三島由紀夫の性格や経歴は?生い立ちとエピソードが面白い




戦後日本文学の旗手として名高い、三島由紀夫。

作家としてだけでなく、割腹自殺をした「三島事件」を思い浮かべる人も多いでしょう。

今回は三島由紀夫について

  • 三島由紀夫の生い立ちは?
  • 三島由紀夫の経歴と作品
  • エピソードで読む三島由紀夫の性格は?

 

を紹介します。

 

こちらを読めば、三島由紀夫の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かります。

『潮騒』や『金閣寺』などの三島由紀夫の作品をさらに楽しめるようになります。

ぜひご覧ください。

 

 

三島由紀夫の生い立ちは?

三島由紀夫は、東京・四谷出身の日本の作家で、

  • 小説
  • 演劇
  • 随筆
  • 評論

 

などで数多くの作品を残しました。

ノーベル文学賞の候補にもあげられるなど、国内外から高い評価を得ていました。

 

三島由紀夫は、文学者であると同時に、政治活動家としても有名です。

  • 三島本人は「皇国主義者」と名乗ってました。
  • 1970年、自衛隊市ヶ谷 駐屯地で、割腹自殺を遂げた「 三島事件」。
  • 世間に大きな衝撃を与えました。

 

三島由紀夫は、本名は平岡公威と言います。

 

1925年、国家公務員の父・梓と、東京開成中学校校長の娘だった母・倭文重長男として誕生しました。

生まれながらのエリートですね。

  • さかのぼると、祖父は内務官僚、福島県知事や樺太庁長官などを務めています。
  • 祖母は大審院判事の娘で、有栖川宮熾仁親王の家で行儀見習いとして仕えた名家の出です。
  • 三島は、誕生時約2400グラムという未熟児でした。

 

幼い頃の三島由紀夫に、大きな影響を与えたのが、学習院中等科に入学するまで同居していた祖母・ 夏子です。

  • ヒステリックで、行儀作法に厳しい人でした。
  • 病弱だった三島の遊び相手に、年上の女の子を選び、男子の三島由紀夫に女の子の遊びをさせていました。
  • 華族意識、特権階級意識が強かった夏子は、皇族が多く通った学習院初等科に、三島由紀夫を入学させました。

 

ただ、当時の学習院は「質実剛健」

体の弱かった三島少年は、今でいう「いじめ」の対象となりました。

  • そんな三島少年がはまったのが、詩や俳句、読書の世界です。
  • 三島由紀夫は学習院中等科に進み、祖母・夏子から離れ、両親と暮らすようになりました。
  • 文芸部に入部し、次々と詩歌や散文、戯曲などを学習院校内誌に発表しました。

 

三島少年の文学活動を後押したのが、祖母・夏子母・倭文重(しずえ)です。

 

祖母・夏子は、

  • 歌舞伎、

 

そして意外にも

  • 谷崎潤一郎、
  • 泉鏡花

 

などの作家を好み、三島少年に大きな影響を与えました。

 

母・倭文重は、三島由紀夫の文学的才能を早くから認めました。

詩人・川路栁虹の下へ連れていき、門下生としました。

 

一方、三島の文学熱を嫌ったのが、父・梓です。

 

1941年、単身赴任先から帰国した梓は、文学に夢中な三島を 叱りつけ、原稿用紙を片っ端からビリビリに破きました。

三島由紀夫と父の文学活動を巡る諍いは、大学卒業後まで続きました。

 

1941年4月、三島由紀夫は、文壇へのデビュー作となる『花ざかりの森』を発表します。

16歳の天才が現れた」と、当時の文壇へ大きな衝撃が走りました。

この作品を発表した時から、平岡公威少年は、『三島由紀夫』と名乗るようになりました。

 

三島由紀夫の経歴と作品

三島由紀夫の45年間の生涯は、昭和の歴史と切り離すことはできません。

当時の日本の状況は、

  • 1937年7月 支那事変が勃発し、日中戦争が始まる
  • 1939年9月 第二次世界大戦が始まる
  • 1941年12月 大東亜戦争始まる

 

と、戦争へ突入していました。

三島由紀夫はこの時代を、かくのごとく生き延びました。

  • 1942年3月 席次2番で学習院中等科を卒業 
  • 1942年4月 学習院高等科へ進学
  • 1944年4月 本籍地兵庫県で徴兵検査を受け、第二乙種で合格
  • 1944年9月 高等科を首席で卒業。卒業生総代として、恩賜の銀時計などをもらった
  • 1944年10月 東京帝国大学法学部へ進学
  • 1944年10月 処女短編集『花ざかりの森』出版
  • 1945年1月 群馬県中島飛行機へ勤労動員
  • 1945年2月 召集令状を受け、兵庫県で入隊検査を受けるが、気管支炎を肺浸潤と誤診され、即日帰郷となる
  • 1945年3月 東京大空襲
  • 1945年5月 勤労動員で神奈川県海軍高座工廠へ勤労動員
  • 1945年8月 第二次世界大戦が終わる

 

この間も三島由紀夫は、作品を書き続けていました。

が、戦時中で発表の場も少なく学徒動員、 召集など大きな出来事が続き、公表された作品は多くありません。

1945年8月の終戦後、三島由紀夫に大きな事件が相次ぎました。

  • 妹・美津子が17歳の若さで急逝した
  • 恋人・三谷邦子が他の男性と婚約した

 

ことです。

二つの出来事が、文学的情熱を推進する力になった、と後で三島は語っています。

 

三島由紀夫が「恩師」と仰いだ川端康成との出会いは、終戦後の1946年でした。

  • 川端康成は、『花ざかりの森』や、雑誌で発表された作品を読んでいるという手紙を戦時中に三島由紀夫へ送っていました。
  • 三島はこれを頼りに、川端康成のところに新作短編『煙草』の原稿を持ちこみました。
  • この『煙草』は、川端の推挙もあり、雑誌に掲載され、三島由紀夫の戦後文壇への足がかりとなった作品です。

 

川端康成は、大学生だった三島を助け、推敲や指導などを行い、三島由紀夫は生涯、川端康成を敬愛し続けました。

 

  • 三島由紀夫は、文学者として生活できていけるか不安を覚えていました。
  • 大学生三島由紀夫は、生活の安定を図ろうと、役人になることを考えたのです。、
  • 高等文官試験(今の国家公務員総合職)の受験を準備し始めました。

 

1947年11月、三島由紀夫は東京大学法学部を卒業しました。

  • 見事高等文官試験に合格していた三島は、大蔵省(今の財務省)へ入省。
  • 官僚としてのキャリアをスタートします。
  • 経済的な安定を得た三島由紀夫は、作家活動にも精を出します。

 

官僚と作家という、二足の草鞋をはいた生活を続けます。

しかし、こうした二重生活は長くは続きませんでした。

 

1948年、過労と睡眠不足から、渋谷駅でホームから転落する事故を起こします。

  • 三島の文学活動にあまり賛成でなかった父・梓は、この事故に驚愕。
  • 「役所を辞めてよい」と、作家になることを初めて認めました
  • 父の許しと、雑誌社から長編小説の執筆依頼が重なり、1948年9月に、三島由紀夫は大蔵省を退職し、創作活動に専念する生活に入りました。

 

そして生まれた作品が、代表作の一つに挙げられる『仮面の告白』です。

 

三島由紀夫の自伝的作品で、主人公の生まれた時から23歳までの青年期の性欲的生活を描いたものです。

当時としては珍しく、「同性愛」がテーマに盛り込まれたことも大きな話題を呼びました。

三島由紀夫は、この作品で一躍脚光を浴び、著名作家のひとりとなりました。

 

以降、次々に作品を発表。

代表作として次の作品が挙げられます。

  • 『潮騒』(1954年)
  • 『金閣寺』(1956年)
  • 『鹿鳴館』(1956年)
  • 『鏡子の家』(1959年)
  • 『憂国』(1961年)
  • 『サド侯爵夫人』戯曲(1965年)
  • 『豊饒の海』(1965年~1970年)

   ・春の雪(1965年)

   ・奔馬(1967年)

   ・暁の寺(1968年)

   ・天人五衰(1970年)

 

三島由紀夫は45年間の生涯にわたり、おびただしい作品や日記などの文書を残しました。

  • 長編34作、
  • 短編小説、
  • 戯曲・歌舞伎、
  • 随想・自伝・エッセイ・紀行など、
  • 文芸評論・作家論・芸術論など、
  • 批評・世評・コラムなど、
  • 対談・座談・討論など、
  • 講演・声明など、
  • 詩歌・俳句など、
  • 音楽作品、
  • 映画監督・出演、

 

など、数えきれないほどです。

 

エピソードで読む三島由紀夫の性格は?

三島由紀夫の生涯は、エピソードで いっぱいです。

三島と太宰

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中でも有名なのが、太宰治との対面シーン

  • 当時若者から、圧倒的な支持を得ていた太宰治。
  • 駆け出しの学生作家では、対等に口をきくことさえ‥‥。
  • と思えますが、三島由紀夫は違います。

 

三島由紀夫は、太宰治の才能は評価してました。

が、「自己劇画化」の文学が嫌いで、文句をつけようと思っていました。

 

太宰の居る酒席を友人らと一緒に訪れました。

太宰文学の愛読者である友人たちの前で、三島由紀夫は、太宰治に食って掛かります。

  • 「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と一言。
  • 太宰は、虚を突かれたように、「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と顔をそむけました。
  • 「そんなことを言ったって、こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と語りました。

 

気まずくなって三島由紀夫はその場を離れました。

それが、三島と太宰の唯一の対面となりました。

 

三島事件(盾の会事件)

三島由紀夫の 生涯最大の出来事といえば、やはり晩年の「三島事件」(盾の会事件とも)でしょう。

事件の概要はこうです。

 

1970年11月25日、三島由紀夫は、「盾の会」の会員4名と、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を訪問。

  • 突然、面談中に、総監を人質にして籠城
  • バルコニーから檄文を撒き自衛隊の決起を促す演説をした直後です。
  • 総監室で三島由紀夫と、盾の会会員森田必勝割腹自殺をしました。

 

この三島事件は、日本社会に大きな衝撃をもたらしました。

さらに、国際的にも名が知れた作家が引き起こした事件ということで、海外にも大きな波紋を投げかけました。

三島由紀夫が戦争ととも

  • 幼少期、
  • 少年期、
  • 青年期

 

を過ごしたことが、事件の背景にあります。

 

三島由紀夫は、幼少の頃の虚弱体質を嫌悪していました。

  • 戦後、作家として生活できるようになると、ボディビルやボクシングを始め、肉体改造にお金と力を注ぎました。
  • 一方で、三島由紀夫は、全てが覆された戦後の日本を認めることができませんでした。
  • 戦前や、明治時代、平安時代などの古き日本への憧れを強めていきました。
  • 天皇制への格段な思い入れも三島由紀夫は持っていました。

 

こうした様々な思いが、三島由紀夫の中で、攪拌された結果なのでしょうか。

三島事件の要因は、現在も探求されています。

しかし、明確な答えは導き出されてはいません。

 

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まとめ:三島由紀夫はどんな人? 分かりやすいおすすめ作品

 

三島由紀夫の性格と経歴・生い立ちとエピソードについて紹介しました。

 

最後に三島由紀夫についてまとめておきますね!

  • 三島由紀夫は、戦後活躍した昭和の作家・政治活動家。
  • 『仮面の告白』、『潮騒』など、多くの小説や戯曲、随想、対談、映画などマルチな活躍をした。
  • 日本の『美』を追求した作品は、日本だけでなく、世界中の人に評価され、ノーベル文学賞の候補者に挙げられた
  • 三島由紀夫は、幼少期や少年期の自身の体験などをもとにした作品や、日本の古典や、当時の世相などから着想を得て、多彩な作品を残した。
  • 晩年、持論の政治活動に傾注し、「盾の会」を結成し、自衛隊市ヶ谷駐屯地で「三島事件」を起こし、割腹自殺をし、45歳の生涯を閉じた。

 

三島由紀夫ほど、多くの言葉を残した作家・政治活動家はいません。

にもかかわらず、三島由紀夫ほど謎めいた人物はいません。

三島由紀夫の中に、

  • 小説家
  • 政治活動家
  • 映画監督
  • 俳優
  • ボディビルダー

 

などが、混然一体としているからでしょう。

なかなか一筋縄では理解が及びません。

三島由紀夫の作品の中で最も親しみやすいのは、何度も映画化されている、10作目の長編小説

  • 『潮騒』

 

です。

若く純朴な漁夫と海女の恋愛小説です。

古代ギリシアの散文に着想を得て書かれました。

健全な?三島文学では、この作品がおすすめ!

  • 新潮文庫『潮騒』三島由紀夫
  • DVD『潮騒』EMIミュージック・ジャパン 山口百恵・三浦友和版

 

不健全な?三島文学では、同性愛を扱った

  • 初の長編小説『仮面の告白』
  • 実際の事件に着想を得た『金閣寺』

 

の2作品。

 

どっぷりと三島文学に浸りたい人には、この作品!

三島由紀夫の遺作となった長編小説で、絢爛豪華な言葉の華が味わえます。

  • 『豊饒の海』全4巻

    ・第1巻『春の海』

    ・第2巻『奔馬』

    ・第3巻『暁の寺』

    ・第4巻『天人五衰』

 

三島由紀夫の戯曲では、

  • 『サド侯爵夫人』

 

がおすすめ!

三島由紀夫の最後の政治信条を知りたければ、

  • 三島由紀夫『檄』です。

*1970年、自衛隊市ヶ谷 駐屯地バルコニーで撒布されたもの。

 

ぜひ、三島由紀夫の小説や戯曲、映画など広範囲にわたる独特の世界を味わってください。

以上、「三島由紀夫の性格と経歴・生い立ちとエピソード」でした。

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