あにいもうと1934年 室生犀星作短編小説のあらすじとネタバレをご紹介します。
原作で手に入りやすい本は、講談社文芸文庫ですね
kindle版が割安でお得です
高等遊民の感想 ★★★☆☆(3/5)
★☆☆☆☆:つまんなくて途中でやめた
★★☆☆☆:古本やkindleセールなら買ってもいいかも
★★★☆☆:感動はないけど参考にはなる
★★★★☆:普通に面白い・おすすめ
★★★★★:感動しまくり! 絶対読むべし
2018年に大泉洋と宮崎あおいでドラマ化したので(山田洋次脚本)
それで室生犀星の原作小説に興味を持たれた方に、ぜひ読んでみて頂きたいと思います
この作品の3つの特色
- 兄と妹の本能的な愛情の葛藤を激しい筆致で描いた短編小説
- 小説家室生犀星の第2期の代表作になった小説
- 貧しく虐げられた庶民に対する人間愛
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室生犀星あにいもうと原作小説のあらすじとネタバレ
川師の赤座一家5人
この作品には秩父連山の見える多摩川とその辺に住む川師の頭目赤座の一家が登場します
頃はちょうど若葉の季節
梅雨時の増水に備えて川師と呼ばれる仕事の人夫たちの頭である赤座は数十人の人夫と7杯の船を使って川床の工事をしています
「年中裸で河原に暮らし」
「仕事をするだけに生まれついているような男」です
赤座一家は5人です
- 父親の赤座
- りき:かかあ仏と言われるほど柔和で思慮深い妻
- 伊之助:腕利きの石工でありながら一週間か10日働くとその金を持って帰ってこなくなる
- 長女のもん:下谷(東京都台東区)の檀塔寺に奉公をしていた間に小畑という学生と「できた」ものの捨てられた挙句子供は死産、その後ぐれてしまって酒場や小料理を渡り歩いている
- 次女のさん:生真面目に奉公している
もんの元恋人の小畑がやってくる
ある日もんを捨てて故郷に帰っていた学生の小畑が手切れ金を持って訪ねてきます
赤座は気性の激しい人ですが気弱な青年でしかない小畑を見て拍子抜けがして無事に帰してやります
小畑に向かって
「子供は死産でした。もんはあれからやぶれかぶれです」
というのが精一杯でした
小畑はりきに金の包みを無理に渡して土手の道を帰りかかりますが
りきは1年経ってからでも来てくれたのは小畑に誠意があるのだと彼を見送ります
小畑を伊之助が殴りつける
ところがその場に2,3日顔を見せなかった伊之助が帰ってきて小畑を見て「もんを捨てた男だ」と悟ると
りきに見られないように後をつけて行きます
そして土手の上の道で呼び止めると問い詰めた上殴りつけて蹴飛ばします
「もう二度と来るな。そしてあいつを泣かせたりもういっぺん騙したりおもちゃにしないことを約束しろ」
「全く僕が悪いのです。何と言われても仕方がないのです」
しかし伊之助もこのように小畑が従順なので気恥ずかしくなって引き返します
もんと伊之助が小畑をめぐって大喧嘩する
一週間後いつものようにふらりと帰宅したもんは、伊之助の口から
「お前の男を半殺しにしてやった」
と聞かされると悪態の限りを尽くして兄にむしゃぶりつきます
伊之助はもんの気迫に驚きながら続けざまに殴りつけます
伊之助がもんを殴り倒して外に出て行くと、もんは泣き出し呆れている母のりきに言います
「あたし母さんの考えているほどひどい女になっていないわ」
「あたしこれでも母さんの顔が見たくなってくるのよ。悪いことをしても良いことをしても、やはり変に来たくなるわ」
「あんな嫌な兄さんにだってちょっと顔が見たくなることがあるんですもの」
と自分の本当の気持ちを話すのでした
ラスト・結末は赤座のお父さん
その時分、赤座は7杯の船を連ねた上に立って人夫たちを指図していました
鋼鉄のような川石は、人夫たちの手によってどんどん蛇籠(じゃかご)に投げ込まれ大声で指揮をしている赤座の胸毛は逆立って見えました
室生犀星あにいもうとの冒頭は一家の長であると同時に川師の頭でもある赤座を描いて
「赤座は年中裸で暮らした。人夫頭である関係から冬でも川場に出張っていて、小屋がけの中で秩父の山が見えなくなるまで仕事をした」
という光景から始まります
そしてラスト・結末も
「川水は勢いを削がれどんよりと悲しんでいるようにしばらく澱(よど)んで見せるが、少しの水の捌け口があると、そこへ怒りをふくんで激しく流れ込んだ。
赤座はそこへ石の投げ入れを命じ大声でわめき立てた。
そんな時の赤座の胸毛は逆立って銅像のようなからだがはち切れるように船の上で鯱立って(しゃちほこだって)見えた」
というもので赤座の存在を示すことによって終わります。
すなわちもんと伊之助とのけんかをも承知して、川師たちを率いて生きる赤座の姿が強烈です
冒頭も結末も、赤座のお父さんなんです。
【原作引用】あにいもうとの読みどころ(青空文庫なし)
室生犀星のあにいもうとは多摩川の川師という下層庶民の一家の物語です
野性的で本能的な兄弟のけんかを通して生の肉親愛が強烈な迫力で描き出されています
以下に引用するところは帰宅したもんと兄の伊之助との掴み合いのけんかの箇所です
「兄さんは小畑さんにこのあいだお会いになったの」
もんは顔色を変え、会わなかったと言った母親と、伊之助の顔と比べた
さんも、母親もびっくりした
「会ったとも、帰りを見澄まして、尾けて行ったのだ」
「何をなすったの」
「思うままのことをしてやった」
伊之助は憎たらしくもんの顔を見てから、あざ笑いを含んで云った
「乱暴したんじゃないわね」
もんは息を殺した
「蹴飛ばしてやったが、敵わないと思いやがって手出しはしなかった。おら胸がすっきりしたくらいだ」
もんはあっけにとられていたが、みるみるこの女の顔がこわれ出して、口も鼻もひん曲がって細長い顔に変わってしまい、逆上からてっぺんで出すような声で言った
「もう一度言ってごらん。あの人をどうしたというのだ」
もんは腰を上げ鎌首のような白い脂切った襟足を抜いて何やら不思議な、女に思えない殺気立った寒いような感じを人々に与えた。りきも、さんも、こういう形相のもんを見たことがなかった
伊之助はせせら笑って言った。
「半殺しにしてやったのだ」
「手出しもしないあの人を半殺しに」
もんはそう言うと、きあ、というような声と驚きとをあらわしたわめき声を上げると、畜生めとあらためて叫び出して立ち上がって言った
「極道兄貴め、誰がお前にそんな手荒なことをしてくれと頼んだのだ、何がお前さんとあの人に関係があるんだ、あたしの体をあたしの勝手にあの人にやったって、何でお前がごたくを言う必要があるんだ。それに誰が踏んだり蹴ったりしろと言ったのだ。手出しもしないでいる人をなぜ殴ったのだ、卑怯者、豚め、ち、道楽者め」
もんはかつてないほど気負いだっていきなり伊之助につかみかかり、その太った手をぺたりと伊之助の顔にひっかけたなとみると、伊之助の目尻から頬にかけて三筋の爪痕が掻き立てられると、腫れたあとのように赤くなり、すぐにグミの汁のようなものが流れた。
この気狂あまめ、何をしやがるんだと伊之助はもんの気に飲まれながらもすぐはりたおしてしまった
もんはヘタ張ったがすぐ起き上がって伊之助の先にむしゃぶりついたが、一振り振られ、そのうえ伊之助の大きな平手は続けざまにこの色キチガヒの太っちょめという声のもとで、ちから一杯に打ちのめされた。もんはキイイというような声で
「さあ、殺せ畜生、さあ、殺せ畜生」
としまいにぎあぎあ蛙のような声変わりを続けた。よし、思うさま今日は肋骨のれるまでひっぱたいてやろうと伊之助が飛びかかると、逃げると思っていたもんは、さあ撲(なぐ)れ、さあころせとわめき立てて動かなかった。
「きみも妹を持っていたらおれのしたことくらいはわかるはずだ」
もんの兄伊之助がもんを捨てた学生小畑と別れる時の言葉
愛する妹のために、妹が今なお好意を持っている小畑を殴りつけてしまい、その詫び言です
あにいもうとの舞台は?
あにいもうとの舞台は秩父連山の見える多摩川の河原となっています
実際は室生犀星が育った金沢の町を流れている犀川(さいがわ)の河原であり山は犀川から見える白山連峰だという見方もできます
初期の頃からずっと続いていた自伝的作品を離れて叙情性を自ら剥奪し新しい作品を書くといったところで室生犀星の場合は常にほとんど自ら見聞した素材によっているのは事実です
そこで新しい意気込みであにいもうとを書くに際して場所だけをスリップさせたと見ることができるわけです
室生犀星の血縁には実際に赤座のような川師を仕事としていた人もおり、生前の室生犀星はその作品の内容の事もあって意図的に場所を設定したということが考えられます
もちろんそこに登場する人物像は室生犀星の創作です
金沢の犀川の河原は、室生犀星に詩や小説を見出すための乳と蜜を与えてくれた忘れ難い場所です
そして実際室生犀星は詩に小説にしばしば犀川とそのほとりを歌い描きました
現在犀川の岸辺、室生犀星が日々を過ごした寺院の雨宝院のそばにかかる犀川大橋とその上手に架かる桜橋との、ちょうど中ほどの右岸に室生犀星文学碑が建てられています
室生犀星あにいもうとの感想と分析
室生犀星のあにいもうとは、河川工事に生命をつなぐ赤座一家の生活のドラマです
父親の赤座
息子の伊之助
長女のもん
と、主要な人物の性格は極めて個性的に造形されています
一読忘れがたい印象を残します
一方、もんの元の恋人小畑は重要な役ではあります
しかしこの赤座一家の特にもんと伊之助との兄妹愛の前では、陳腐な類型的青年の域を出ません
これは作者の責任というよりももんと伊之助との兄妹愛を支えるための結局は花を持たせる役回りに落ち着くからなのでしょう
読後に残る印象の度合いは赤座一家の人々に比べると小畑の場合うんと低いのはやむを得ないのです
もんと伊之助との兄妹は生き方において極めて無頼です
しかし下積みの人たちが共通して持っている善意と愛情とは溢れんばかりに備えています
帰宅したもんが伊之助に
「それでもお前は男か、よくももんの男を打ちやがった」
と叫んで飛びつくのも自分が小畑を憎んでいないことを悟ってくれない兄に対しての切ない想いからです
すなわち兄は妹に対して、妹は兄に対して、善意と愛情とを心の底で持ち続けているのです
室生犀星あにいもうと発表当時の評判や評価について
『あにいもうと』は室生犀星の新境地を示したものとして、好評を持って迎えられました
中でも正宗白鳥は高く評価しています
「室生犀星あにいもうとのもんの興奮はにごりえのお力のような興奮に髣髴している
会話を地の文の中に入れている書きぶりが樋口一葉の文体と似通っている
小説は樋口一葉のように単純ではないし、内容にずっと深みを持っている」
『回顧1年』「文芸」昭和9年12月号より
と樋口一葉の代表作の『にごりえ』と比較して高く評価しています
一家5人の野生的本能的な生活
その中での一人一人の性格や立場の違い
そしてお互い同士の因果なつながりの果てに滲み出時に爆発する素朴で荒々しい愛憎
それら日本の下層庶民の赤裸々な生活心理を口説いまでにリアルに濃密な油彩を思わせる粘着りきある筆致で描写しています
特に伊之助ともんの兄弟の罵り合いつかみ合う愛憎入り乱れる兄妹の迫りきある描写は発表当時から評判が高く1935年には第1回文芸懇話会賞を受けました
同じ時期に同様のモチーフに寄った長編『女の頭』や『戦える女』などがありますが作品の完成度において本編には及びません
また『続あにいもうと』は本編の続編を成し小役人に嫁いで3人の子の母親になったもんが中年に及んで典型的な悪女になりさがった様を描いています
1936年と1953年の2回映画化されました
参考文献:日本文芸鑑賞事典(ぎょうせい)
全20巻の文学事典。Amazonにも、商品ページがろくになし。
といっても、ドラマとほとんど同じです笑