堀尾輝久『現代教育の思想と構造』は、かつての日本の教育学にとっては必読の文献でした。
今ではもはや難解ゆえにあまり省みられなくなっている本ですが、中身は刺激的な内容に満ちています。
この少々難解な本を読むためのガイドとして、ポイントを私なりにまとめてみました。参考になれば幸いです。
前回は第一章をまとめています。
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『現代教育の思想と構造』目次
目次としては以下のようになっています。
第一部
第一章 近代教育の理念と現実―公教育思想を中心として
第二章 独占=帝国主義段階における教育―「国民教育」の成立を中心として
第二部
第一章 教育を受ける権利と義務教育―親権思想の変遷を手がかりとして
第二章 「教育と平等」をめぐる問題―教育の機会均等論批判
補論 国民教育における「中立性」の問題
今回は、第二章をまとめてみたいと思います。読むポイントと思われる箇所を、箇条書きにしてみました。
第二章 独占=帝国主義段階における教育―「国民教育」の成立を中心として
第一節 市民社会の構造転換=福祉国家(大衆国家)の成立とその一般的問題
・一般に、19世紀後半に、ヨーロッパ諸国では公費教育(公教育)を基礎とし、就学を国民全体に義務づける国民教育制度が成立する。
・この変化は、市民社会の構造転換と深い係わり合いがある。
・市民国家(自由な国民)⇔福祉国家(自由を持たない国民)
・大衆化現象=生産の社会科を可能にしたテクノロジーの発達により、パブリックからマスへ。
・問題=大衆国家は軍事国家・兵営国家へ移行する傾向性をもつ。独占資本主義―帝国主義戦争(レーニンの定式)
・問題=<自由をもたない公民性(国家への忠誠義務)>と<デモクラシーの空洞化>
・19世紀末以降における国家は、市民国家・必要悪国家から、公民国家・福祉国家・大衆国家、さらに軍事国家へと変貌。国家による民衆の日常生活の領域までの干渉・介入の理論が用意される。
第二節 福祉国家(大衆国家)と「国民教育の成立」
一 問題の限定
・国家が大衆教育の主宰者として、「道徳の教師」を自認し、国民的規模の教育制度のもとでの、国家による国民の形成、すなわち「国民教育」の成立を必然ならしめた。
・「国民教育」の本質を、主としてイギリスの場合を中心に、義務教育の成立、中等教育の改革と教育体系の一元化、社会教育の拡充の三つをメルクマールとして整理する。
二 制度上の変化
(1) 義務教育制度の成立
・大衆教育制度の延長上に成立する。最終的には、レジームの論理の貫徹の中で成立した。
・労働者の要求のたかまり。教育は権利であり、真実の教育を要求(世俗教育・科学教育)。ペイン、オーエン、カーライルから始まり、ラヴェットやジョーンズによって深められる。
・支配階級に教育=教化の必要性を痛感させた。教育の国家介入を要請。
・産業技術の進歩は、初級労働者にも最低限の教育を必要とするようになった。
・帝国主義の教育への影響:国民意識の注入のための普通教育の強化と、国際競争力を支える技術教育への要請。
・1870年「国民教育法」
・教育を通して国民としての一体性・凝集性の確保が主要な動因の一つ。
(2) 中等教育の改革と学校体系の一元化(階梯化)
・一体性の形成が目的のため、従来の身分的複線型学校体系は否定される。
・中等教育が初等教育と接続、初等と高等の階梯という役割が成立しはじめる。今までの中等教育は、エリート養成の機関だった。
・1907年の教育法が、初等と中等の接続の、法的な端緒となる。労働者階級の子弟にも機会が用意される。
・パブリック・スクールは例外。
・二つの階級をつなぐ中産階級の創出への期待。
(3) 社会教育の拡充
・社会教育=学校教育以外の教育活動。
・体制の必要とする教育が従順な労働者・忠実な公民の育成であるから、その要求の直接の対象は、学校教育よりもむしろ社会教育。
・推進力の中心は各宗派団体。宗教的ヒューマニズム。
・社会教育の任務は、本質的には、底辺の拡大(*均質化)と頂点への集中(*特権化)という権力の論理。
三 教育目的の変化―公民教育の登場とその意義を中心に
・教育目的の変化は、国内的な階級対立と帝国主義的膨脹にともなう対外戦争の危機に対応し、階級を、自由をもたない公民(国民)に転化させるというレジームの論理に貫かれていた。
・この段階において、はじめて、市民教育とは区別された公民教育が登場。
・人間としての徳性涵養から国民としての徳性(国家への忠誠心)の強調への変化としてとらえられる。
・近代社会においては、公民とは区別された市民こそ「本来的人間」であり、公民性は市民性の「召使い」的関係にあったが、いまやこの関係が逆転。
・公民教育は、第一に、国家への忠誠心。従順な態度を養成することを目的とする。一方で、反抗や不服中に対し、服従と従順を強調し、言論の自由や個性の価値を極小化しながら、他方で自由な批判にもある程度の余地を与えることで革命的変革を防止する。
四 教育と政治―教育の政治家と真実からの疎外
・教育は、経済の矛盾を前提とし、その上で支配を続けるための、政治の論理(底辺の拡大と頂点への集中)の貫徹を支えるイデオロギー的装置としての任務を負う。
・すなわち初等教育の義務化、社会教育の拡大、中等教育改革による閉鎖的複線体系の一元化等の改革を通して、産業技術的要求に応え、文化的価値を民衆へ開放し、民衆に社会的上昇の可能性を開いておくと同時に、国民的(公民的)義務感、国家への忠誠心の養成が全教育体系を通じて目標とされるにいたった。
・古典的市民社会においては、その本来的意義における政治と教育は、社会結合の原理からみれば、支配と指導という全く対立的性格をもつ。他方、福祉国家(大衆国家)においては、政治が、権力的支配から世論の指導ないし操作を通しての支配にその形態をかえ、教育が政治に従属させられ、さらには政治の一部として、教育と宣伝との本質的区別が困難になり、「教育と宣伝」を通しての、指導(操作)による支配が一般化する。
・現代の政治は、合意による政治を原則にしながら、いかにしてなお少数支配を維持し、少数の利益を全体の利益に仕立てることができるかということが、支配者の側にとっての根本課題となる。
・民主主義を認めながら、そのことを前提として、いかにして実質的に民衆を支配し続けることができるか、教育はこの困難な課題のために動員される。
・真実の名における虚偽の注入の場。
・真理の名における「真理からの疎外」(ミルズ)
・マス・コミの発達。疎外感への麻酔としての大衆文化の成立。ビジネスの論理(利潤追求)を前提とするゆえ、文化は必然的に商品化される。文化は「チューインガム」。「感情的搾取」(ウォーラス)
・現代資本主義国家は、学校教育を含む巨大なマス・コミによる民衆の操作を通して、真理からの疎外による政治的文盲の大量生産と、大衆文化による感情的搾取を媒介として、経済的、実質的搾取の継続と、体制の維持が可能となる。
五 「国民教育」を支える諸原則
・現代教育を合理づけている諸原則を近代教育原則と対比させながら整理する。
・近代国家=「必要悪国家」、夜警的地位。現代国家=国民主権のたてまえと普通選挙制度を前提として、国家は個人(自由)の救済者、その保護者として振る舞う。自由とは「国家への自由」でしかありえない。
(1)教育は当然「国家による教育」が原則。私事性の否定。国家は内面形成の指導者。
(2)愛国的国民、従順な公民の形成が第一目的。
(3)教育行政権は、次第に中央権力に集中。教育の独立性・自立性の原則の空洞化。
(4)教育が中立性を保持するのではなく、福祉国家では国家が中正の保持者。
(5)閉鎖的複線型体系(近代教育の現実)の否定、階梯的一元化。公立学校が第一義的意味。
(6)子どもは、学習の権利の行使としてよりむしろ国家成員の義務として就学を強制される。
(7)教育の政治への従属化。
・これらの原則の構造を第二部で考察。