かぐや姫の物語のラストシーン!
十五夜の夜に、なんとも耳に残る軽快なメロディーで月の使者たちがお迎えにきますね。
この音楽、あなたはどう感じましたか?
私個人としてはこのシーンをより神秘的に魅せてくれるメロディーって感じで好きなんですが、ネット上では「怖い!」という感想もチラホラ。。。
そして迎えにきた使者・天人。
かぐや姫とは似ても似つかずこれまた「怖い!」といった感想が(笑)
なんというかその無感情でいて穏やかな雰囲気。
それが狂気にも感じます。
やはり月の人々は人間ではないんですよね~。
あれだけ「月に帰りたくない!」と抵抗していたかぐや姫も羽衣をまとった瞬間に無抵抗になりますし。
あの羽衣って一体何なんでしょう?
羽織るだけで記憶がなくなり無抵抗で従順になるなんて最強グッズ過ぎます。
そんなラストシーンの感想と疑問も様々ですが、少しでも高畑監督ワールドを理解するべくまとめてみました!
- 月からの迎えの音楽は怖い?
- 迎えのシーンは原作と同じ?
- 記憶を消す羽衣ってなに?
音楽に関してはジブリでお馴染み久石譲の「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」と言う曲でした。
怖いと思われる理由は一貫して「感情が無いから」みたいですね~。
月からの迎えのシーンは原作と同じようですが、仏のような人物は高畑監督オリジナルのようです。
この様子がまさに来迎図にソックリでした!
羽衣については、まるで天使の輪のような存在かな?と思いました。
以下、詳しく考察しています!
下記クリックで好きな項目に移動
挿入歌は久石譲! 天人の音楽の曲名は「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」
ジブリの挿入歌と言えば「久石譲」ってぐらいにジブリ作品ではお馴染みの作曲家さんですよね。
久石譲をジブリ作品に最初に起用したのも高畑監督だったそう。
しかし意外や意外。
久石譲が参加するジブリ作品は全て「宮崎駿監督」の作品でした。
つまり、かぐや姫の物語が「初めてで最後の高畑作品への参加」だったんです!
そして曲を作るにあたって高畑監督からの注文が3つ。
- 登場人物の気持ちを表現しない
- 状況に付けない
- 観客の気持ちを煽らない
なるほど~。
高畑監督のこだわりが深い。
そしてその要求に見事答えた久石譲が凄い!
通常のアニメのまるで逆の発想とも言える演出ですよね~。
そんな要求を形にした曲。
その1曲が例の「月からのお迎えで流れる曲」でしょう。
忘れてしまった方のために完璧に再現されたこの方の演奏をどうぞ!
こうやって聞くと異国情緒あふれる癒しの音楽って感じがします。
この曲をあのシーンに当てはめるととても神秘的で切ない雰囲気になりますね~。
曲名は「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」と言うそうです。」
また曲名も洒落てますねぇ~
この曲はかぐや姫のサウンドトラックアルバムに収録されています!
アマゾンから購入できますので是非チェックしてみてくださいね♪
音楽が怖い? 月からのお迎えシーンの感想まとめ
かぐや姫を月に帰らすまい!と人間たちの切迫したシーン。
月がパァっと明るく光ると大きな雲に乗った月の使者たちが現れ音楽が流れ始めます。
切迫した人間とは裏腹に祝い事のような愉快な曲を奏でる月の使者。
このシーンの感想は以下です↓
- かぐや姫の物語の、天人たちが迎えに来る時の音楽って明るいけど怖いよね…なんだろ、底抜けに明るいけど何も感情がない音楽っていうか
- かぐや姫の物語初見だったけど天人の音楽がやばかった…あの明るさが怖い
- かぐや姫の物語は天人の音楽が1番怖い
- 陽気な曲とは正反対の無表情な天人が怖い(^_^;)
- 今日かぐや姫の物語やるけど、この曲が怖くて仕方ない。有無を言わせず明るく人を浄化させるみたいな何ていうか…上手く言えないけどすごく怖い…
皆さん「怖い」って言ってもその理由が一致していますね。
- 明るいけど表情のない音楽
- 陽気な曲なのに無表情な天人
こんなところに不気味さを感じるわけです。
私も初めて見たときはこのシーンに鳥肌が立ちました。
恐らく「怖い・不気味」と思われる演出は高畑監督の狙い通りって感じでしょう。
月からの迎えに仏のような天人がいる!来迎図とソックリなシーン。
月からのお迎えは原作と内容はほぼ同じです。
以下Wikipediaの竹取物語より↓
そして子の刻(真夜中頃)、家の周りが昼の明るさよりも光った。大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(約1.5メートル)くらい上った所に立ち並んでいる。 内外の人々の心は、得体が知れない存在に襲われるようで、戦い合おうという気もなかった。何とか心を奮って弓矢を構えようとしても、手に力も無くなって萎えてしまった。気丈な者が堪えて射ようとしたが矢はあらぬ方へ飛んでいき、ただ茫然とお互い見つめ合っている。
「大空から人が雲に乗って降りて来て地上から1.5メートルくらい上った所に立ち並んでいる。」
かぐや姫の物語でも月の使者たちが雲に乗って降りてきますね。
しかしWikipediaに掲載されているその際の絵はこんな感じ↓
おや。あの仏のようないで立ちの天人はいませんね。
浦島太郎の竜宮城にいる方たちのような雰囲気の女性のみです。
私も月から迎えに来るのは天女のような人だとずっと思っていました。
しかし「かぐや姫の物語」では仏のような天人がいますよね。
この方です。
原作の竹取物語は日本最古の物語ですし、作者も不明。
なので月から迎えにくる使者の姿もどれが正しいかは不明です。
しかし再現されている絵は全て天女のような姿なのに、なぜ高畑監督は仏の姿を追加したのか?
実は、かぐや姫物語の月から迎えに来るシーンにソックリな絵があるんです!
それがこの来迎図(らいこうず)。
どうです?似てません?
来迎(らいこう)とは・・・仏教において、念仏行者の臨終の際に阿弥陀三尊が25人の菩薩と共に白雲に乗ってその死者を迎えに来て極楽に引き取ること。
その様子を描いた図様は来迎図(らいごうず/らいこうず)という。
つまり亡くなった時に天国から迎えに来てくれている図。
もちろん天国からの迎えは修行に耐えた仏教徒のみです。
「かぐや姫は亡くなったわけじゃないのになぜ来迎なのか?」
ここに高畑監督の意図があるように感じます!
月の使者である女官もかぐや姫にこんなことを言いますよね。
「さぁ参りましょう。清らかな月の都にお戻りになれば、そのような心ざわめくこともなく、この地の穢れ(けがれ)も拭い去れましょう。」
まさに極楽浄土のような世界。
地上で生きることはかぐや姫にとっての修行。
そして「ここにいたくない!」と強く願ったときに月への強制送還が決定しました。
時すでに遅し。
今更どんだけ抵抗をしても地上にはいられないと知り、激しく後悔するかぐや姫。
かぐや姫が女官に
「穢れて(けがれて)なんかいない!」
「この世で生きることは素晴らしいこと!」
と言いますよね。
私はこのラストシーン。
- 非常に仏教要素が強い
- 生と死の世界
- 地上は修行の場所
- 辛く悲しく、欲もある
- しかし感情があるからこそ生きる実感もある
- 感動や愛も感情あってこそ
こんなイメージとともに
あの世に逃げたいと思ってしまう人へのメッセージでもあるのかなって思いました。
私の解釈は少し重いかもしれませんが、それほどに考えさせられる高畑監督作品は本当に素晴らしいですね!
羽衣で記憶がなくなる理由は? 心が人間でなくなる瞬間。
かぐや姫の育ての親である翁(おきな)と媼(おうな)が天人の計らい?で雲に乗せてもらい、かぐや姫との最後のお別れを言うシーンがありますね。
月の女官に諭されても「地上は素晴らしいのよ!」とかぐや姫は反抗します。
しかし直後に羽衣を着せられ、その瞬間目から光が消え記憶がなくなります。
もう翁の声も媼の声も聞こえません。
羽衣のパワー凄すぎやしません?
そもそも羽衣とは何ぞや?と調べたところ。
天女が着て、空中を自由に飛行するといわれる衣。
羽衣伝説は日本各地で伝えられている伝説だそう。
かぐや姫物語での羽衣には意味がプラスされ
- 羽衣をまとえば地上の記憶はなくなる。
- 地上の人間の感情ではなくなり無の境地になる。
こんな意味合いを持っていますね。
まるで天使の輪を載せて天国に旅立つようにも見えます。
その人間と天人の境になるのが羽衣って感じでしょうか・・・
この羽衣は原作である「竹取物語」にも同じような意味で登場しています。
「心穏やかで悩みのない地に行く」って一見良さそうに感じますが、
「今までの記憶は全て消えて感情がなくなります」と言われたら一気に怖くなりませんか?
毎日小さな悩みや愚痴がある私でも「羽衣着る?」って天女に聞かれたらソッコーで拒否しますね。
まとめ:月からの迎えの音楽は感情がなく怖い!が正解!羽衣は人間と天人の境を表すもの。
とても神秘的でいてその淡々としてる様子が恐怖に感じた人が多いようです。
小さい子でも「不思議な怖さ」で泣く子いるんじゃないかレベルです。
- 迎えの音楽は久石譲の「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」。淡々とした感情のなさが恐怖!
- 雲で降りてくる月の使者がまるで来迎図!
- 羽衣は天使の輪のように人間ではなくなるもの。
耳に残る天人が奏でるメロディー。
なんかバリ島の舞踊で流れそうな曲にも聞こえます。
大自然の中でこの曲聞きたいな~!