アリストテレス『哲学のすすめ』要約と解説|万学の祖自らが語る入門書




アリストテレスの『哲学のすすめ』

古代ギリシア哲学、プラトンの弟子にしてプラトンと肩を並べる巨人。
そのアリストテレス自身による「哲学入門」が残されています。

彼の作品はプラトンのように全てが残されているわけではありません。

「アリストテレスはプラトンと同じように対話篇を書いていた」

という記述があります。
しかし、現在残っているのは

  • 『ニコマコス倫理学』
  • 『政治学』
  • 『魂について』(通称デ・アニマ)

など、彼が開いた学園での「講義録」が主です。

そんななかで『哲学のすすめ』は、当時の一般市民向けに書かれた作品。
不完全ながらほとんど唯一残っている作品です。

どうして残っていたかというと。
アリストテレスの生きた時代より、500年ほど後。

西暦3~4世紀のギリシアに、イアンブリコスという哲学者がいました。

彼の書物の中に、この『哲学のすすめ』の大部分が引用されていたのです。
それをもとに、現代の哲学・文献学の学者たちが、再構成・再編集したのです。
えらいですね。

日本語訳は以下です。

この作品の読みどころ・ポイント・内容などを解説していきます。

アリストテレス『哲学のすすめ』(廣川洋一訳、講談社学術文庫、2011

アリストテレスの著作全体や入門書の紹介はこちらです↓

主要著作には、それぞれの作品に3~5種類の翻訳があります。

「いったいどれが、おすすめ翻訳なのか?」

といったことも、簡単にご紹介しています。

アリストテレス著作と入門書まとめ~政治学から形而上学まで

『哲学のすすめ』の主張=「われわれは哲学すべきである」

この作品は、当時の哲学学徒ではなく、当時の「一般の人々に向けて書かれたもの」です。
(哲学学徒とは、リュケイオン=アリストテレスの学校の生徒をさす)

それならば、哲学に興味のある人はもちろん、哲学の「て」の字も知らない人々も読んだはずでしょう。

ちなみに、当時は市民はみんなふつうに哲学書を読んでいました。

「アナクサゴラスという哲学者の本は、二束三文で売っていて誰でも買える」

というような記述が、プラトン『ソクラテスの弁明』にあります。

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それでは、大哲学者アリストテレスは一般の人々にどのように「哲学のすすめ」をしたのでしょうか?

基本的には「われわれは哲学すべきである」と言う主張をごり押ししています。
この主張のために、色々な意見や論理を展開していく。
そんな筋立てです。

たとえば第一章で言われているのは、こんなこと。

哲学は知恵の所持であり、知恵はあらゆるもののうちで最大の善である。
しかも獲得は容易であり、哲学への傾倒は快い。

などと言っています。

なんだか悪徳商法のような旨い話です。

「哲学をすれば、気持ちよくて、いいことばっかりですよ! 
不安ですか? 大丈夫、簡単です。」

みたいな言い方に感じませんか?

「理知を働かせること以外は、無に等しい」(頭を使わなきゃ、生きる意味がない?)

興味をひいた記述は第三章です。

ちょっと1文1文が長いのですが、これがギリシア語の特徴なのです。
「分詞を連発して、ダラダラと1文を続ける」という書き方をします。

さて、すべての人にとって、少なくともこのことだけは明らかである。
すなわち、人びとのうちでも最大の富と権力を手にしてはいるが、理知を欠き、正気を失ったまま生きるというのであれば、そのような生を選ぶものはひとりとしていないだろう。
たとえ激しさこのうえない快楽に歓喜しながら生きていこうとしても、このことにはかわりはない。

してみると、すべての人びとがとりわけ避けようとしているものは、知なき状態であるように思われる。
なぜなら、たとえ人が一切のものをもっていても、思考する力に欠陥があり病的であるとするなら、その人の生は望ましいものではないからだ。

だから、すべての人は理知をはたらかすことを味わい知ることができるかぎり、これに比べるなら他のものは無にひとしいと考えるのであって、まさにこのゆえにこそ、われわれの誰ひとりとして、生涯を通して、酔っぱらいのままに過ごしたり、子供のままで過ごしたりすることには耐えられないのだ。

アリストテレス『哲学のすすめ』(廣川洋一訳より)

「理知をはたらかす」こと以外は「無にひとしい」と、非常に簡潔な論理で言ってのけています。
つまり、

  • 何をどれだけ手にしていても、
  • 知を欠くことを望まないのなら、
  • 知以外のものの価値は無にひとしい

こんなことを言っています。

しかし直後の議論は少々おかしな方向へ進んでいきます。

哲学の話から一変、「両親を敬う話」になる

またアリストテレスの言葉を見てみましょう。

さらに、多くの人びとが死を忌避するという事実もまた、魂(精神・心)が学ぶことを愛することを示している。
というのは、魂は、自分が知らないもの、暗いもの、明らかでないものを避け、その本性上、明瞭なもの、知られうるものを追求するからだ。

このことこそ、われわれが太陽や光を見ることができるようにしてくれた人びと、すなわち父や母を、最大の善いものの原因として、なによりも尊び敬わなければならないと主張する、とりわけの理由である。
父や母は、われわれが理知をはたらかしたり見たりすることの原因であると思われるからだ。

アリストテレス『哲学のすすめ』(廣川洋一訳より)

 

突然、父母を敬う話になります。
しかもその理由がふつうではありません。

「魂の本性(明瞭なものを追求すること)の手助けをしてくれたから、父母を敬う」
ということでしょうか。

しかし、こんな理由で両親を敬いなさいと言われて、説得される人がいるでしょうか!?

それでは「哲学をしない者」は、「父母を敬っていない親不孝者」になってしまうのでしょうか?

アリストテレスはこの辺りは、なんにも語りません。

影絵の比喩:アリストテレスには珍しい文学的表現

また話が変わって、一転冷めた視点で語りだします。
内容は易しいので、堅苦しさに惑わされないようにしましょう。

理知を働かすことで人は、人びとに偉大なことであると思われているすべてのものが、たんなる影絵にすぎないことを見出す。

人間はまったくの無であり、人間のかかわることがらに確かなものはない(略)ものを鋭く見ることができたとするなら、人間がいかに劣悪なものから成り立っているかを見てとる以上、その眺めを見るに堪えるものと思うようなことがありえようか?
なぜなら、永遠なるものを何か見た人にとっては、この種のことがら(名誉など)を熱心に追い求めることは、愚かなことだからだ。

人間的なことがらの中で、いったい何が偉大なものであり、何が永続的なものであるのだろうか?
われわれのうちのいったい誰が、これらの事態を見てとったうえで、なお自分たちは幸福であり祝福されている、と思うことができるだろうか?

魂は罪の報いを受けているのであり、われわれはある大きな罪の懲罰を受けるために生きているのだ、という古人の言葉は神の霊感に満ちたものだ。

アリストテレス『哲学のすすめ』(廣川洋一訳より)

アリストテレスから、このようなある種の文学的表現が聞かれるのは意外です。

「影絵」はあたかもプラトン『国家』における「洞窟の比喩」をほうふつとさせます。

(関連記事)プラトン『国家』のテーマとは:グラウコンの挑戦に注目せよ!

しかし主題に戻りましょう。

いよいよ「哲学が必要だ」という結論が出てきます。

驚きの結論ですので注意して読んでください。

哲学しない人生に意味はないというアリストテレス

われわれの所有しているものの中で、ただこれ(知性と理知)だけが(少なくともある程度)不死であり、これだけが神的なものと思われる。
そして、この能力に与(あずか)ることができることで、われわれの生は、それが本来悲惨で、困難なものであろうとも、なお賢く整えられていて、他のものに比べれば、人間は神であると思われるほどなのである。

したがって、われわれは哲学すべきであるか、それとも、生きることに別れを告げてこの世から立ち去るべきか、そのいずれかである。
それというのも、他の一切はなにかまったくとるにたらぬもの、愚かしいものと思われるからだ。

アリストテレス『哲学のすすめ』(廣川洋一訳より)

したがって、われわれは

  • 哲学すべきであるか、
  • 生きることに別れを告げて、この世から立ち去るべきか、

そのいずれかである。

すごいですね。

アリストテレスによると、
「哲学するか、さもなくば取るに足らないことしかないから、生きていないほうがいい」そうです。

これは現代からすればギャグとしか思えません。

思い出してほしいのですが、この作品は、当時のアテナイ社会で、
「哲学の「て」の字も知らない一般人」を対象にして書かれている作品です。

ならば、アテナイ市民たちに、どんな反応を受けたのでしょうか?

とても気になるところです。

まとめ 哲学なき人生は悲惨なのか? アリストテレスの問いかけを受け止めよう

アリストテレスの『哲学のすすめ』の要約、ポイント解説を紹介しました。

もう1度、結論を引っ張ってみましょう。

われわれは哲学すべきであるか、それとも、
生きることに別れを告げてこの世から立ち去るべきか、
そのいずれかである。
それというのも、他の一切はなにかまったくとるにたらぬもの、愚かしいものと思われるからだ。

バカげた主張にも思えますが、この一節は重要です。
ギャグで流す前に、慎重に考える必要があります。

実際、人生は悲惨なことしかないという主張が真実であったとしたら?

もしも誰かがそう感じてしまった暁には、確かに「哲学するしかない」ようにも思えます。

反対に、この主張が誤りであって、人生は悲惨ではなければ?

哲学はまさに冒頭で示したように悪徳商法と同じ。
手を出してはいけないものです。

あなたの人生はこれから先不幸に満ちあふれている。
だから哲学をやりなさい。哲学以外に価値はない。
哲学をすれば救われる

――よくありそうな文句ではないですか。

それゆえ、まず必要なのは、

  • 「私たちひとりひとりが、人生についてよく反省する」
  • 「本当に人生が悲惨かどうかを明らかにする」

このようなことだと思います。

ここをもう少しアリストテレスは説明してほしかったですね。

人生の悲惨さについて、読者が納得できない限りは、読者が熱心に哲学することはありえません。
この作品も先ほど述べたように、単なるギャグになってしまうでしょう。

アテナイ市民向けに、こんな挑発的な檄文を書いちゃう。
若き日のお茶目なアリストテレスでした。

ちなみに、こうした「人生の虚しさについての説得」を徹底的にやりぬいた哲学者がいます。

彼はアリストテレスより、およそ2000年ほど後に誕生します。

それが、パスカルという男でした。

パスカル『パンセ』要約と解説|現世否定の哲学者が語る人間の一生

2017.02.01




2 件のコメント

  • いやはや ほんと面白いですね 自分は、歴史上の西洋哲学者の中でアリストテレスは最高ランクの評価をしています というより認識の仕方が自分と似ているため非常によくわかるというのがあります
    上部にある『魂の本性(明瞭なものを追求すること)の手助けをしてくれたから、父母を敬う』というのも非常によくわかります 哲学的視点でいえば 自分の思想や思考の源泉の追及を意味しているとおもいます つまり親という存在は、絶対的信憑性に基づく観察対象といえて 哲学者にとっては貴重な存在という意味ではないでしょうか?

    • jcurrentさま
      > 認識の仕方が自分と似ているため非常によくわかる

      とてもうらやましいです。両親が善の原因だとする箇所も、わたしには恥ずかしながら理解できない点でした。
      ですが、ご解釈をうかがって、なるほどと膝を叩きました。
      アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で
      「人間独自の幸福な行為」ということで「観察」を何よりも上位に置きました。

      なので、観察を可能にした親は最大の善の原因。これすごい論理ですよね。
      現実的というより即物的というほうがふさわしいような思考法。
      哲学者にとって貴重な存在というより、自らの発生の原因としてすべての人が敬うべきであると考えているようですね。

      いま思いましたが、ギリシア時代って、ペシミズム的なのが流行ったんですよ。
      「生まれてこないのが最善。運悪く生まれてしまったら、できるだけ早く世を去るのが次善」

      こんな言葉が、流行語大賞になって、みんながペラペラしゃべっていたわけです。
      こういう耳に心地よいだけの薄っぺらい話を、
      アリストテレスはもしかしたら気に入らなかったのかもしれないですね。

      これに対してプラトンは、たしか、わりと「親なんかどうでもいい。たまたまの関係」というような考えなんです。
      (どの対話篇で話してたか、すぐに思い出せません。すみません)

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