また「無知の知」かよ!!!
と思ったら、意外にいい解説だったのでご紹介します。
プレジデント。ビジネス雑誌が、哲学とか思想の古典をおすすめする風土っていつから生まれたのでしょう?
何にせよ、とってもいいことですね。
でも古典文学の特集が組まれてるのは見たことないですね。
さすがに活かせないのかな。
PRESIDENT 2017年9.18号
仕事も家庭も、人生も楽しくなる元気が出る哲学大全
ソクラテス●無知の知「知ったかぶりは思考停止を招く」
「知を求め続けるのは何も知らないから」
以下に紹介していきます。
ソクラテスはそれまでの哲学者と根本的に違います。
例えばタレスは「万物の根源は水である」と言ったり、
ヘラクレイトスが「万物の根源は火である」と言ったり、
世界を説明しようとするのが哲学者の常でした。
ところがソクラテスは人間の生を追求し、ただ生きるのではなく「善く生きる」ことが大切だと説いた。
人間中心の視点を打ち出したソクラテスの発想は実に画期的でした。
「ソクラテス=人間中心」というのは、かなり図式的で、誤りも多いです。
まるでソクラテスが出てくるまでは、哲学者は人間のこと、生き方のことになんかまるで興味がなかったかのようですね。
でも実際は、そんなことありません。
たとえば最初の哲学者タレスはビジネスの才覚のある人間でした。
ビジネスマンにとっては、きっとタレスのほうが、ソクラテスより勉強になるのでは笑
(関連記事)タレスの哲学エピソードは超面白い!水井戸に落ちた本当の理由は?
無知の知を正しく解説しているビジネス雑誌はエライ!
実は哲学(philosophy)という言葉は、もともと古代ギリシャ語の「知を愛する」という言葉に由来しています。
この上なく知を愛するソクラテスが嫌ったのが「もう知っている」と言う態度です。
「知っている」と思ってしまうと、それ以上に知ろうとせずに思考停止してしまう。
だからこそ「自分は何も知らない」と当時の哲学者らしからぬことを言って貪欲に知を求め続けたのです。
これについては「無知の知」という言葉がよく使われますが「知らないことを知っている」とは少々矛盾のある表現です。
実は弟子プラトンによる『ソクラテスの弁明』などでも、この言葉は使われていません。より正確には「知らないと思っている」と解釈するとよいでしょう。
ここが注目ですね!
「無知の知」について、非常に正しく説明されています。
だからこそ、無知の知なんて言葉を使わないでほしいという話なのです。
たった4文字でキャッチーなので、使いたくなるのは分かります。
でもそこはビジネスマン。「無知の知」が矛盾のある表現と分かっているなら、「無知の自覚」などに変えるべきです。
ビジネスマンはあいまいな文書を作ってはいけないのですから、筋を通してストイックにやってほしいところです!
「無知の知の間違い」についての解説は、こちら↓↓(読むと10倍分かりやすくなります)
無知の知の使い方は全て誤解!ソクラテスの伝えた本当の意味とは?
ソクラテスの問答法。若者たちへの影響も解説
ソフィスト(賢者)に対して「正義とはなんですか?」などと問いを繰り返し、結果的に相手の知ったかぶりを次々と喝破。
一方若者たちにしてみれば、ソクラテスから浴びる矢のような問いかけは実に歓迎すべきものでした。
それまでの常識がダイナミックに壊され、必ず新たな気づきが生まれるからです。
自分自身の中から思わぬものが生まれると誰しもハッとします。
そうした驚きこそが哲学の始まりだとソクラテスは考えていたのです。
質問することで相手が目を見張るような成長を遂げる様を見て、ソクラテスは精神のお産を世話する「産婆」というアイデンティティーを持っていました。
ソクラテスの母親は助産師だったことも影響しているのでしょう。
このように対話を通して相手に自分の無知を自覚させ「もっと知りたい」という知的欲求を引き出す手法は「問答法」と呼ばれます。
若者たちと直接対話することも多かったソクラテス。
でも、なにより、知識人たちが言い負かされるところを見て、若者たちは熱狂したのです。
テレビでえらそうにしているキャスターや文化人たち。
名物おじさんがひょいと現れて、次々に論破していく。
そんな感じですね。
たとえば池上彰さんなんかが選挙特番TV出ますよね。
で、党首とかにちょっと聞けないようなストレートな質問をするわけです。
公明党の党首にたいして、創価学会がどうのとかきいちゃったり。
こういうの見ていて、結構快感なわけです。
それをもっととんでもないやり過ぎなレベルでやっちゃったくらいですね。
池上さんは、質問するだけです。
でもソクラテスは、とにかくしつこい!
「相手の矛盾を自覚させる」ところまで質問し続けるわけです。
もうCMさしこまなきゃいけないレベルです。
実際のプラトンの対話編を読んでいても、
ソクラテスの質問にイラつく知識人というのがよく現れます。
プラトンの哲学書は、コメディーみたいに楽しく読めます。
哲学を仕事に活用する
今ビジネスパーソンの間でもコーチングが流行っていますが、その源流はソクラテスの問答法にあります。
誰に対しても「何々すべき」という言い方を決してしない。
相手の思考に寄り添って質問を投げかけ、出てきた考えを褒めて勇気付けながら、最終的に相手は自分自身で気づくように促すのが問答法の極意です。
コーチングそのものともいえるソクラテスの手法は、アイデアが出なくて困ったときにも有効です。
たとえば部下から斬新なアイデア引き出すには「つまらない考えでもいいから、言ってみよう」ととっかかりを与えます。少しでも引き出せたらしめたもの。
「なるほど、それならこういうこともできるんじゃないか?逆にこんな場合はどうだろう?」など次々と議論を展開していきます。
そうこうするうちに、やがて部下の方からアイデアを出せるようになります。
ソクラテスは確かに、否定しません。
まずは相手を徹底的にほめ上げます。
ただし、相手のレベルが高い時は、結構、否定したりもします。
じっさいに一例を見てみましょう。
エウテュプロン「敬虔とは、罪を犯し、不正を働くものを訴え出ることです。そしてそれを訴えないことが不敬虔です」
※注釈:エウテュプロンは古代アテナイの若き聖職者。いままさに所有する奴隷の命を奪った実の父親を訴えるべく役所に出向いたところです。そこでソクラテスと会って対話が始まりました。
ソクラテス「もっと明瞭に言ってくれないか? 私は敬虔とは何か、と尋ねた。なのにきみは、今まさにやっていること、つまりお父さんを訴え出ることが敬虔だと言っているのだけど」
エウテュプロン「いやそれが真実ですよ。」
ソクラテス「ぼくがきみに求めたのは、多くの敬虔なことのうちの、ひとつの事例じゃなくて、すべての敬虔なことが、それによって敬虔であるような、そういったものを知りたいのだ。」
エウテュプロン「おお、それが望みですか。ならそのように話しましょう」
ソクラテス「そうともそうとも。それが望みだ。」
エウテュプロン「では。神々に愛でられるものが敬虔であり、愛でられないものが不敬虔です。」
ソクラテス「これはじつに見事に答えてくれた! まさにそうした仕方での答えを私は求めていたのだ。だけど、この答えが真実かどうかは、まだわからない。だから検討してみてもいいかい?」
エウテュプロン「ええ、もちろん」
こうやって、「ぼくの求めている答え方はこうだよ」という言い方もしています。
ソクラテスの関心というのは「普遍的なことがら」にあります。
「正義とは何か?」「美とは何か?」
“What is?”と表せるようなことがらに関心があるんです。
ここでは、ソクラテスの「何も知らない」という態度に学ぶことができます。
「知っている」と思って思考停止してしまっては、たちまちビジネスの最前線からこぼれ落ちてしまうでしょう。
ご自分の業務の現場を具体的に思い起こしてください。
例えば、新しい商品・サービスのネーミングを決める会議で、まずまず妥当な案が出たとします。
そこで「まぁこの辺でいいか」と妥協せず、「もっと良い案があるはずだ」と粘れるかどうか。
そこが勝負の分かれ目です。
これ以上ないという最善策を考え続ける作業は、一見すると苦痛なようですが、本来は知的興奮を覚える楽しい時間でもあるはずです。
粘った末にようやくだれもが「それだ!」と納得できるアイデアがパッとひらめくことがあります。
知が生まれる瞬間を祝う。その興奮状態が取り入れることができるなら職場は「知の祝祭」の場になります。
そうなればもはや時代の変化に取り残される心配などとは無縁でしょう。
このような「知の祝祭」になるような職場を実現するのは、管理職の役目ですね。
このような高いレベルの業務は、社員のモチベーションが高くなければできません。
単純に社員の尻を叩いたところで、逆効果。負担になるばかりです。
- 社員に快適な環境を提供する。(個室・見晴らし・休憩時間)
- 社員を信頼して、中身についてはダメ出ししないで任せる。
- そのうえで、責任を負う。
このような外的な環境を構築してはじめて、「知の祝祭としての職場」は実現する可能性が出てきます。
「ここで働かないやつらはバカだ」
社員がこんなふうに思っている会社こそ、高品質な製品ができあがってくるわけです。