岡本太郎・宗左近『ピカソ講義』が語る「天国に閉じ込められたピカソ」とは?




岡本太郎・宗左近『ピカソ[ピカソ講義]』ちくま学芸文庫、2009の抜粋です。

*1980年の対話

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今まで日本にいたときは、西洋画というものを画集とか色刷りだけで見ていた。
いわば教科書のように向こうっ側に置いて見ていたわけでしょう。
それが実際ナマ身で肌にふれて見ると、全然違うんだなあ。

ほんとうに自分自身の、存在そのものをゆすぶられる、直接的な表現に出会って、アッと思った。
無条件に感動したということは、実は自己発見なんだ。
自分自身がこの瞬間にすばらしくひらいたんだ。

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ピカソの静物画を見た。静物画だったけれども、まったく抽象的に構成された、のびのびとして力強い作品だった。
抽象的ではあるけれども、ナマナマしくものなんだな。決して冷たくない。

47 
スペイン時代のピカソはまだピカソ以前のピカソ。
「アヴィニョンの娘たち」から闘いになった。

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キュビズムには二つの面がある。
1つは、画面をあくまでも造形的に、むしろ幾何学的に再構成しようとする。つまり抽象画につながっていく理念。
もう1つは「ものに迫り、ものをつかみ出そうとする」一面がある。

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ピカソの「新古典主義」とか「青の時代」なんていうのは、情緒的なものが中心になっていた。
けれども、「ゲルニカ」だけは「なまの社会の悲劇」というものを、自分自身が血だらけになって打ち出している。

単に絵として見るんじゃなくてなまの事件として……だからあのピカソの絵を見たときに、ゲルニカの問題じゃなくて自分自身の”いのち”の運命、その悲劇、事件というような感じだったね。

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ピカソほど個性的なものを表現した人は稀有だ。
そうして今世紀で一番普遍性をもった、一般性をもった作家というとピカソだ。
ピカソのは「何だこれは、よくこんなひどい絵を描けたな」とピカソ自身が思っているんじゃないかと思うくらい、目がこっちにあって、鼻がこんな所にあって、お尻がまたとんでもないところに突き出ている。
まったくガチャガチャ。
そんなのを描いていたからこそ、ピカソがあれほど世界的に普遍性をもったんです。

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日本の文学界の美術への関心は白樺派でストップしちゃって、モダンアートには全然理解を示そうとしていないのね。

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ピカソはひたすら描きつづけ、自己破壊によって、枠づけされた「ピカソ」を超えようとした。
だがどんなメチャクチャをやっても、それが逆に「ピカソ」の価値を高めてしまう。
彼は天国にとじ込められてしまったんだね。