大塚久雄・丸山真男ら、戦後の進歩的文化人にとっての、急務の課題はなんであったか?
それは日本人の新たな規範をつくることでした。
「国体」を失った日本は、政治的にも、精神的にも、規範を失いました。
「国体」では天皇のもと、政治と道徳がひとつになっていたからです。
日本に新しく与えられた政治の仕組みは、民主主義・デモクラシーでした。
民主主義は「アメリカによって与えられたもの」だったのです。
その「与えられた民主主義」を、日本は背負っていかなければならない。
進歩的文化人は、そのような日本の立場を敏感に察知し、
「戦後民主主義の構築」を自らの使命と見立てました。
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民主主義がうまく機能するには? 大塚久雄に学ぶ
民主主義とは、「国民一人ひとりの自由を重んじる政治体制」です。
市民という表現のほうが、より民主主義の理念に即しています。
ということは、国民一人ひとりに、権利と義務(正確には要請)が与えられます。
- 自由に生きる権利
- 自らの自由を重んじる義務
- 自由に政治参加する権利
- 政治にかかわる義務
そんなわけで、丸山真男とならぶ進歩的文化人、大塚久雄は
『近代化の人間的基礎』という作品で、こんなふうに言います。
- 「近代人に特有な内面的自発性」を身につける
- 「市民社会特有の『公平』」を実現する
- 「近代科学成立の基盤たる合理性」を身につける
- 「近代精神を根底的に特徴付けている民衆への愛と尊敬」を身につける
- 「民主主義の人間的主体として立ち現れること」
そして、現在それらのすべてが欠けている。
したがって、それらの実現のためには、
ひとびとを「近代的・民主的な人間類型に教育することが何よりまず必要」である。
(『近代化の人間的基礎』)
大塚久雄は要するに、民主主義がうまくはたらくためには、
「国民ひとりひとりの意識のあり方にかかっている」と言いたいのです。
丸山真男の語る自由とは?
丸山真男も、こういった、日本人の意識のあり方・エートスに関心を持ち続けていました。
たとえば、「自由」というものについて。
丸山は自由民権運動の研究書で、自由の2種類を挙げています。(丸山真男「自由民権運動史」)
- 良心の自由
- 感性的な自由
このうち後者は、快楽主義的な自由として、丸山真男は批判しています。
快楽主義的な自由は、戦後民主主義の自由の理念にふさわしくないというわけです。
他方、新たな規範を生み出すエネルギーを持っているのが、良心の自由です。
丸山は、ジョン・ロックの自由の定義を引用しています。
- 良心の自由
- 理性的な自己決定としての自由
この自由を、日本人一人ひとりが、自らのうちに育むこと。
これが、大塚久雄や丸山真男らの思い描いていたビジョンの1つでした。
したがって、教育についても、彼らは大きな関心を持っていました。
なぜなら、この自由の実現のためには、国家による教育介入は許されないからです。
国家による教育介入のもとでは、市民の自由・民主主義ははぐくまれない。
また、戦前の国家主義に逆戻りしてしまうわけです。
ちなみに丸山真男の弟子に、教育学者の堀尾輝久という人物がいます。
彼は、丸山たちの教育への関心を受け継ぎ、フランスの公教育を専門研究にしました。
そして国家が教育に介入すべきではないという、理論的根拠を見つけてきたのです。
それは、堀尾輝久『現代教育の思想と構造』に結実します。
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