この話は「勉強する意味が分からない」と悩むあなたのために、書きました。
あなたは、お寿司は好きですか?
子どものころから、きっとお刺身やお寿司を食べていたと思います。
とろ、なんておいしいですよね。
大トロ・中トロ。
ふだんはただの赤身のお刺身。
だけどお父さんが給料日だったりボーナスだったり。
あなたやあなたの兄弟の誕生日だったりしたとき。
時々とろを食べることがありました。
子どものころからあなたは「まぐろはおいしいものだ」と感じて育ってきたと思います。
あなたが勉強する意味は「とろを食べること」と同じなのです。
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大正時代までトロは食べずに捨てられていた
百科事典によれば、江戸時代の初期まで。
マグロは味のよくない魚だとされてきたそうです。
それ以降も昭和初期頃まで。
赤身を食べる程度で、とろは食べずに捨てていたそうです。
「なんてもったいないんだろう!」
そう思いますよね。
もし私たちが江戸や明治にタイムスリップしたら、すぐにマグロで商売しましょう。
「とろは食べられるよ。こんなにおいしいんだよ」
といって、かならず大金持ちになれます。
それが今やマグロは食用魚として世界を席巻しています。
日本人のマグロ消費量は、どうどうの世界第一位ですよね。
昔の人々は、本当にもったいないことをしていたわけです。
ただでさえ、食料事情が今よりも豊かでないのに、おいしい部分を捨てていたわけです。
(じつはわたしは、とろ苦手なのですが。)
上司と先生は選べないから、自分で勝手におもしろがろう
わたしは大学1年生に哲学を教えていたことがあります。
それに、中学生や高校生に英語を教えていたこともあります。
やっぱりたいていの生徒・学生は、退屈そうにしてしまいます。
- デカルトの『省察』を読むこと
- キング牧師の”I have a dream”を英文で読むこと
こういったことは、あなたにとっては、苦痛かもしれません。
わけの分からない妄想めいた文章の要約や翻訳を命じられる。
ゆるい拷問を受けているようなものですよね。
できあがった要約や翻訳を見せてもらうと、
「どうしてこんなことやってるのかわかりません」という感情がありありと感じ取れます。
字面は多少追えていて、一見筋が通った要約。
でもデカルトが「こんな文章を書いた理由」、デカルトの気持ちが汲み取れていません。
「まずいものを嫌々食べている状態」。
なので、くみ取ろうとしていないのです。
教える側からしたら
「おー、デカルト(哲学)ってすごい! おもしろい!」と感じてくれれば1番嬉しいのです。
せめて「なんかすごそうなこと言っているぞ」と感じてほしいのです。
しかし、教える側の問題もあります。
基本的に先生というのは、教えるのが下手な存在です。
でも、先生と上司は選べません。
だから、自分で楽しむ。自分でおいしいところを見つける。
この姿勢が、本当に大切です。
そうしないと、学生時代のほとんどが、退屈になってしまいます。
「でも、おもしろがるなんて、できない。どうすればよいの?」
そんなときは、勝手に脱線することをおすすめします。
勝手に読み間違えていく人が、勉強の楽しさを見つけられる
学校の国語のテストは、正解があります。
正解は「絶対にこれ以外認められません」と決まっていました。
確かに模範解答は正しいです。誰もが反論の余地のない正解です。
ところが、これはテストのなかのお話だけなのです。
センター試験では、小説家や評論家の文章が使われます。
当の作者さんも「自分の文章がどう問題になったのか?」気になりますよね。
それで、全然自分でも思ってもいなかったような選択肢が正解だったりするのです。
実際の世の中では、模範解答が必ずしも「おもしろい解釈」とは限りません。
反対に好き放題に読み間違えている人たちのほうが、みんな楽しそうな顔をしています。
勉強の意味は、勝手に脱線して人にだけ与えられます。
「どこにもそんなこと書いていないのに」と著者から叱られてしまいそうな解釈をする。
それで勝手にひとりで興奮して、身体を動かす人が、勉強の意味を見つけます。
これは学校や予備校の授業でも同じです。
講師が話している内容と全くかけ離れたことを思いつく。
心臓の鼓動が高ぶって思わず取り乱してしまう人が、勉強の意味を見つけます。
- 世界史でナポレオンの話を聞いて、短時間睡眠をマネしたくなる
- 英語で公民権運動の話を聞いて、ユダヤ人の大金持ちの話を調べたくなる
勝手に自分流に勘違いして、どんどんチャレンジしていくことです。
勉強にも、まだあなたが知らない「おいしい部分」がある
先生に対して「勉強する意味はなんですか?」という質問してしまう人は、勉強を楽しめません。
「根拠はなんですか?」という質問をする人は、ふんぞりかえっています。
「あるんなら、言ってみてよ。教えてよ。」こんな態度です。
納得しよう。と謙虚になって授業を聴いてみましょう。
すると、あなたの心のアンテナに引っかかる「おもしろいこと」。
1つか2つは見つかるはずです。
芸人さんの漫才を、テレビで見るのと同じです。
- おう、笑わせてもらおうじゃないか
- この人の話はおもしろいんだよな~
これじゃ全然態度が違いますよね。
上の方は、ふんぞりかえっています。
でも下の方は、最初から笑いたがっています。
ウケる準備態勢に入っているのです。
こういう態度が、勉強の楽しさ・おもしろさを見つける秘訣です。
勉強する意味は、先生に何時間教えてもらっても永遠にわかりません。
勉強する意味なんて、自分で行動して痛い目にあってからしかわからないからです。
勝手に自分流に勘違いしてどんどんチャレンジしていきましょう。
食べられないと思っていたトロを、どんどん食べましょう。
食べものと違って、あたっても身体を壊しません。
料理がおいしいかおいしくないか。これは3つの要素があります。
- 素材のよさ
- 味付けのよさ
- 食べる側の気分
この3つによって決まります。
たとえばデカルトは、素材としては超一級品です。
しかし味つけはとっても難しい素材です。
食べる側の努力も必要です。
まあ、噛み応えがあります。
あごが疲れます。
一生懸命噛み続けなければいけません。
「学問なんか最初からおいしくないものだ」と決めてかかっている。
これは「食欲がない」のと同じです。
「空腹は最高の調味料」といいますよね。
食欲がなければどんなものでもおいしくない。
まずそうだと思えば食欲もなくなります。
しかし哲学を「うまい!!!」と言って食べている人もいます。
歴史を見渡せば偉大な人類たち、数百年、千年に一人の天才たちが名を連ねている。
あなたにできることは「天才たちがうまいと言うのだから、きっと本当はおいしいはずだ」
こう思うことです。
これが、「ウケる準備態勢」になります。
これは別に哲学に限らず、学問や勉強全般に言えることです。
わたしも、まだまだとろの味を知りません。
「勉強する意味とは、とろを食べることである。」
というお話を通じて、少しでも勉強を好きになってくだされば嬉しいです。
(じつはわたしは、とろ苦手なのですが。)