岸見一郎『幸福の哲学』を読む|古代ギリシアの生き方と思想の一致




『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵』の内容

岸見氏の新刊では「幸福」がテーマです。

その中でも気になるのは、「古代ギリシアの智恵」の部分。

アドラー心理学については、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』はじめ、岸見氏による多くの著書があります。

なので、アドラー心理学を学びたい方は、そちらを読めばいいでしょう。

幸福な哲学者は絶無?

今回の新刊を手に取る方は、少なからず古代ギリシアにも興味があるのではないでしょうか。

商品紹介にはこんな文面が。

本当の幸福とは何か? どうすれば、人は幸福になれるのか? 母親の突然の死、父との不和、自身の死の淵からの生還の体験など、生と死をめぐる様々な体験を契機に、著者の岸見一郎氏はこの問題について、永らく考えをめぐらせてきました。もともとギリシア哲学の研究者であった著者がアドラー心理学に出会ったのも、この問題の追求の途上のことでした。
本書は、そのような著者の個人的な体験と、ギリシア哲学、アドラー心理学など、人間の幸福に関する歴史上の深い考察を総合した結論としての本格的な幸福論です。
さまざまな哲学書を渉猟した結果、哲学者で幸福な生涯を送った者は、ほぼ皆無であることに著者は気づきます。そして思いました「よし、では自分が幸福な哲学者になろう」その結果については、ぜひ本書をお読み頂きたいと思います。

幸福と哲学の問題を前面に押し出し、幸福は哲学という学問の領域で様々に論じられてきたが、実際に幸福であった哲学者は皆無である。

そこで、幸福と哲学について、一般の人々に向けた新書を通じて、改めて考えてみようというのが、岸見氏の意図でしょうか。

ここで気になるのは、「幸福」の定義でしょうね。

本書も「幸福とは何か?」というテーマから書き出されます。

しかし、哲学者で幸福な生涯を送った者は、ほぼ皆無である、という記述は、果たして妥当なのでしょうか。

幸福の定義が定まらないままに、幸福な哲学者がいないということを、言い切っていいものでしょうか?

ソクラテスは裁判で死刑判決を受け、毒杯を仰ぎました。その際、自らの境遇を全く嘆くことはありませんでした。むしろ死後の世界に確信をもって従容として毒を飲んだのです。

そのソクラテスの生涯を幸福ではなかったと、軽々に断じることが果たして可能なのでしょうか?

もちろん商品説明や前書きに嚙みつくのも大人げないかもしれません。

しかし、ギリシアの哲学者ほど、自らの生き方と哲学とを結び付けようとした人々はいません。

ギリシア哲学とは、自らの生のあり方・魂のあり方を、哲学によって正しい方向へ向き変えようとする営みです。そして神により近しい存在に自らを高めていくというものでした。

その哲学者たちの生涯を幸福じゃないと言うのは、よほどの度胸が必要であると感じます。