『金曜日の砂糖ちゃん』読みました。絵本。
雰囲気のいい表紙だったので!
短いですけど、とってもおもしろかった。
これは絵本の姿を借りた詩です。
芸術作品としての絵本と、道徳作品としての絵本の違い
絵本というのは変幻自在な文学です。
冒険物語も作れるし、教訓物語も作れるし、教育知育にも利用できます。
ちなみに日本での児童文学の父は巌谷小波と言われています。彼は教訓物語として絵本を考えていました。
教材としての絵本といえます。
しかし絵本は、作品によっては限りなく詩や芸術に近い文学です。
なぜなら、小さな子供にも分かる言葉で 今までに見たことも聞いたこともないような表現を生み出すからです。
つまり、芸術作品としての絵本ですね。
ちなみに私が今までに最も感銘を受けた芸術作品としての絵本は、シュルヴィッツ『よあけ』という本です。
シュルヴィッツ『よあけ』わずか1分で圧倒的美しさを体験できる芸術絵本の最高傑作
金曜日の砂糖ちゃんのあらすじ
「金曜日の砂糖ちゃん」という本は、3つのお話に分かれています。とっても薄い本。
3つのお話の1つが「金曜日の砂糖ちゃん」というタイトルなんですね。
「金曜日の砂糖ちゃんてどういう意味よ?」
って、思いますよね~。
みんな分かりません。
一応、フランス語が添えてあります。
le sucre vendredi (= the sugar Friday)
女の子を、虫や動物たちが「砂糖ちゃん」と呼んでいる。
即物的に考えるなら、子供がお菓子が大好き。
甘い砂糖の香りを放っているのかもしれません。
動物や虫も、砂糖は大好きですよね。
あるいは、比喩的に考えるなら
子どもの無邪気さ・無垢さ・愛らしさ・健気さ
そういった「子ども」という概念が持っているイメージを、すべて「砂糖」という言葉に集約したのかもしれませんね。
それに「ちゃん」を付ける。
じゃあ「金曜日」は?
うーん、分からない!!!(笑)
ここが酒井さんのものすごい言語感覚です。スゴイとしか言いようがない。
ぜひこれを読んでいるあなたも、ご意見ご感想聞かせてください(^^)/
言葉同士の組み合わせが、新しくて美しい表現を生む
この酒井駒子『金曜日の砂糖ちゃん』は、『よあけ』の芸術性とはまた変わった、いわば詩的文学性のある作品です。
- 「女の子の名前は金曜日の砂糖ちゃん」
- 「草のなかのオルガンは音がいっこもでなかったけど」
- 「夜と夜のあいだに目を覚ました子どもは」
なんという美しくて新鮮な表現なんだろう。
このような芸術としての絵本は、子どもよりも、大人に深く訴える作品かもしれません。
絵本は「子供用の文学」ではなく「子どもにも読める文学」です。
でも、自分の子に読ませるとなると、大人は余計なことを考えて、なにかもっと物語性や教育性のある本を選んでしまうかもしれませんね。
そんなわずらわしい損得勘定を一切忘れて、没頭できる、楽しめる。
そんな絵本です。