なぜ現代の高等遊民は、お風呂でシャワーを使わないのか?
それは森鴎外『鶏』という作品における、石田という人物の入浴法を気に入ってるからです。
さらに白状すると、花村太郎『知的トレーニングの技術』という本に引用されていてこのくだりを知ったんです。
石田は、裏側の詰の間に出る。ここには水指と漱茶碗(うがいちゃわん)と湯を取った金盥(かなだらい)とバケツとが置いてある。これは初の日から極めてあるので、朝晩とも同じである。
石田は先ず楊枝を使う。漱(うがい)をする。湯で顔を洗う。石鹸は七十銭位の舶来品を使っている。何故そんな贅沢をするかと人が問うと、石鹸は石鹸でなくてはいけない、贋物を使う位なら使わないと云っている。五分刈頭を洗う。
それから裸になって体じゅうを丁寧に揩(ふ)く。同じ金盥で下湯(しもゆ)を使う。足を洗う。人が穢(きたな)いと云うと、己(おれ)の体は清潔だと云っている。
湯をバケツに棄てる。水をその跡に取って手拭を洗う。水を棄てる。手拭を絞って金盥を揩く。又手拭を絞って掛ける。
一日に二度ずつこれだけの事をする。湯屋には行かない。
以上、青空文庫より。
入浴法というより清拭(せいしき)法ですね。
実際、風呂桶1杯〜2杯で全部やると地獄を見ます。
が、このようなストイックな身のこなしをカッコいいと感じてしまいます。
そして、それに加えて湯シャンです。
湯シャンとは文字通り「お湯がシャンプー」
つまり、シャンプー剤・リンス材を使わないこと。
これで「髪も臭わない・サラサラ」という境地に達するのです。
何で湯シャンをやるかというと 人によっては
健康のためだとか
美容のためだとか
あると思います。
しかし高等遊民の場合は
「シャンプー不使用というライフスタイル」
これにハードボイルドなカッコよさを発見したからです。
「シャンプー? オレには用のないものだ……(サラサラ)」
ということで挑戦してみます。