哲学者プラトンの生涯とその思想について、改めて考えてみます。
その中で「プラトン哲学」という当たり前のように使われる言葉について、少し疑問を投げかけてみたいと思います。
というのも、プラトン自身は、対話篇のうちで自らの考えをはっきりとは言及していません。「プラトンの哲学」という概念を生んだのは、アリストテレスでした。
以下はメモ的な考察になりますが、プラトンの生涯と著作、また、アリストテレスによるプラトン哲学解説を確認していきます。
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プラトンの生涯(B.C.427-347)と著作
名門の出自のアテナイ市民。404-403年の「三十人政権」と関係。ソクラテス裁判の後に一時メガラに退避し、政治活動から距離をとる。
後にアテナイに帰国、アカデメイアの地に学園を創立。南イタリア、シチリアに3度訪問。シチリアの政治に関与し、ディオンと親交を結ぶ。
哲学活動
「ソクラテス文学」として対話編を執筆。学園アカデメイアでの研究。「善について」の講義をしたとも。
弟子にアリストテレスを始め、女性がいたとも。この学園は約800年存続した。
著作
『プラトン著作集』として、トラシュロス(後1世紀の学者)が編纂した。テトラロギア(Tetralogia,9つの4部作=36作品=35対話編+13書簡)。
それに加えてプラトンの名のもとに他者が書いたとされる「定義集」および「偽作」(6作品)。→ディオゲネス・ラエルティオス3.56-62参照。
プラトンの著作を保存・伝承した人々は、アカデメイアやアレクサンドリア図書館。一般での流布状況については謎。
中世では写本によって伝承された。(現存する最古の写本は9世紀末のもの。)
20世紀にエジプトのオキュシリンコスで大量のパピルスが出土。『饗宴』の一部が発見された。
著作の真偽論争
プラトン著作集に他人の作品が紛れ込むのはなぜか。意図的な偽作、弟子や学派の作品との混同、図書館収集の際の混乱などが考えられる。
真偽論争は古代からあることが、ディオゲネス・ラエルティオスの報告から確認される。
近年では19世紀ドイツ文献学による偽作論争がある。彼らは基本的にアリストテレスの証言に依拠した。その結果『パルメニデス』をはじめ多くの作品が偽作と認定されるが、その後一部は復権。
真偽論争の問題点としては、偽作とされた作品が無視されてしまうことである。それにより研究者からの注目が薄れ、研究も停滞してしまう。
例)『アルキビアデス1』『ヒッピアス大』『クレイトポン』など。
プラトン哲学とは?
プラトン哲学というのはそもそもあるのか。少なくとも対話編にプラトン自身の登場は数回、発言は一切ない。
そこでまず考えられるのは、プラトンの思想を登場人物(ソクラテス、エレアの客人)が代弁しているという解釈。
『書簡集』の存在。しかし、プラトン自身の言葉が書かれている書簡は、偽作の疑いが高い。
例)『第七書簡』は非常に重要な内容を持っているが、偽作の疑いがある。
プラトン哲学というのは、他人(特にアリストテレス)による報告と、対話編の議論の分析によって、考えられた解釈である。
つまり、プラトンが自身の考えをはっきりと表明している箇所は一つも存在しない。
アリストテレスの証言:『形而上学』A巻6章
以下のような報告。
1)ピュタゴラス派の哲学に多くの点で従う。
2)若い頃からクラテュロスに接して、ヘラクレイトス的な見解に従い、後年も守った。
3)ソクラテスの普遍的なものの問いや定義する試みを継承。
これらの点において、プラトンは独自の哲学を形成していると報告する。
つまり、アリストテレスにとってのプラトン哲学とは、ヘラクレイトス+ピタゴラス+ソクラテス。
しかし問題も。確実に影響を受け、プラトンの問題意識にあったパルメニデスやソフィストについては、アリストテレスでは触れられていないという問題もある。
アリストテレスによるプラトン哲学とは「流転説+普遍定義」
ヘラクレイトス派の流動説では、感覚的事物はすべて絶えず流転しているとされる。それらについて真の認識は存在しない。したがって、共通普遍の定義は感覚的事物については不可能。
そこでプラトンは、普遍の定義を「別種の存在」についてなされるべきと考え、その別種の存在をイデアidea, eidosと呼んだ。
イデアの分有
感覚的事物fは、イデアFに従い、それとの関係で名付けられる。感覚物はイデアに与る(分有する)ことでそのように存在する。
たとえば美そのもの(美のイデア)を分有することで、美しいものは存在するとされ、美しいものが美しくなくなるときは、それが美イデアの分有をやめたと考える。
ピュタゴラス派の影響(アリストテレスの報告)
ピュタゴラス派は、存在する事物がそのように存在する理由を、その事物が数を「真似る」mimesisことによってであるとした。
それをプラトンは言い方を変えて、感覚物がイデアを「分有する」ことによって存在するとした。
このイデア(エイドス)に与るとか、まねるということが、一体なんのことであるのかは、共同の研究課題として私たち(アカデメイアの徒)に残した。
だがプラトンは感覚物とイデアの中間に「数学的対象」の事物が存在すると主張した。また、実際にアカデメイアでピュタゴラス主義が流行した。
アリストテレス証言の問題点
1)「不文の教説」に言及している。イデアの構成要素が「一」と「不定の二」(大と小)とする点は、プラトン対話編のどこにも書かれていない。
2)言及されていないプラトンへの影響がある。まずパルメニデス。不変で一なる「ある」という考え方がイデアではないのか。
また、プロタゴラスらソフィストの相対主義への批判もプラトン対話編の重要な要素。
3)ソクラテスとの区別が、イデアの離在を説いたことにあるとされること。
哲学体系? 不文の教説
以上のようなアリストテレスの言及のおかげで、こんなことを考える研究者が現れた。いわく「プラトンは体系的教説doctrinesをもっていたが、それを意図的に秘匿した。」
こうした学説が、テュービンゲンーミラノ学派によって唱えられる。プラトンは弟子たちに教えを口伝によって伝え、対話編はそのヒントだけでプラトンの真意は書かれていないと主張。これは裏にドイツ的な哲学体系を想定している。
ただしプラトン対話篇におけるテクスト上の根拠は全くない。