2017年1月、森鴎外29歳の時に書かれた書簡が新たに発見されたとニュースになりました。
森鴎外29歳時の書簡、2月初公開 初期の創作活動知る資料 日本経済新聞
このニュースについてはこちらで紹介しました。
さて、今回新発見された鴎外の書簡は、同時代の作家饗庭篁村(あえばこうそん)に宛てて書かれたものでした。
手紙の日付は1891年2月27日付。鴎外の留守中に、饗庭篁村が訪ねてきたのを知り、「会いたかった。残念。書き上げた原稿を見て欲しかった。」といった内容のものとされています。
せっかくなので、このニュースにかこつけて、明治時代の小説家、饗庭篁村(あえばこうそん)を紹介します。
饗庭篁村のプロフィール
饗庭篁村(あえばこうそん)のプロフィールを箇条書きで書いていきます。
- 生没年:1855-1922。明治・大正時代の小説家。少年時代に江戸小説類を熟読。
- いわゆる根岸派のひとり。江戸戯作者の最後の生き残りというべき人物。江戸初期の文学紹介・歌舞伎評などに功績がある。
- 1874(明治6年)、読売新聞に入社し、戯作を連載。1889年東京朝日新聞に移る。明治40年近くまで長期にわたり作家として活動。
- 坪内逍遥や二葉亭四迷が世に出ることにはすでに長老的な地位を確保。
- 代表作として『むら竹』(1889-90)。1884~90(明治17-23)年までのあいだに読売新聞・朝日新聞・新小説などに連載した作品を収録した作品群。
- 明治22年発表の作品「掘出し物」「当世商人気質」を発表し、鴎外の賞賛を得る。
- 作品の特色は、江戸文学の流れを汲むもので、篁村自身、西鶴・近松・滝沢馬琴等を深く研究。
鴎外と篁村の関係―新書簡はヨイショだった?
篁村は明治のかなり初期から活動を開始しています。坪内逍遥の『小説神髄』が明治18年ですから、明治6年の読売新聞入社以来、既に10年以上活動していることになります。
ちなみに鴎外の生年は1962年。篁村より7歳下です。そして冒頭のニュースで紹介した、鴎外の篁村宛て新書簡は、1891年(明治24年)2月2日付のものです。このころ篁村は既に第一級の作家として世に知られ、鴎外も明治22年に発表された篁村の作品を賞賛しています。ちなみに鴎外は1890年に『舞姫』を発表しています。
ということは、鴎外は新進作家、篁村は長老作家ということで、1891年当時の力関係としては、明らかに篁村のほうが上の立場にいたものと思われます。
もう一度冒頭の文を確認しましょう。
手紙の日付は1891年2月27日付。鴎外の留守中に、饗庭篁村が訪ねてきたのを知り、「会いたかった。残念。書き上げた原稿を見て欲しかった。」といった内容のものとされています。
この書簡は、篁村が留守中に自分を訪問していたことを知った鴎外が、あわてて書いたのではないかと想像されます。
きっと帰ってきた鴎外に、誰かが「篁村来たよー」と伝えたのでしょう。篁村はアポなしで鴎外宅へ訪ねましたね。絶対。
「え? 篁村来てたの? マジで? やべえとんだ失礼をしてしまった!」みたいに鴎外は思ったのかもしれません(笑)
書き上げた原稿というのも、篁村が大学に「和文朗読の科」というものを設置しようという内容の短論文です(「朗読法につきての争」)。
そしてこの短論文はニュースサイトによれば、「篁村の朗読科設置案に賛意を表する」ものだそうです。
鴎外と篁村の力関係を考えれば、ヨイショの意味もあったかもしれませんね。
なんといっても鴎外は『舞姫』を発表したばかりの気鋭の作家です。これからどんどん世に出て行こうとしたかもしれません。(実際の鴎外はその後20年ほど沈黙しますが。)
篁村の代表作『むら竹』の紹介
篁村の代表作『むら竹』は、明治前半期に新聞などで発表された、篁村の作品集です。1889-90年にわたり、なんと全20巻で刊行。この作品集が刊行されたことで、篁村の名はひろく一般に知れ渡るようになりました。
作品のジャンルは小説をはじめとして、伝記・紀行・随筆・翻訳、いくつかの書き下ろし作品などが収録されたものです。作品の大部分は短編・中篇で、長編は『蓮葉娘』などをのぞけばほとんどありません。
代表作『むら竹』。全20巻の内容・目次をあげると以下の通りです。
巻数 | 収録作品 |
---|---|
第1巻 | 玉簾、窓の月、下宿屋 |
第2巻 | 走馬燈、掴まへ所、他山の石、松の雨 |
第3巻 | 婿撰み、深山木(翻訳)、涼み台 |
第4巻 | 藪椿、三筋町の通人、人の噂 |
第5巻 | 水の流れ、義理の柵、目鏡(翻訳)、駆楽の駆楽 |
第6巻 | 今年竹、俳諧気違、芸が身の毒 |
第7巻 | 魂胆、病の原因、旧恩に酬ふ、雪の下萌 |
第8巻 | 影法師、チャールスヂッケンス伝、ムヅカシヤ、軒の垂氷 |
第9巻 | 跡取息子、時の用、振分道、人の行末 |
第10巻 | 闇の梅、文の間違、大阪の話し、権妻の果、近眼の失策 |
第11巻 | 面目玉、俳優気質、夜の錦、つり堀、中よし |
第12巻 | 擬博多、時雨の舎り、児手柏、廻り車 |
第13巻 | 煩悩の月、腹の子、大石真虎の伝、当世写真鏡(上)(小話集) |
第14巻 | 暗の鳥、緑の糸、メカシ損、当世写真鏡(中) |
第15巻 | 孝女の幸ひ、作り菊、糸の乱れ、当世写真鏡(下) |
第16巻 | 苦楽 |
第17巻 | 蓮葉娘 |
第18巻 | 対扇、紅葉、小町娘 |
第19巻 | 川ぞひ柳、新殺生石、駆めぐりの記 |
第20巻 | 塩原入浴の記、秩父小記、房州一見の記、木曾道中記、もしほ草 |
赤字は重要作品。
『舞姫』発表より1年前から、こんな大作品集を刊行し続けていたのですから、同時代に発表されたものとして、鴎外は篁村の作品を意識しないわけにはいかなかったでしょう。そして「こりゃ勝てん」とも思ったかもしれませんね。量に圧倒されます。
饗庭篁村の作品は手に入りにくい
鴎外新書簡の宛先である饗庭篁村、作品を読んでみたいと思っても、現在入手が難しくなっているようです。
青空文庫では、『隅田の春』『良夜』と、たったの2作品。
amazonを調べても、岩波文庫などの文庫版では刊行されていない様子。
ほかには図書館などで、何十巻もある「明治文学全集」みたいなもので読むしかなさそうです。
各出版者様におかれましては、饗庭篁村作品の文庫版刊行を楽しみにしております!
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