プラトンの作品は、対話篇という形式で書かれている。
おおざっぱにいうと、芝居の脚本のように書かれている。
このことから、プラトンの作品は哲学書にしては読みやすいと思われている。
実際、読みやすい。なぜ読みやすいのか? それは登場人物がいるからだろうか。
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ラケスという作品の例
たとえば『ラケス』という作品は、「勇気とは何か」というテーマを題材に、
ソクラテス、軍人ラケスおよび有名な将軍ニキアスの3人で議論する。彼らは実在の人物である。
プラトンの作品に登場する人物は、基本的に実在するという特徴がある。
プラトンの作品は、同時代の市民も読めたようなので、当時の人からしたら、かなり面白い設定なのではないか。
少し前の有名人を登場させて、その人たちの功績に関わることがらについて俎上に載せるのだ。
それが単なる評論ではなく、その人たち自身になりきって語るんだから、かなりおもしろいだろう。
しかも、ラケスとニキアスはその後戦死する運命をたどる。
ラケスのほうは知らないが、ニキアスは将軍として戦いの采配を誤り戦死する。
占い師の意見にしたがって撤退時期を決めたと言われている。
そんなふたりに、戦いから撤退するのは勇気ある行為か否か、などと話をさせる。
これは当時のアテナイ人の読者からしたら、リアリティのある話で、おもしろくないはずがない。
プラトン対話篇の特徴と楽しみ方
プラトンの対話篇の特徴は、登場人物がいるといっても、それが実在の人物であり、その登場が、プラトンの考えを表明するための単なる装置としての役割だけにとどまらない点にある。
(むしろ著者プラトンの考えというのは、よくわからない。これも特徴。「プラトンはこう言っている~」などという言説は慎重に考えるべき。)
だから、プラトン作品をより楽しむためには、登場人物について深く知るのがよい。
『ソクラテスの弁明』だったら、メレトスって誰とか。
『クリトン』だったら、クリトンって誰とか。
どんな生まれで、年はいくつで、どんな経歴で、その後どうなるのか。
どんな考えをしそうなのか、そんなことを踏まえて読むと、楽しい。
そういう登場人物のプロフィールについては、大抵は巻末の解説に載っている。(逆に登場人物のプロフィールもないようなプラトンの翻訳書はあまりおすすめできない。)
プラトンの作品とは、いわば週刊誌的な読み物、風刺作品だとも考えられなくもない。
そしてこのようなアプローチは楽しいだけでなく、ときに非常に重要でもある。
プラトンがその人物に対してどのような思いをもって、どのような評価を下したのかを知ることができる。
『カルミデス』は30人政権のリーダー格であるクリティアスが登場する。
クリティアスは賢人ソロンの血筋を引き、かつプラトンの親戚。
プラトンにとってとんでもなく重要な人物である。
とんでもなく重要な作品なのに、文庫もない。読めるのは全集のみ。