海賊と呼ばれた男は実話なの?
実在のモデル出光佐三のプロフィールと生涯を知ってくださいませ(^^)
海賊とよばれた男の原作は百田尚樹氏による歴史経済小説です。
岡田君が演じる主人公「国岡鐡造」は実在した人物をモデルにしてるんですよね~。
劇中にチラッと映る「KUNIOKA」ガソリンスタンドのマークを見れば
「あぁ。あの大企業の創業者ね!」となるはず。
そうです。かの有名な石油元売会社である「出光興産」!!
その創業者である「出光佐三(いでみつ さぞう)」こそ、海賊とよばれた男なんです!
今回は物語の主役である「出光佐三」のプロフィールと生涯について迫ります。
- 劇中での出来事は本当の話なのか?
- あの人物も実在したの?
などなどの疑問も分かりやすく解説します!
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国岡鐵造の実在したモデル「出光佐三」プロフィール
こちらが出光興産創業者である「出光佐三」さん。
- 出身:福岡県
- 生年月日:1885年8月22日
- 没年月日:1981年3月7日(満95歳)
明治から戦後にかけて
- 日本の実業家
- 石油エンジニア
- 海事実業家
として活躍しました。
岡田君演じる国岡も言葉に訛りがありますが福岡の訛りだったんですね。
出光佐三は6男2女の次男として生まれます。
小学校の頃から神経症と眼病を患っていたそうで割と虚弱な体質だったようですね。
しかしそのハンデをものともせず、読書により自分の頭で考え抜く習慣を身につけていた佐三氏。
高校までは福岡で暮らし、その後「神戸高等商業学校(現:神戸大学)」への入学を機に神戸に移ります。
当時、同じ大学の卒業生は「海運会社に就職するのが普通」
だったそうですし佐三氏自身も「将来は外交員になりたい!」と思っていたそうですが
卒業後は神戸で小麦粉と石油・機械油などを扱う従業員3人の酒井商店に丁稚(でっち)として入店。
※丁稚とは…職人の元で働く『弟子(でし)や子弟(してい)』のような位置。
これには学友からもかなりの非難を浴びたそうです。
しかし、酒井商店で働きながらも家庭教師をしていた佐三氏に転機が訪れるんです!
日田重太郎から資金6,000円を渡され満25歳で独立!
これ劇中にもありましたね~。
海沿いを歩きながら資産家「日田重太郎」と国岡がお金と事業について話すシーン。
日田重太郎も実在した資産家であり、佐三氏の恩人である人物なんです!
しかも日田氏は実名です。
劇中での説明同様に日田氏は「別荘を売却して得た金額の一部である6000円を佐三に渡します。」
その時に託した言葉が
- 働く者を身内と思い良好な関係を築き上げろ。
- 己の考えを決して曲げず貫徹しろ。
- そして私(日田)が金を出したことは他言するな。
なんという太っ腹と男前なセリフでしょうか。
この6000円で佐三氏は福岡に「出光商会」を設立します。
劇中では会社設立から3年経っても成果が上げられない国岡が日田に「借金は必ず返します!」と頭を下げますが
「貸した覚えはない。あげたんや。」と答える日田氏が印象的です。
そもそも日田氏の息子の家庭教師をしていた佐三氏。
独立をしたいという佐三氏の思いを知っただけでお金をあげるなんて、よほどの魅力を感じたのかもしれませんね。
その後の出光佐三と「日章丸事件」とは
小説化・映画化されるほどに濃く波乱な人生を送った佐三氏。
全てを紹介するにはそれこそ小説ばりの長文になってしまうため、ここからは要点的に経歴をまとめたいと思います!
以下Wikipedia引用
- 1914年(大正3年) 南満州鉄道に車軸油の納入成功。
- 1919年(大正8年)酷寒の地・満州で車軸油が凍結し、貨車のトラブルが続出していた南満州鉄道に「2号冬候車軸油」を無償で提供。
- 当初は使われてすらいなかったが、単身満州にわたり満鉄本社に直談判し、現地で試験を行い、事故を一掃した。
極寒の満州に 染谷将太演じる「長谷部喜雄」とともに寒さに耐えれる車軸油を持ち込み試験を突破していましたよね。
↑左が染谷将太演じる「長谷部喜雄」
残念ながら「長谷部喜雄」のモデルになった人物は原作にも登場しないので、映画用に作られた人物のようです。
- 1945年(昭和20年)8月 出光佐三は、終戦の2日後、従業員に「愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」と訓示した。当時、多くの企業が人員を整理する中、出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言した。
こちらも序盤のシーンにありましたね。
終戦して多くの企業が倒産、人員の解雇をする中1000人の従業員を首にしないと誓うトップ。
社員を想う気持ちと会社のトップとしての信念を感じます。
- 1950年(昭和25年)出光興産、石油製品の輸入を主張。
- 1951年(昭和26年)出光興産、日章丸二世を建造。
- 1952年(昭和27年)出光興産、高オクタン価ガソリンを輸入。
- 1953年(昭和28年)5月9日 イラン石油輸入日章丸事件
映画でも最大の見せ場となっている「日章丸」と「イラン石油」
一体どんな事件だったのか。映画のシーンを振り返りながら簡単にご説明いたします!
戦後の苦しい経営難の中、国岡商店はラジオ修理をしたり、旧海軍の燃料タンクから廃油を組み出したりして事業の再建を試みます。
(これも実際に出光興産で行われていたこと。)
しかし戦後の日本での石油の仕事は欧米のメジャーに占拠されていたため、出光はここに挑戦します。
(メジャーからの合併の話に啖呵をきってましたね。)
メジャーからの各輸入元石油会社への圧力により取引を中止される国岡商店(出光)。
メジャーすなわちアメリカの管轄外であるイランへと目を向けます。
そして、1953年の5月9日「日章丸二世」にイランの石油を積み込み、日本への輸入を試みるんです。
これは「日章丸事件」と呼ばれました。
私は、行けと言われて帰って来ただけです❢❣
て言える人間になりたい😎 そんな人間関係がいい。#日章丸#海賊と呼ばれた男 pic.twitter.com/3lNZIY8PxX— やっちゃん࿓🔞࿐ (@yasan___) 2018年1月6日
これの何が危険で大事件だったかというと
- 半世紀に渡り石油をイギリスのアングロ・イラニアン社に奪われてきたイラン
- 1951年に当時のイランの首相が石油国有化政策を取り、同社の石油施設を接収
- イギリスはイランに経済封鎖を行い、イラン石油を購入するタンカーの拿捕を実施
つまりイギリスに石油を奪われまいとイランの首相が石油施設を接収したことで
イギリスは石油を手に入れられず「ならば経済封鎖してやる!」って強引な制裁に出たわけです。
そうなると他の国がイランと貿易しようとするとイギリスがいじわるしてくるんですよね。
「イランに利益になるようなことすんな!」
「石油はうち(イギリス)がもらうはずだったから船見つけたら拿捕するよ。」
この状況だけ聞くとだいぶ身勝手で強引なように見えますが、これを無視して強行した出光。
その後の裁判でも勝訴し、敗戦後の日本を勇気づける大事件だったわけです。
そんな偉業を遂げた出光は独自路線で発展し、石油化学工業にも進出します。
佐三氏は1966年(81歳)に出光興産社長を退き、会長に。
86歳で「店主」となり、1981年に95歳で大往生しました。
波乱の人生を猛進し続けた佐三氏。
一代でここまでの大企業にするとは、その行動力と信念が半端じゃないってことですね。
まとめ:海賊とよばれた男は実話で実在のモデル?出光佐三のプロフィールと生涯
海賊とよばれた男の実在したモデル「出光佐三」についてご紹介しました!
- 国岡鐵造の実在したモデル「出光佐三」プロフィール
- 日田重田郎から資金6000円を渡され満25歳で独立!
- その後の出光佐三と「日章丸事件」
物語に登場する人物は染谷将太演じる「長谷部喜雄」以外ほとんどにモデルが存在していました!
まさか独立のキッカケを作ってくれた資産家が本当にいただなんて・・・
やはり持っている人は人脈と運も味方につくんですね~。
仕事に熱く生きた日本人!
大企業の創業者の生涯はフィクションに思えるほど波乱に満ちていました。
以上「海賊とよばれた男は実話で実在のモデル?出光佐三のプロフィールと生涯」でした!
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