ストア派の学説を、ものすごくあっさりとまとめてみます。(別記事では、もう少し詳しく概観してみました。)
※参考:A.A.ロング『ヘレニズム哲学』(金山弥平訳、京都大学学術出版会 2003)
この本は、ほんとうにすばらしいです。
ヘレニズム哲学の全体像をコンパクトに示してくれます。
目次はこちら。
第一章 緒 論
第二章 エピクロスとエピクロス哲学
(一)生涯と著作
(二)エピクロス哲学の射程
(三)認識論
(四)事物の構造
(五)原子の運動と合成物体の形成
(六)エピクロスの神
(七)魂、および精神の働き
(八)行為の自由
(九)快楽と幸福
(一〇)正義と友情
第三章 懐疑主義
(一)ピュロンとティモン――初期ピュロン主義
(二)アカデメイア派の懐疑主義――アルケシラオス
(三)アカデメイア派の懐疑主義――カルネアデス
第四章 ストア哲学
第一節 ストア、人物と資料
第二節 ストア哲学、研究範囲と展開
第三節 ストア派の論理学
(一)認識論
(二)文法と言語理論
(三)命題、および推論と議論の方法
(四)ストア派とヘラクレイトス
第四節 ストア派の自然哲学
(一)歴史的背景
(二)事物の構造――物体、プネウマ、構成要素
(三)混合
(四)カテゴリー
(五)原因――決定論、人間の行為、宇宙における悪
(六)魂、および人間の自然本性
(七)人間理性と情動
第五節 ストア派の倫理学
(一)部分と全体
(二)最初の衝動から徳へ
(三)善と優先的なもの(自然的な諸利益)
(四)徳の内実――完全な行為と中間的な行為
(五)ストア派の知者――徳の試金石
第五章 ヘレニズム哲学のその後の発展
(一)パナイティオス
(二)ポセイドニオス
(三)アンティオコス
(四)キケロ
第六章 ヘレニズム哲学と古典の伝統出典:http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1344&lang=jp
この記事では、ストア派についての記述をまとめています。
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ヘレニズム・ローマ時代の哲学
(1)ヘレニズム哲学はストア派・エピクロス派・懐疑主義の3つ
ヘレニズム期を代表する哲学として、ストア派、エピクロス、懐疑主義の三つが挙げられる。
ヘレニズム時代は政治的に定義されていて、アレクサンドロス大王の帝国が終焉を迎えること(前323の彼の死)をもって始まる。
名目的には前27年にアウグストゥスがローマ帝国を始めることによって終わる、と境界づけられている。
哲学史上の区分としてはアリストテレス以後のギリシア哲学の展開を指すものとみなすことができる。
この流れはローマ時代にも続いていくが、紀元後3世紀には新プラトン主義やキリスト教の隆盛とともに衰退していく。
(2)ヘレニズム哲学の関心と特徴|把握的表象・快楽主義・判断保留(エポケー)
よくある説明では、
ヘレニズム期諸王朝の不安定な時代に応えるため、
公平無私の思弁(アリストテレス以前)から、
個人の安寧の備えへとその方向を転換した。
そのため、変化する社会的・政治的環境との折り合いを試みた思想、とみなされる。
しかし一方でヘレニズム哲学の特質の多くは、アレクサンドロス大王以前の哲学的思想を受け継いでいる。
ヘレニズム哲学は、幸福を追求することに新たに中心的役割を与え、とくにその点で先行する哲学と異なっていた。
前4世紀の大半の哲学にとっても幸福は関心事だった。
しかし、この新時代には個人的な救いを求めることが、より切実な課題となった。
さながら感情面の治療のために客が哲学学校に列をなし、即効薬を期待しているかのようだったのである。
(2)哲学の争点
ヘレニズム哲学の主要な争点は、
- (a)認識の規準
- (b)行為の規準とをめぐるもの
だった。この世界の中でいかに生きるかという問題が、この世界の認識に依存しているとすれば、この二つの問題は密接に結びついているはずである。
ストア派は、
- (a)について現実の精確な刻印としての「把握的表象」を挙げ、
- (b)に対しては自然に従った生を理想として掲げる。
エピクロスは、
- (a)について感覚や感情を挙げ、
- (b)に対しては快を幸福の始点・終点とみなす倫理観を提出した。
懐疑主義者たちは、彼らの態度を批判し「判断保留(エポケー)」を要請する。
しかしこのような懐疑主義に対しては「判断保留が日常生活の行為決定をそもそも不可能にする」という難点が指摘された。
ストア派は禁欲主義
(3)ストア派はゼノンを学祖にローマ時代まで発展
ストア派は紀元前300年ごろ、キティオンの人ゼノン(Zenon 前335-263)によって始められた。
「ストア」というのはゼノンがアテナイの柱廊(ストア)で教えていたことに由来する。
ストア派は時期ごとに大別して三つに区分される。
(1) 初期ストア派(前3世紀)はゼノン、『ゼウス讃歌』をつくったクレアンテス、数多くの著作を著し、ストアの学説を体系化したクリュシッポスを代表とする。
(2) 中期ストア派(前2-1世紀)はパナイティオスとポセイドニオスに代表される。
パナイティオスはローマへの哲学の導入に貢献し、ポセイドニオスは博学者として知られる。
中期は初期の学説をプラトン・アリストテレスを取り込むことで修正を試みた時期である。
(3) 後期ストア派は、ローマ帝政初期の支配的な哲学となり、中世や近代に至るまで大きな影響を及ぼした実践的哲学を展開した。
代表的な人物としては、皇帝ネロの教師であったセネカ、解放奴隷エピクテトス、皇帝マルクス・アウレリウスがいる。
(4)ストア哲学は論理学、自然学、倫理学の3部門
ストア哲学は学問を論理学、自然学、倫理学の三部門に分ける。
論理学は言葉を、それゆえまた思考を対象とし、
文法、
弁論術、
認識論、
意味論をも包括する。
自然学は世界の中に存在する自然的存在者と、その原理としての神を考察する。
倫理学はストア哲学の中心的な関心事であり、義務に従った幸福な生を問う。
以上の三領域の共通原理は「ロゴス」、つまり理性の概念であり、三つの部門は理性的な宇宙という一つのものを主題としている。
理性は単に人間がもつ能力であるだけではなく、思考(および言語)と自然の秩序と倫理的価値にとっての共通の包括的原理である。
ストア哲学の二つの基本的な概念はロゴス(logos理性)とピュシス(physis自然)である。
ストア派が哲学のあらゆる側面を統一的にとらえようとするのは、自然全体のうちに理性が浸透しているからにほかならない。
(5)ストア派「自然に従って生きよ」の意味とは?
ストア派は、彼らの哲学の整合性を誇りとしていた。
宇宙は理性的に説明可能であり、それ自体、理性的に組織された構成体であると彼らは確信していた。
個々の人間はその本性において、宇宙的な意味での「自然」がもつ属性を分けもっている。
そして宇宙的な「自然」は、すべての存在を包摂しているから、個々の人間はこの世界の部分である。
したがって、宇宙の諸事象と人間の諸行為は、異なる秩序に属する出来事ではなく、究極的には両者とも等しく一つのもの(ロゴス)がもたらす結果である。
宇宙的な「自然」(神と同義)と人間とは、それぞれの存在の核心において、理性的な作用者として相互に関係しあっている。
人間存在の目的は、自らの態度や行為を、諸事象の現実の進行と完全に調和させることにある。
自然学と論理学は、この目的に対してその基礎を形成し、かつ密接に関係している。
「自然」に一致して生きるためには、いかなる事実が真であって、それが真であるとはどういうことであり、そして真なる命題同士はどのように関係しているか、ということを知らなくてはならない。
ストア哲学の整合性の基礎になっているのは、自然の諸事象は因果的に関係しあっており、それゆえ人は、それら諸事象に基づいて、「自然」ないしは神と完全に一致した生き方を計画していくための諸命題を確立しうる、という信念である。
(キケロ『善と悪の究極について』第三巻七四)
(6)論理学――認識論
ストア派の認識論は真理の規準の問題に取り組む。
エピクロスは感覚を真理の規準として扱うが、ストア派は感覚的表象だけでは十分ではなく、その表象に「同意する」のでなければならない。
ストア派にとっての規準の問題は「どんな種類の表象が、それらにわれわれが同意することを正当化するのか」という問である。
真理の規準は「把握しうる」(kataleeptikee)表象であり、実在を捉えうる表象というのが答えである。
実在を捉えている表象を信頼できる形で確認する人は「賢者」(sophos)であり、世界について完全な知識を持っている経験豊かで、十分事情に通じているストア主義者である。
ストア派は人間の認識能力を、それ自体としては何も書かれていない黒板のように、いかなる内容ももたない空虚なものであるとした。
それゆえ、そこにはプラトンのイデアもないし、アリストテレスの能動知性(本質の洞察のための能力)もない。
したがって、すべての認識内容は外的な対象に由来する。感覚的認識において、対象から発出する像は感覚器官を通って、印章が蝋に押印されるように、魂の中に刻印される。
知性はこのようにしてできた表象像から、その要素を分析し、普遍化し、新たに結合することによって概念を作り出す。
しかしこれでは真理基準の問題が残る。
そのことに明証性についての新たな見方に基づき解答を与える。
ある種の表象は、それが現実に実在するものから発したものだということを、はっきりと示す明確さを持つ。
ストア派はこれを「把握的表象」(実在の把握を引き起こす表象)と呼ぶ。
人がこの「把握的表象」に意志的に賛同するとき、真なる知覚判断が成立する。
真理は、判断において思念された内容が志向された対象と一致すること、
つまり判断が事物を事物自体が存在するとおりに把握することが基準とされる。
(7)ストア派の唯物論とは?物質、形相、質料
自然物についてのストア派の見解は、形相の実在性を認めつつ、現実的なもののすべては物体であるという見方をとる。
水溜り、岩、木塊、これらすべてはある程度の統一性と安定性を持っていて、ストア派はこれらすべてを形相と質料とに分析する。
形相を持っている物体は、その質量をしかるべき種類の「均衡」(tonos)のなかにおくことによって、ある「状態」(hexis)に保たれている。
ストア派の理論では形相は物体でなければならず、それを気息(pneuma)、すなわち微細で微妙な物体と同一視し、それのさまざまな方向への運動が、質料をふさわしい統一と均衡状態に保っているとする。
形相は一種の物体でなければならない根拠は、ストア派が次の議論を受け入れるからである。
- あるものが実在であるのでは、それが作用を与えたり、受けたりすることができる場合、そしてその場合のみである。
- あるものが作用を与えたり、受けたりすることができるのは、それが物体である場合、そしてその場合のみである。
- それゆえ、あるものが実在であるのは、それが物体である場合、そしてその場合のみである。
(8)ストア派の「自然法」概念の由来
自然法的概念の確立は、ストア哲学の最も重要な業績のひとつである。
人間は誰もが理性を与えられており、それゆえすべての人間は神を父としているのだから、万人は互いに人類という一つの家族の中の兄弟である。
ストア派の倫理学は、女性、子供、奴隷、さらに異民族を等しく尊重するという考えを打ち立てるために大きく貢献した。
自然本性に基づいて、すべての人間が生まれながらにして同じ尊厳と同じ権利をもつのだとすれば、同様に自然本性に基づく倫理法則、つまり自然法のみが民族を超えて万人に妥当する普遍的基礎となる正当性を主張できる。
A.A.ロング『ヘレニズム哲学』(金山弥平訳、京都大学学術出版会 2003)