語学の天才、井筒俊彦。
その弟子筋の言語学者に鈴木孝夫と言う人物がいます。
岩波新書の『ことばと文化』で有名な、非常に優れた言語学者です。
彼が大学院生の頃に井筒俊彦に弟子入り。
井筒俊彦の自宅で寝食を共にして勉強を教えてもらった、というエピソードが話されています。
今回はそれをご紹介いたします。
井筒俊彦の語学の天才ぶりがうかがえるでしょう。
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語学の天才の勉強法と教え方は常軌を逸していた
当時井筒先生は東京の西荻に住んでおられた。
井筒先生のところへ毎日勉強に通うのは、時間の無駄だし面倒だ。
だから「お前、俺のところに住め」ということになった。
台所にベッドを持ち込んで、ついたてを立ててそこで寝起きした。
奥さんは食事の時に降りてきて、トントントンとまな板の音を立てる。その側で
- レールモントフだ
- プーシキンだ
- プラトンだ
- トルコ語だ
と暗唱したりしてた。
晩御飯を一緒に食べさせてもらうと、ちょっと休んだ後、
- 「おい鈴木プラトンを読もう」ってギリシア語。
- 「トルコの神秘主義をちょっとやろう」とかね。
後になって分かったけど、これは井筒先生の、自分の大学の講義の下調べだった。
下調べに文献とかそういうものに、私を同時に付き合わさせてくれた。
ご自分はよく読んでおられるのだけど、それを私に与えてくれたのです。
ですから大げさに言うと、日替わりメニューで
- ロシア語の時があり
- ギリシア語の時があり
- ペルシア語になり
- アラビア語になり
- ドイツ語・フランス語はもちろんです。
サンスクリット語の文献を1か月で暗記した
これはついていくのが大変なのですよ。
「先生、まだロシア語やってません」と言うと
「そうか、やればいいだろう」という。
「やればいいだろう」と言ったってねえ。
あの先生は文字通りそれが出来る人なのですよ。
東大のサンスクリットの辻直四郎先生が、私におっしゃったことがある。
井筒君は、若いときにサンスクリット文献を借りに来た。
「ちょっと手に入らないので、先生おねがいします」という。
「どうせ読めないだろう」と思ったけれども、せっかく借りたいというから貸してやった。
そして1ヶ月経ったら返しに来た。
全然読んでいないんだろと思ったら「全部暗記して分かっている」という。
「やっぱりスゴい奴がいるものだ」と辻直四郎先生は私(鈴木孝夫)におっしゃった。
井筒俊彦は病気のあいだに1外国語を独学した
そういう風に井筒先生というのは「あるモノをしようと思うと独学でやった」のです。
ロシア語も、結核で戦後ずっと寝ていた時に勉強した。
それであっという間に
- ロシア文学史
- ロシア精神史
- 詩人のフョードル・チュッチェフ
- レールモントフ
など、ロシアのものについて書いたりした。
だから弟子たちも「やろうと思えばできる」
井筒先生は、こう考えていた。
つまりできる人は、先生にしちゃだめなのですね。
監督も名選手は監督としてろくな奴はいないのですよ。
苦労した人間は教えることができるけれども、天才的な名選手を監督するとチームも強くならない。
「打てるだろう」と言うけれど、こちらは「打てないからこそ教わりたい」のです。
井筒俊彦の哲学・語学授業とは?
われわれ凡人は、井筒先生に教えを乞うと、
- 今日からギリシア語だとか
- 来週からペルシア語だとか
ってテキストが変わる。するとみんなそこでまず落ちちゃうのです。
ついていかれない。
私みたいに愚鈍なやつはもう歯を食い縛って、振り落とされまいとして、毎年ついていった。
10数年経って、ついに私も息切れした。
その時に「勘弁して下さい」というのも癪だから「先生を追い出す」という無茶な形になった。
そんなわけですから、ほとんど当時は
- 井筒俊彦というと鈴木孝夫
- 鈴木孝夫というと井筒俊彦
という風に周りは一心同体だと思っていた。
慶応の中でも浮き上がっている。
井筒先生自身はいい意味で浮き上がっている。
そこへ京都大学の泉井久之助さんがやってきた。
辞を低くして「京都大学の言語学科に来てくれ」と、井筒さんを迎えに来られた。
今は私立大学の先生が東大を国立に移るが普通です。
しかしあの頃は国立と私立では
- 天と地
- 天国と地獄
月給も何もかも違う。ですから
- 東京大学の主任教授
- 京都大学の主任教授
というのは、もう格が違うのですよ。
それが井筒さんを迎えに来た。
まとめ
語学の天才・井筒俊彦のエピソードを紹介しました。
井筒俊彦宅へ下宿したエピソードはとても貴重ですね。
「日替わりメニューで毎日違う言語の勉強をする」
井筒俊彦も、イスラム学者に弟子入りしたエピソードがあります。
これまたすごいので、よかったらご覧ください。
さらなる天才エピソードは動画でも紹介しました