夏目漱石『それから』の主人公、長井代助は、いわゆる高等遊民の代表として描写されている。
漱石自身が代助を形容して「高等遊民」と書いているわけではないが、代助の生活ぶりは、明らかに高等遊民のそれであることが見て取れる。
高等遊民とは、簡単に言うと働かないで暮らしている人間のことで、現代でいうニートと相通じるものがある。
しかし高等遊民・ニートと言えども、日がな1日布団の上にいるのではない。
何もしないでいることはツライ。働いていようが、高等遊民であろうがニートであろうが、生きていく上では何かをしていなければならない。
そして、高等遊民は、自発的に当時の流行や学問の知見を得ようと努力していた。
高等遊民は「上昇志向」を失っていないのだ。
代助の生活をつぶさに眺めることで、高等遊民の生活や、自らを高めていく営為について学んでみたい。
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『それから』を読む方法論
難解な文学理論や、小難しい批評的技術など不要だ。
ただ読む。愚直に読む。つぶさに読む。方法論などない。頭からしっぽまで読み、学びを得る。
「書けないこと=自らの限界」である。
『それから』本文の詳細読解(1章前半)
誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。
書き出しはこうである。まどろみの中で足音が聞こえ、それが下駄のイメージを脳裏に浮かび上がらせた。
枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちている。
高等遊民たるもの、寝室に花のひとつでも飾らねばならない。風流を解する精神が重要である。
寐ながら胸の脈を聴いてみるのは彼の近来の癖になっている。動悸は相変らず落ち付いて確に打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。
高等遊民たるもの、自らの生に常に疑問を持っている。
自分の生は常に不安にさらされている。生きている目的もなく、さりとて生に理由など、積極的に求めもしない。高等遊民とはこのような態度で生きる。しかしながら、死には恐怖する。むしろ、無為な生を送っているからこそ、余計に死のことなどを考え、不安をかきたてるのだ。
彼は血潮によって打たるる掛念のない、静かな心臓を想像するに堪えぬ程に、生きたがる男である。彼は時々寐ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、此所を鉄槌で一つ撲されたならと思う事がある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さえある。
ほら、怠け者ほど死を思い、死を思う人間ほど生きたがる。坊主は人に死を説いてまわる。だが当の自分こそ、他人に死を語ることで、自ら死について向き合う時間を避けているのだ。
彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中から両手を出して、大きく左右に開くと、左側に男が女を斬っている絵があった。彼はすぐ外の頁へ眼を移した。其所には学校騒動が大きな活字で出ている。
枕元に新聞があるということは、誰かが寝ている代助の枕元に、朝刊を置いているのだ。朝目覚めて、昨日の新聞を開く人間はいない。
そして、左側に絵がある。これはコボちゃんみたいなものだ。そして学校騒動の記事。ということは、社会面だ。
高等遊民たるもの、朝起きたら新聞を開き、社会面に目を通さなくてはならない。
立ち上がって風呂場へ行った。
其所で叮嚀に歯を磨いた。彼は歯並の好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。彼の皮膚には濃かな一種の光沢がある。香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に、肩を揺かしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲って見える。かれはそれにも満足である。次に黒い髪を分けた。油を塗けないでも面白い程自由になる。髭も髪同様に細くかつ初々しく、口の上を品よく蔽うている。代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉を付ける時の手付と一般であった。
高等遊民は、布団から出ると、すぐに歯を磨く。朝飯前に歯を磨くのだ。
そして自らの身体を観察する。自らの肉体に満足できぬようであれば、高等遊民とは言えぬ。
高等遊民たるもの、食事や運動に気をつかい、それなりに節度と美を保った肉体をキープしなければならない。
約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼麺麭に牛酪を付けていると、門野と云う書生が座敷から新聞を畳んで持って来た。
見よ。明治のご時世に、バタートーストと紅茶である。しかも熱い。緑茶は熱く出しては味が落ちる。しかし紅茶は熱く出さねば味が落ちる。
思想の知識だけでなく、こうした生活上の知恵も心得ているほど、高等遊民たるもの、西洋事情に通じてなければならない。
まとめ
高等遊民のあるべき姿を『それから』から学ぶという趣旨の記事だ。
ここまでで高等遊民の生活信条をまとめると以下の通りである。
- 枕元に花を飾る
- 植物についての知識はある程度備えている
- 自分の体を気遣っている
- ある程度の節制と肉体のバランス均衡を保っている
- 朝起きたら新聞に目を通し社会面を軽く読む
- 世の中の出来事もきちんと押さえておく
- 朝布団から出たら歯を丁寧に磨く
植物の知識は一朝一夕では身につかないが、歯を磨いて肉体美に気を遣うべし。