どうして、先生はお嬢さんを好きになったの?
とくに好きになったきっかけなどは、書かれていませんね。
なんかいつの間にか、好きになっています。
なので、そのあたりの先生のお嬢さんに対する愛についての漱石の叙述をまとめてみました。
※原文は青空文庫から引用しているので、ルビが入り込んでいます。
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先生はお嬢さんに一目ぼれしている
完全に、一目ぼれしています。
私はそれまで未亡人びぼうじんの風采ふうさいや態度から推おして、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。
軍人の妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉ことごとく打ち消されました。
そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂においが新しく入って来ました。
私はそれから床の正面に活いけてある花が厭いやでなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。
きっと、かわいかったんでしょう。
先生の友人も、美人だと評しています。Kも好きになっています。
「先生と私」における私も、第一印象を美しい人、と言っています。
もう決定ですね。先生がお嬢さんに惹かれた理由、それは、美人だったから。
お嬢さんの琴の音を聞く先生
まず、お嬢さんと先生は、おたがいへどもどしたあいさつ&赤面で初対面をかわします。
そして、お嬢さんの生け花をながめ、琴の音を聞く生活が始まります。
私は自分の居間で机の上に頬杖ほおづえを突きながら、その琴の音を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解わからないのです。けれども余り込み入った手を弾ひかないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。
片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向いっこう肉声を聞かせないのです。唄うたわないのではありませんが、まるで内所話ないしょばなしでもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱しかられると全く出なくなるのです。
ただでさえ小さな声だから、じっくり注意を傾けないといけません。
小さな声しか出さないというのは、もう声を聴こうとしているということですね。
この時点で、先生はお嬢さんに関心を持っていることが分かります。
信仰に近い愛
で、すぐに愛情を覚え、精神化してしまいます。
私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。
私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。
私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。
お嬢さんの事を考えると、気高けだかい気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。
もし愛という不可思議なものに両端りょうはじがあって、その高い端はじには神聖な感じが働いて、低い端には性欲せいよくが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕つらまえたものです。
私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体からだでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭においを帯びていませんでした。
ま、若い時代によくある感情ですね。誰しもが通る道ですし、こういう恋の感情を否定するものには災いあれとコンスタンの『アドルフ』でも言われています。
この信仰に近い愛を補完する事実は、先生とお嬢さんとの間には、子どももいないことです。おそらく交渉を持ったことがない、非常に特殊な夫婦関係であることが推測できます。
子どもがいない理由についても、先生は「天罰」としか語りません。
なぜ先生はお嬢さんに告白できないのか?
お嬢さんにさっさと告白しちゃえば、悲劇は何も生まれませんでした。
なぜ、できなかったのでしょう?
奥さんにお嬢さんを呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。
しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔ゆうじゅうな男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。
Kの来ないうちは、他ひとの手に乗るのが厭いやだという我慢が私を抑おさえ付けて、一歩も動けないようにしていました。
Kの来た後のちは、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。
はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。
これを、先生は次のように自己分析しています。
つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠うえんな愛の実際家だったのです。
じゃあどう思ってるか、率直にお嬢さんに聞けばいいんでないの?
とすると先生、こんなことを。
日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼きがねなく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。
八方塞がりですね。本当に、あだち充『みゆき』の主人公、若松真人くらい、何もしませんこの男は。
Kが下宿に来てからお嬢さんへの愛に気が付いた
これは文学者の柄谷行人氏の説で、おもしろいのでご紹介します。
例えば、先生のお嬢さんを愛するようになったのは、Kが下宿に来てからなのです。
Kがお嬢さんを愛しているかもしれないような事態の中で、初めて先生は愛を意識したのですから、Kより「先に」お嬢さんを愛していたというのは虚構ですね。
Kが介在することによって、初めて恋愛は成立したのです。
すると、愛を意識したときは、すでにKを犠牲にしなければならない立場にあったのです。
すでに三角関係における苦悩なのではありません。
「愛」そのものが、三角関係によって形成されたのですから。
まとめ
夏目漱石『こころ』で「先生がお嬢さんに惹かれた理由」を考察してみました。
その理由は、美人だったから(笑)
良く読むと、本当になんてことない理由だったんですね。
それでも、こんなに面白く読ませる漱石はすごいですね。
主な参考文献