『ソクラテスの弁明』はプラトンの最も有名な作品のひとつです。プラトンの作品の多くは執筆時期が判明しておりませんが、『ソクラテスの弁明』は最初期に書かれたものだというのが一般的な見解です。
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裁判にかけられたソクラテスの自己弁護
紀元前399年、アテナイに暮らす70歳のソクラテスは、突如として裁判にかけられます。その告訴状の内容とは「国家の認める神々を敬わず、別の新しいダイモーンを祭る。また青年に対して悪い影響を与えている」といったものでした。
ソクラテスはアテナイの法廷に立ち、3人の原告(メレトス、アニュトス、リュコン)および500人の裁判員を相手に、自らの潔白を弁護します。その全容を描いたのが『ソクラテスの弁明』です。
弁明の内容
ソクラテスは法廷で自らの潔白をどのように弁護していったのでしょうか。
ソクラテスは随分回りくどい弁護を始めます。というのもソクラテスは自分がこのような罪(不敬神・堕落教育)で訴えられたのは、「古くからの事情」によるものだと述べます。
デルフォイの神託
「古くからの事情」とは、当時のアテナイ市民なら誰でも知ることでした。それは「デルフォイの神託」事件とでも言うべきものです。
デルフォイとは、アテナイより遠く北西に位置する山々にかつて存在した都市国家(ポリス)を指します。都市国家デルフォイにはアポローンの神殿がありました。アポロン神殿はギリシア神話にも登場する由緒正しき神殿であり、最も権威ある神託所と見なされていました。
有名な「汝自身を知れ」という格言も、デルフォイ神殿に刻まれた言葉です。ちなみに『オイディプス王』での預言・神託もデルフォイの神託です。
そしてある時なぜかわかりませんが、ソクラテスの友人カイレポンが、次のように尋ねました。
「ソクラテスより賢い人はいるだろうか?」
すると驚くべき神託が下りました。「ソクラテスよりも知恵のある者は誰もいない」
この神託に対してソクラテスは疑問を持ちます。
「アポロンの神が言うことに間違いはないはずだ。しかし自分が知恵ある者だとは到底思えない」と。
そしてきっとこのデルフォイの神託は間違っているだろうと思い、実際にアテナイの知者と言われる人々に会いに行きました。そこでソクラテスは自分よりも賢い人を見つけ、そしてアポロン神を反駁(=言い負かす・論破)してやろうと考えたのです。ソクラテス、実に不遜な男です!
知識人を次々に論駁するソクラテス
ところがソクラテスが実際に数々の知者と対談してみると、彼らはその専門の分野においての知識はあるが、それ以外のことについても知っていると思い込んでいるというのがわかってきます。彫刻家であれば彫刻のことについては詳しいが、「知恵とは何か」「善とは何か」といったもっと重要なことについては満足な回答を出すことができなかったのです。こうしてソクラテスは、知者・インテリとして知られる人々を、「勇気とは何か」などといった議題をふっかけて、相手の無知をどんどん暴露していったのです。
今で言えば、政治家や学者、テレビのコメンテーターといった知識人・文化人をどんどんと言い負かしていくような存在です。しかもソクラテスは街中で平然と議論に挑みかかるので、たちまち有名になりました。若者たちはこれを見て喜び、ソクラテスの真似をして彼らもまた知識人たちを議論で打ち負かすことができたのです。
これを快く思わない人が多くいたのは想像に難くありません。直接論駁(ろんばく=論破)された当の知識人は言うに及ばず、アテナイの良識ある大人たちの多くは、若者を熱狂させるソクラテスに危険視していました。新しい政党とか、新興宗教が流行るようなイメージです。
ソクラテスの自覚した使命とは
以上のように、ソクラテスが告訴を受けた背景には、知識人を打ち負かし、彼らの憎しみや恨みを買っていたという事情がありました。
さて、ソクラテスを訴えた原告は3人います。若い詩人メレトス、演説家リュコン、政治家アニュトスの3人です。
表面上の首謀者はリュコンとされていましたが、実際には政治家アニュトスが首謀者であったことは見てとれます。そしてソクラテスは法廷における自己弁護の最中に、リュコン相手に議論をふっかけます。彼らは愛国者を気取り、神々を敬わず若者を堕落させるソクラテスを、国家(アテナイ)を破壊する者として訴えます。しかしソクラテスは彼らを論駁し、自分こそがアテナイを真に思う者であり、議論によって人々の無知を暴露するのは、神より与えられた自らの使命であると主張します。そしてたとえ死刑の判決を受けようとも自らの使命を放棄することはないと宣言します。
なぜソクラテスは死刑になったのか?
このように堂々たる宣言をしたソクラテスは、裁判員の期待を裏切り、怒りを買ってしまいます。
70歳の老人ソクラテスに裁判員たちが期待したのは、「うろたえ、涙を流しながら彼らに許しを乞うソクラテス」でした。
彼ら裁判員は当初、別にソクラテスを死刑にする気などなかったに違いありません。老人ソクラテスに、今頃このような告発が出されたこと自体が一種の冗談であると、市民たちは感じていました。だから、エンタメショーを見るような感覚で出席したのだと想像されます。それが自らを堂々と弁護し、逆に市民たちを挑発するような言動を言い放ったソクラテスに対して、裁判員たちは動揺と怒りを覚え、その勢いで死刑に票を入れたのではないかと想像されます。
ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)
プラトン 光文社 2012-09-12
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