルクス作品超入門

勉強用に、マルクスの著作から重要な言葉を集めてみました。

マルクスは、とにかく「労働者は資本家に、お金も肉体も心も搾取されている」と考えました。
マルクスは正義感から、その搾取の構造を理論化し、暴いてみせようとしたのです。

難しい話は、読み飛ばしてもOK。
あなたの心に刺さる一節を見つけてください。

共産党宣言の要約と名言

大工業は世界市場をつくりだした。これは、アメリカの発見によってすでに準備されていたのである。
世界市場は、商業に、航海に、陸上交通にはかりしれない発展をもたらし、その発展がまた、工業の拡大に反作用した。
そして、工業、商業、航海、鉄道の拡大に比例して、ブルジョアジーは発展し、その資本をふやし、中世からうけつがれたすべての階級を背後におしやった。 『共産党宣言』
ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓掘人をつくりだす。
ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない。 『共産党宣言』
ブルジョアジーは、歴史上きわめて革命的な役割を果たした。
ブルジョアジーは、……封建的な、家父長制的な、牧歌的な関係を、のこらず破壊した。
人間をそのうまれながらの目上とむすびつけていた色とりどりの封建的なきずなを無慈悲にひきちぎり、人と人のあいだに、ろこつな利害、無情な『金勘定』のほかには、なんのきずなをものこさなかった。
……個人の品位を交換価値に解消し、特許状でゆるされ、りっぱにかちえられたかずかずの特権を、ただ一つの非情な商業の自由ととりかえてしまった。 『共産党宣言』
工場主による労働者の搾取が一段落して、労働者がその賃金を現金ではらってもらうと、たちまちブルジョアジーの他の部分、家主、小売商人、質屋などが、彼におそいかかる。 『共産党宣言』
これまでの下層の中産身分、すなわち、

– 小工業者や、
– 小商人や、
– 小金利生活者や、
– 手工業者や、
– 農民や、

これらすべての階級は、なかばは彼らの小資本が大工業の経営に十分でなく、より大きな資本家との競争にまけてしまう。
そのために、なかばは彼らの熟練が新しい生産様式によって価値をうばわれるために、プロレタリアートに転落する。
こうしてプロレタリアートは、人口中のあらゆる階級から補充される。 『共産党宣言』

(↑「中産階級」はいとも簡単にプロレタリア階級に転落することをマルクスは指摘する)

プロレタリアートは、ブルジョアジーからしだいにいっさいの資本をうばいとり、いっさいの生産用具を、国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し、生産力の量をできるかぎり急速に増大させるために、その政治的支配を利用するであろう。 『共産党宣言』
社会主義的ブルジョアたちは、近代社会の生活条件をのぞみながら、しかも、そこから必然に発生する闘争と危険とはのぞきたいのだ。
彼らは、現存の社会はそのままにして、ただそれから、それを変革し、解体させる諸要素をひきさりたいのだ。

ブルジョアジーは、自分たちの支配している世界を、いうまでもなく最良の世界だと思っている……だから彼らは、すべての政治行動、とくにすべての革命的行動を非難する。
彼らは平和的な方法でその目的をたっしようとのぞみ、そして、小さな、もちろん失敗するに決まっている実験によって、実例の力で、新しい社会的福音のために道をひらこうとつとめる。 『共産党宣言』

思想の歴史がしめすものは、精神的生産は物質的生産とともに変化するということにほかならないではないか? ある時代の支配的な思想は、つねにその支配階級の思想にすぎなかった。 『共産党宣言』
ブルジョアは自分の妻をたんなる生産用具と考えている。
生産用具にすぎない婦人の地位を廃止することこそわれわれの目的であるということなどは、彼らには思いもよらないのである。
ブルジョアどもは、公認の売淫制度のことはさておいても、彼らのプロレタリアの妻や娘を自由にできるだけではまだ満足せず、自分たちの妻をたがいに誘惑しあうことを無上の楽しみとしている。 『共産党宣言』
ブルジョア的結婚は、実際には妻の共有である。
だから、共産主義者を責めるにしても、せいぜい、共産主義者は、偽善的な、かくれた婦人共有のかわりに、公認の、おおっぴらな婦人共有をやろうとしている、といって非難するのが関の山であったはずだ。
いずれにせよ、今日の生産関係の廃止とともに、この関係からうまれる婦人共有、すなわち公私の売淫もまた、なくなることは、おのずからあきらかである。 『共産党宣言』
ブルジョアジーは、これまで貴いものとされ、敬虔なおそれをもってあおがれてきたいっさいの仕事から、その後光をはぎとった。
彼らは、医者や法律家や僧侶や詩人や学者を、自分たちのおやといの賃金労働者にかえてしまった。ブルジョアジーは、家族関係からその感動的なヴェールをはぎとって、ただの金銭関係に還元した。 『共産党宣言』
大工業の結果、プロレタリアにたいしていっさいの家族のきずながたちきられ、その子供たちがたんなる商品や労働用具に化せられるにつれて、家族だの、教育だの、親子の親密な関係だのについてのブルジョアのきまり文句は、ますます吐き気をもよおすものとなる。 『共産党宣言』
君らはつまり、われわれが君らの財産を廃止しようとのぞんでいるといって非難しているのだ。
いかにも、われわれはそれをのぞんでいる。 『共産党宣言』
賃労働すなわちプロレタリアの労働は、プロレタリアに財産を作り出すか?
けっしてつくりださない。それは資本をつくりだすのだ。
すなわち、賃労働を搾取する財産、新しい賃労働をうみだし、あらたにこれを搾取するという条件でのみはじめて増殖しうる財産を、つくりだすのだ。 『共産党宣言』
ブルジョアジーは、あらゆる民族を、もっとも未開な民族までも、文明にひきいれる。
彼らの商品の安い価格は、中国の城壁をもことごとくうちくずし、未開人のガンコきわまる外国人ぎらいをも降伏させる重砲である。
ブルジョアジーはすべての民族に、滅亡したくなければブルジョアジーの生産様式を採用するように強制する。
ブルジョアジーは、農村を都市の支配下に屈従させた。
彼らは、巨大な都市をつくりだし、都市人口の数を農村人口くらべていちじるしく増加させた。
ブルジョアジーは、農村を都市に従属させたように、未開国と半開国とを文明国に、農業国民をブルジョア国民に、東洋を西洋に従属させた。 『共産党宣言』
一個人が他の個人を搾取することがなくなれば、それに応じて一民族が他の民族を搾取することもなくなる。一民族の内部の階級対立がなくなれば、民族と民族とのあいだの敵対関係もなくなる。 『共産党宣言』
強大な生産手段と交通手段とを魔法でよびだした近代ブルジョア社会は、自分がよびだした地下の魔物を、もはや、統御しきれなくなった魔法使に似ている。
この数十年来、工業と商業との歴史は、もはや、ブルジョアジーとその支配の生存条件である近代的生産関係、所有関係にたいする、近代的生産力の反逆の歴史でしかない。
これには、週期的(周期的)にくりかえされるごとに、ますますはなはだしく、全ブルジョア社会の存立をおびやかす商業恐慌をあげれば、十分である。 『共産党宣言』
プロレタリアは機械のたんなる付属物となり、きわめて単純単調な、ごくたやすくおぼえられる操作を要求されるにすぎない。……したがって、労働のいとわしさがませばますほど、賃金はさがってゆく。 『共産党宣言』
工業の発展とともに、……機械がますます労働の差異をけしさり、賃金をほとんどいたるところで同一の低い水準にひきさげる。
そのため、プロレタリアートの内部の利害も生活状態も、ますます均等になってくる。
個々の労働者と個々のブルジョアとの衝突は、ますます二つの階級の衝突の性質をおびてくる。
労働者はブルジョアに対抗する結合をつくりはじめる。
彼らは、その賃金を維持するために同盟する。
彼らは、このようなときおりの反抗にそなえるために、永続的な結社さえもつくる。
ところどころで闘争は暴動となって爆発する。
労働者はときどき勝利を得るが、それはほんの一時にすぎない。
彼らの闘争の真の成果は、直接の結果にはなく、労働者の団結がますます拡大することである。 『共産党宣言』
階級への、それとともにまた政党への、プロレタリアの組織化は、労働者自身のあいだの競争によってたえずくりかえしうちくだかれる。
だが、それはいつも、いっそう強力な、いっそう強固な、いっそう有力なものとなって復活する。
それは、ブルジョアジーのあいだの分裂を利用することによって、法律の形で労働者の個々の利益の承認をかちとる。たとえば、イギリスの十時間労働法がそれである。 『共産党宣言』
私的所有が廃止されるとともに、いっさいの活動は終止し、全般的な怠惰がはびこるであろうという異議が(共産主義に対して)となえられた。
もしそうなら、ブルジョア社会はとっくに怠惰のために滅亡しているはずである。
なぜなら、ブルジョア社会でははたらく者はもうけず、もうける者は、はたらかないからである。 『共産党宣言』
プロレタリアートの生活条件では、旧社会の生活条件はすでに破壊されている。
法律、道徳、宗教は、プロレタリアにとっては、そのいずれも、背後にブルジョアの利益をかくしもったブルジョア的偏見である。 『共産党宣言』
共産主義者は、実践的には、すべての国々の労働者政党のうち、もっとも確固たる、たえず推進していく部分である。
理論的には、プロレタリア運動の条件、進路、一般的結果を理解する点で、プロレタリアートの他の大衆にまさっている。 『共産党宣言』
階級闘争が発展し、形をなしてくるにつれて、このような空想における階級闘争の超越、このような空想における階級闘争の克服は、いっさいの実践的な価値と理論的な正当さとをうしなう。
だから、これらの体系の創始者たちが多くの点で革命的であったのに、その弟子たちはいつも反動的な宗派をつくっている。
彼らは、プロレタリアートの歴史的発展をまえにしながら、その師匠たちの古い見解をかたくまもっている。
したがって、彼らは一貫して、階級闘争をふたたび鈍らせようとし、対立を調停しようとする。 『共産党宣言』
大工業によってつくりだされる交通機関の発達は、ちがった地方の労働者をたがいに連絡させ、労働者の団結を促進する。
だが、いたるところで同じ性質をもつ多くの地方的闘争を、一つの全国的闘争に、すなわち階級闘争に結集するには、ただこのような連絡さえあればたりるのである。
中世の市民が数世紀を要したこの団結を、鉄道をもつ近代プロレタリアは数年にして達成する。 『共産党宣言』
労働者は祖国をもたない。
彼らがもたないものを、それからとりあげることはできない。
プロレタリアートは、まずもって政治支配をかちとって、民族的階級にみずからをたかめ、自分自身を民族として組織しなければならないという点では、ブルジョアジーの意味とはまったくちがうとはいえ、プロレタリアート自身やはり民族的である。 『共産党宣言』
階級と階級対立とをともなう旧ブルジョア社会にかわって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような一つの協同社会があらわれる。 『共産党宣言』
ブルジョアジーが封建制度をうちたおすのにもちいたその武器が、いまや、ブルジョアジー自身に向けられている。だが、ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をきたえたばかりではない。彼らは、この武器をとるべき人々をもつくりだした。――すなわち近代労働者、プロレタリアを。 『共産党宣言』
ドイツでは、共産党は、ブルジョアジーが革命的に行動するかぎり、ブルジョアジーと協力して絶対君主制、封建的土地所有、小町人とたたかう。 『共産党宣言』
ブルジョアジーがいやおうなしにその担い手となっている工業の進歩は、競争による労働者の孤立のかわりに結合による彼らの革命的団結をつくりだす。だから、大工業の発展とともに、ブルジョアジーが生産し、その生産物を取得するための土台そのものが、ブルジョアジーの足もとからとりさられるのだ。ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓掘人をつくりだす。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない。 『共産党宣言』
手の労働が熟練と力わざを要しなくなればなるほど、つまり近代工業が発展すればするほど、男子の労働は、ますます婦人や子どもの労働によって駆逐されていく。性や年齢のちがいは、労働者階級にとってもはやなんの社会的意味ももたない。 『共産党宣言』

資本論の要約と名言

労働者は、労働過程のある期間中は……彼の生活に必要な生活手段の価値を、生産するにすぎない。
……この価値生産は、単なる再生産として現われる。
かくして、この再生産が行なわれる労働日の部分を、私は必要労働時間と名づけ、この時間中に支出される労働を必要労働と名づける。

…労働者が必要労働の限界をこえて労苦する労働過程の第二の期間は……彼のためには、何らの価値をも形成しない。
それは、無からの全魅力をもって、資本家に笑みかける剰余価値を形成する。
労働日のこの部分を、私は剰余労働時間と名づけ、そしてこの時間内に支出された労働を、剰余労働(surplus labour)と名づける。

……この剰余労働が……労働者から搾り上げられる形態こそ、種々の経済的社会形式を、たとえば奴隷制の社会を、賃金労働の社会から、区別するのである。 『資本論』

歴史的に資本は、土地所有に、いたるところでまず第一に貨幣の形態で相対する。
貨幣財産、商人資本および高利貸し資本として。
だが、貨幣を資本の最初の現象形態として認識するためには、資本の成立史を顧みる必要はない。
同じ歴史が、毎日われわれの眼の前で行なわれている。
すべての新資本が、最初に舞台を……踏むのは、なおいつでも貨幣としてである。
この貨幣が、一定の過程をつうじて資本に転化されることになるのである。 『資本論』
私は説明を簡略にするために、この著作ではどこでも、金が貨幣商品であると前提する。
金の第一の機能は、商品世界にたいして、その価値表現の材料を供し、または商品価値を同分母をもつ大きさ、すなわち質的に等一で、量的に比較のできる大きさとして、表示することにある。
『資本論』 価値尺度として機能し、したがってみずから、あるいは代理を通じて、流通手段として機能する商品は、貨幣である。
したがって、金(ばあいによっては銀)は貨幣である。 『資本論』
例えば一トンの鉄の中に含まれている人間労働の一定量は、同一量の労働を含んでいる一定の観念化された貨幣商品の量の中に表現される。 『資本論』
財貨の価値の大きさはどうして測定されるか? その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量によってである。
労働の量自身は、その継続時間によって測られる。
……もしある商品の価値が、その生産の間に支出された労働量によって規定されるならば、ある男が怠惰であり、または不熟練であるほど、その商品は価値が高いということになりそうである。
というのは、その商品の製造に、この男はそれだけより多くの時間を必要とするからである。
……同一の大きさの労働量を含む商品、または同一労働時間に製作されうる商品は、したがって、同一の価値の大きさをもっている。 『資本論』
怠惰な労働者は、よけい時間がかかるぶん、能力が高い労働者の労働より価値が高くなってしまうだろう。
彼は、労働力を、引っくるめて一度に売るならば、自分自身を売るのであって、一個の自由人から奴隷に、一個の商品所有者から商品に転化する。 『資本論』
一八四四年の法律は、正午以前に働かされた八歳ないし一三歳の児童を、午後一時以降にふたたび働かせることを禁止してはいた。
しかし、その労働時間が、正午かまたはそれ以後に始まった児童の六時間半の労働については、少しも規制していなかった!
彼らを、晩の八時半まで中断することなく、工場に留め置くことができた! 『資本論』
国民的な称号で飾られた大銀行は、その出生の当初から、政府に助勢して与えられた特権のおかげで政府に貨幣を前貸しすることのできた私的投機業者たちの会社にすぎなかった。
イングランド銀行は、その貨幣を八%の利率で、政府に貸し付けることからはじめた。
同時にそれは、貨幣をさらに銀行券の形態で公衆に貸し付けるという仕方で、その同じ資本から貨幣を鋳造する権限を議会によって与えられた。
イギリスでは、魔法使いの女を火刑にすることが廃止されたのと同じ時に、銀行券偽造者を絞首刑にすることが始まった。 『資本論』
元来労働者の搾取を目指すもので、その進行中もつねに労働者にたいして敵対的だった賃金労働にかんする立法は、イギリスでは、1349年のエドワード三世の労働者法によって開始される。
フランスでこれに対応するものは、ジャン王の名で発布された、1350年の勅令である。
イギリスの立法とフランスの立法とは並行して進み、内容も同一である。
労働者の団結は、一四世紀から団結禁止法の廃止の年である1825年までは、重罪として取扱われる。 『資本論』
剰余価値または利潤は、まさに、商品の費用価格を超える商品価値の超過分に、すなわち、商品に含まれる支払い労働量を超える商品に含まれる総労働量の超過分に、ある。 『資本論』
国家支払いをその仔(利子)と見なしている資本は、幻想的なもの、空資本であるにとどまる。
国家に貸し付けられた金額が、一般にもはや存在しないというだけではない。
そもそもそれは決して、資本として支出され、投下されるように定められているのではなかった。
そしてそれは、ただ資本としての投下によってのみ、自己を保存する価値に転化されえたであろう。 『資本論』
炭坑主は、ある種の紳士を監督に任命し、この紳士たちは、気に入られるために、万事をできるだけ経済的にやってゆく策を採る。
男ならば二シリング六ペンスを受け取るのに違いない場合に、従業する少女は、一日に一シリングから一シリング六ペンスを受け取っている。 『資本論』

経済学批判の要約と名言

物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。
人間の意志が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する。

人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。
なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ。 『経済学批判』

私の専攻は法律学の研究であったが、しかし私は哲学と歴史を研究するかたわら二次的な学科として法律学を学んだにすぎない。
一八四二年から一八四三年にかけて、「ライン新聞」の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困った破目におちいった。
私に経済問題にたずさわる最初のきっかけをあたえた。 『経済学批判』

経済学・哲学草稿の要約と名言

もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。 『経済学・哲学草稿』

↑片思いはむくわれない、という話。

労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、彼の生産の力と範囲とがより増大すればするほど、それだけますます貧しくなる。 『経済学・哲学草稿』

↑働けば働くほど、貧しくなる。

労働が労働者の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないでかえって否定され、幸福と感ぜずにかえって不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展させられずに、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は頽廃化する……
労働していないとき、彼は家庭にいるように安らぎ、労働しているとき、彼はそうした安らぎをもたない。
だから彼の労働は、自発的なものではなく強いられたものであり、強制労働である。 『経済学・哲学草稿』
労働(者)は、資本家が儲けるさいには、必然的に儲けるとは限らない。
が、しかし資本家が損をするさいには、必然的に損をする。 『経済学・哲学草稿』
労働者の生産物が労働者に属さず、疎遠な力として彼に対立しているならば、そのことはただ、この生産物が労働者以外の他の人間に属するということによってのみ可能である。
労働者の活動が彼にとって苦しみであるならば、その活動は他の人間にとって享受であり、他の人間のよろこびでなければならない。 『経済学・哲学草稿』
労働者の活動は、彼の自己活動ではないのである。
人間(労働者)は、ただわずかに彼の動物的な諸機能、

– 食うこと
– 飲むこと
– 産むこと

さらにせいぜい、住むことや着ることなどにおいてのみ、自発的に行動していると感ずるにすぎない。
そしてその人間的な諸機能においては、ただもう動物としてのみ自分を感ずるということである。
動物的なものが人間的なものとなり、人間的なものが動物的なものとなるのだ。 『経済学・哲学草稿』

『賃銀・価格および利潤』の要約と名言

労働者階級は、全体として考えてみれば、その所得を生活必需品に費やしており、また費やさねばならぬということは全く正しい。
だから賃銀率の一般的高騰は必需品の需要の増加を、したがってまたその市場価格の騰貴を生ずるであろう。

さて、必需品を生産しない資本家たちの状態はどうであろうか?
彼らは、賃銀の一般的騰貴の結果として生ずる利潤率の低落の代償を、彼らの商品の価格の騰貴によって得ることはできぬであろう。
というわけは、これらの商品に対する需要は増加しないだろうからである。 『賃銀・価格および利潤』

彼らの賃銀は、もちろん、彼らの生産する諸商品の価値を超過すること――すなわちそれより多いこと――はありえない。
しかし、あらゆる可能な程度でそれより少ないことはありうる。

彼らの賃銀は諸生産物の価値によって制限されるであろう。
しかし彼らの諸生産物の価値は賃銀によっては制限されないであろう。 『賃銀・価格および利潤』

高い賃銀とは何であり、低い賃銀とは何であるか?
なにゆえに、たとえば毎週五シリングでは低い賃銀であり、また毎週二十シリングでは高い賃銀なのか?
需要供給によって決定されると考えるならば、それはまったく諸君の誤りであろう。
諸商品の相対的価値(賃銀)は、それらに費やされた・実現された・固定された・労働のそれぞれの分量によって決定される。 『賃銀・価格および利潤』
諸商品は、たとえば一枚の絹のハンカチには一個の煉瓦によりも多量の労働が費やされるというように、それらが体現する労働量の多少によってのみ区別されうる。
だからわれわれはつぎのような結論に到達する。
商品が価値をもつのは、それが社会的労働の結晶だからである。
諸商品の相対的価値は、それらに費やされた.実現された・固定された・労働のそれぞれの分量によって決定される。
同一の労働時間内に生産されうる諸商品の相関的諸分量は相等しい。 『賃銀・価格および利潤』
賃銀制度の基礎のうえでは、労働力の価値は、他の各商品の価値と同じように決定される。
賃銀制度の基礎のうえで平等な報酬または公正な報酬をさえ要求することは、奴隷制度の基礎のうえで自由を要求するのとおなじことである。 『賃銀・価格および利潤』
彼らは、「公正な一日の労働にたいする公正な賃銀!」という保守的な標語の代りに「賃銀制度の廃止!』という革命的なスローガンを彼らの旗に書きしるさねばならぬ。 『賃銀・価格および利潤』
市場価格の下落の段階、および恐慌と停滞との段階では、労働者はすっかり失業しないまでも、きっとその賃銀を引き下げられるであろう。
だまされないためには、彼は、市場価格のかかる下落に際しても、どんな割く口で賃銀の下落が必然的となったかについて、資本家と争わなければならない。
もし彼が、特別利潤のあげられる繁栄の段階において賃銀の値上げのために戦っていなかったならば、彼は、一つの産業循環を平均してみれば、彼の平均賃銀、または彼の労働の価値を受け取ることさえもないであろう。 『賃銀・価格および利潤』
もし労働者が、われわれの前の仮定にもとづいて、彼の生みだした価値の半分に等しい三シリングを得るとすれば、あるいは、彼の全労働日が半分は支払労働、半分は不払労働から成り立つとすれば、資本家も三シリングを得るわけだから、利潤率は100%であろう。
……労働者が二シリングしか受け取らぬとすれば、……資本家は四シリングを得るであろう。そして利潤率は200%であろう。 『賃銀・価格および利潤』
労働者は、賃銀の値上げを要求しても、それはただ、彼の労働の増加した価値を得ようと要求するだけである。
そのことは、他の商品の売り手が誰でも、自分の商品の生産費が増加した際その増加した価値を支払ってもらおうとするのと同じである。
賃銀が騰貴しないか、または、必需品の価値の増加を償うに足るだけ騰貴しないならば、労働の価格は労働の価値以下に下落するであろう。
そして労働者の生活水準は低下するであろう。 『賃銀・価格および利潤』
時間あってこそ人間は発達するのである。
勝手にできる自由な時間のない人間、睡眠・食事などによる単なる生理的な中断は別として全生涯を資本家のための労働によって奪われる人間は、牛馬より憐れなものである。
彼は、からだをころされ、心をけだもの化された、他人の富を生産するための単なる機械である。 『賃銀・価格および利潤』

その他の作品

プロレタリアたちは、人格として力を発揮するためには、かれら自身の従来の生存条件……すなわち、労働を廃止しなければならない。
そして、かれらの人格性を貫徹するためには、国家をうちたおさねばならない。
『新版ドイツ・イデオロギー』
歴史的発展の過程で、そして分業の内部で、社会的諸関係が不可避的に自立的なものとなる事態をつうじて、各個人の生活のうちにある区別が目立ってくる。
すなわちそれは、個人の人格的であるかぎりでの生活と、労働のなんらかの部門およびそれに属する諸条件に服属せしめられているかぎりでの生活との区別である。
(このことを、たとえば金利生活者、資本家等々は人格であることをやめたのだという意味に理解してはならない。
かえってかれらの人格のあり方が、まったく特定の階級諸関係によって制約され、決定されているという意味に理解しなければならない) 『新版ドイツ・イデオロギー』
人類のために最善の働きができる立場を選ぶなら、重荷のために挫折することはありえない。
重荷は万人のための犠牲にすぎないからである。そのときわれわれが享受するのは、貧しく狭い、利己的な喜びではなく、われわれの幸福は幾百万人のものであり、われわれの行為は静かに、しかし、永遠に生きつづけ、われわれの遺灰は高潔なる人びとの熱い涙でぬれるであろう。

↑マルクス17歳のときの卒業試験での文章。「職業選択に際しての一青年の考察」

マルクスひげ

高等遊民のnoteの紹介

 

noteにて、哲学の勉強法を公開しています。

 

現在は1つのノートと1つのマガジン。

 

1.【高等遊民の哲学入門】哲学初心者が挫折なしに大学2年分の知識を身につける5つの手順

2. 【マガジン】プラトン『国家』の要約(全10冊)

 

1は「哲学に興味があって勉強したい。でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。

5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。

3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。

3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。

ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。

かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。

音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。

 

2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます

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