プラトンの対話篇『メノン』の内容の一部を、分かりやすく解説しました
オリジナルの対話編です
こちらの記事は寄稿によるもので、筆者は高橋昌久さんです。
哲学者。著者に「マテーシス」「古典bot〜140字で読む文学・哲学」
Twitterにて古典bot運営中 @classicalL_P
☆メノン(プラトン・古希)徳とはなにか、そして教えられるか。徳を知識とした場合教えられはする。いや或いは徳とは正しい思いなしでありその場合は?徳の教師はおらず、やはり徳は後天的なものではなく、神々の賜物では?明確な回答がないまま終わり、ある意味それは哲学の醍醐味である。
— 古典bot ~140字で読む文学・哲学〜 (@classicalL_P) 2018年11月5日
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プラトンのメノン解説のための創作対話篇
(マテーシス:ソクラテスの弟子の一人。30代半ば頃で元経営者。以前は幸福について語ったりと、今はソクラテスと哲学的な対話をする、オリジナルの人物。プラトンもクセノフォンもソクラテスを観察した上で創りあげたが私も微力ながら行ってみた)
徳について。徳は学びによって教えられるのか?
ソクラテス:マテーシス、わざわざ呼び出してすまないね。
マテーシス:いえ、私もちょうどひまなものでしたから
ソ:日差しが随分ときついかね。どれ、少し木陰の方に行って涼もうではないか。
マ:はい。
ソ:だいぶここは涼しいね。ここならゆっくりとおちついて話できそうだ。
マ:はい。今日はなにについてですか
ソ:それがこの前、メノンと話していたんだ。徳とは何か、そして徳とは教えられるものかという点についてね。
マ:はい。幸福と並ぶとても哲学的なテーマですね。
徳は教育によっては教えられない。神の恵み
ソ:それで徳とは、勇敢さ、健康、富、強さ諸々のものがあるが、それらをもっと普遍的にいうならば「知」と「正しい思惑」によって構成されているものだということになったのだ。
マ:なるほど。
ソ:そして徳とは教えられるか、と考察したところ教えられないということになったのだ。
マ:と、いいますと?
ソ:その人間の徳というものは生まれつきのものでもないが、かといって教えられるものでもない。
いわば「神の恵み」によるものということになったのだ。
ちょうどきつい日差しの中、涼んでいる我々の快適さもどこか「神の恵み」みたいなところがあるようにね。
マ:はい。
仕事と休息。正しい思惑は積極的な性質
ソ:それで人間の活動を分析した場合、多くの人間は次の二つに分類できるものではないかね。
「仕事」と「休息」この二点に分類される。
マ:はい。
ソ:ところで「仕事」というものは積極的なもので「休息」というのは消極的なものでないかね。
マ:はい。
ソ:そして徳というものは消極的なものかね、積極的なものかね。
マ:それは積極的なものでしょう。
ソ:それはそうだろう。「正しい思惑」というものが積極的であるという性質を語っているわけだからね。
マ:はい。
徳とは知と正しい思惑
ソ:それでは徳のある仕事とは一体どのようなものかね。
マ:それはやはり「知」と「正しい思惑」が伴う仕事ではないですかね。
ソ:なるほど。では靴屋の「知」と「正しい思惑」とは思惑はどのようなものなのかね。
マ:えーと靴屋の「知」とは靴を直すという技術そのものということですよね。
ソ:そうだ。技術というものには肉体的な要素が加わるが、それらも含めて「知」というわけだ。
マ:はい。そして「正しい思惑」というものは靴を直すという思惑。あるいは快適な靴を開発するという思惑ですよね。
ソ:そういうことだ。同じことが他のことにも言えるわけだ。
芸術家ならば優れた作品を生み出す技術という「知」と優れた作品を生み出したいという「正しい思惑」がいわば芸術家としての「徳」というわけだね。
政治家にとっては国家を治める際の技術を「知」とし、よく治めようという考えを持つのがいわば「正しい思惑」というわけだね。
それが政治家の徳というわけだ。
マ:はい。そういうことになりますね。
人間の徳とは何か
ソ:ではここで次の質問をしよう。人間としての徳とは一体なんなのか、ということだ。
マ:と、いいますと。
ソ:今までは、靴屋、芸術家、政治家それぞれの面から述べてきた。だが改めて問いたいと思うのだ。ではそもそも人間としての徳とは一体なんなのかということに。
マ:それは難しい質問ですね。しびれくらげによって麻痺させられたように返答に窮してしまいます。
ソ:人間としての「知」そして「正しい思惑」これらはなんなのかということなのだが、人間の「知」は
- 靴屋の「知」
- 芸術家の「知」
- 政治家の「知」
を内包しているかね。
マ:どうなのでしょう いまいちよくわかりませんが。
個別的な徳ではなく、普遍的な徳とは何か
ソ:すなわち靴屋も芸術家も政治家もみな人間という全体の一部であるということだ。
ならば「知」も「正しい思惑」も各々が人間のそれに内包されているという形であると考えるのが自然ではないかね。
マ:それはたしかにいえます。しかし
- 靴屋の「徳」とは靴を直しよき靴を開発すること、
- 芸術家としての「徳」とは優れた作品を生み出すという事、
- 政治家としての「徳」とは国をよくおさめること、
ならば人間としての「徳」とは何かということになりますね。
ソ:それはここから考えるには何か優れた正しいものを生み出し、そして実行するということになるのではないかね。
マ:そういうことになりますね。
ソ:芸術家にとっての「知」とは優れた芸術作品を生み出すための技術。
であるとするならば人間としての「知」とは優れた人間を生み出すという技術と考えていいのではないかね。
そして「正しい思惑」とは優れた人間を生み出すという心構えのことを指す。
マ:はい、仰る通りです。
ソ:この際生み出すのは、私の考えだが、他人の人間だけでなくそれ以上に自分という人間を生み出すことを指す。
マ:はい。
ソ:自分がよりよい人間になるにはどうすればいいか。
もっと正確にいうならば今に比べてもっとよりよい人間になるにはどうすればいいか
それはさらによい「知」とより「正しい思惑」を手に入れることではないかね。
マ:そういうことになりますね。
徳は教えられない理由は、徳とは徳を求めることだから
ソ:とするのなら、奇妙な結論みたいなのができるのだ。
人間としての「知」とは更なる「知」を求め、人間としての「正しい思惑」とはより「正しい思惑」を求めることではないかね。
マ:そうかもしれませんね。
ソ:そして、人間にとっての「徳」とは更なる「徳」を求めることにあるというような結論ができるのではないかね。
マ:間違ってはいないと思います。
ソ:実に奇妙な結論に達したのではないかね、マテーシス。
さらにひたすら上昇し続けるのが人間としての「徳」であるということ。終わりのない循環、いや迷路みたいなものだ。
マ:確かにね、ふふふ。
ソ:おや、どうしたんだい、マテーシス。
マ:いえ、ソクラテス、あなたがこんなに取り乱すのをみるのは珍しいなぁと思いまして
ソ:からかうのはやめたまえ。まあこの議論そして結論自体がからかいみたいなものなのかもしれないがね
筆者:高橋昌久。
哲学者。著者に「マテーシス」「古典bot〜140字で読む文学・哲学」
古典bot運営中 @classicalL_P
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— 古典bot ~140字で読む文学・哲学〜 (@classicalL_P) 2018年9月30日
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高等遊民の感想。プラトン対話篇の創作は同人誌的でおもしろい!
高橋昌久さん、ありがとうございました。非常におもしろい内容でした。
創作対話篇って、ちょっと珍しいですよね
でも、古代ではこれが普通だったんですよ
プラトン全集にも、プラトンが書いたものじゃない「偽作」といわれる作品が収録されています
つまり、「プラトンのまねして、ソクラテスを登場させた対話篇(物語)を作っちゃおう」
という文学的な運動が古代ではあったんです
現代で言うと、まさに「同人誌」!!!
古代では、同人誌が現代以上に流行っていたんです
しかも古代では作者プラトンって、嘘ついてるわけですからね
同人誌の作者は、自分の名前を出さないんです。どんだけ徹底してるんだよ・・・
ちなみにメノンはkindle読み放題サービスで無料で読めます(画像をクリックで移動)
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