ホッブズの生涯の続きです。ホッブズの時代のイギリスの歴史についての詳しい紹介です
前回の記事はこちら。
【年表】ホッブズの経歴と人生を生い立ちから解説。長生きすぎて笑う
下記クリックで好きな項目に移動
哲学者ホッブズとイギリス史を解説。17世紀イングランドの歴史
ホッブズが大学で勉強しているころ(1603)、イギリスではスチュアート朝が誕生する
ホッブズがオクスフォード大学に入学した翌年
アルマダの海戦も率いたエリザベス1世が亡くなり、スチュアート朝という新たな王朝が開かれました。玉座についたのはジェームズ1世でした。
(ジェームズ1世)
イギリス革命前哨戦とも言うべきこの時代
民衆は中世のような農奴ばかりではありませんでした。
前王朝で毛織物などで稼いだお金で、貴族とまではいかないまでも力を持った人間たちが出てきました。それがジェントリです。
ジェントリたちの力は強大でした。
国の一大改革である宗教改革にも協力したぐらいですから。
そうなってくると、
「俺らだって政治を動かしていいんじゃないか?」
と思うようになってくるようになりました。
しかし、ジェームズ1世は王権神授説という考えを持っていました。
この考えは王様の権力は神様から授けられたものなのだから、
王様は臣下を差し置いて好きに統治していい
ジェントリとは相反するものです。
王はことごとく彼らの期待に背きました。
それでも王に従う王党派、ジェントリを含む王を嫌う議会派─この対立構造はイギリス革命への火種となっていくのです。
【ブチギレ】チャールズ1世に権利の請願を出すも状況に変化なし
「王よ、お願いだからやめてくれ!」権利の請願の効果はなく……~
民衆達は勝手に振る舞うくせにろくすっぽ成果を上げないバカ王ジェームズ1世に嫌気がさしていました。
1625年にチャールズ1世が即位するも、状況は変わりませんでした。
財政が苦しいので議会の話を聞かずにとにかく税を取り立てます。
(チャールズ1世。どうやら狩りの途中の肖像画らしい。かっこいい)
それにとうとう怒った民衆は権利の請願という書物を提出します。
大雑破に言うなら
という内容です。
チャールズ1世は最初は受け入れました。
しかし、次の年には議会を解散し、反対派の中心議会を勝手に牢獄に入れて、その後11年も議会を開きませんでした。
─民衆は次第にこのような気持ちを抱いてくるわけです。
ホップスが海外旅行している頃、イギリスでは絶対王政打倒の動きが始まる
イギリスの財政は2代目バカ王のせいで苦しくなっていくばかりでした。
チャールズ1世はとうとう港のある都市だけ取られていた船舶税を全国でやろうとします。
「これは法律的におかしい!」とジョン・ハムデンという人が支払いを拒否したのを引き金にして、反対運動は全国的に広がりました。
「絶対王政はおかしい!」
ジェントリを中心とした政治に関わりのある人々がみんなそう思い始めてきたのです。
そんな状況でチャールズ1世はもう一度議会を開きます。
お金が足りないから搾り取ろうとしたのです。
民衆達ももう黙っていられません。本格的に国王をどうにかする方向に進みます。
それが1640年、長期議会と呼ばれ、イギリス革命最初の年になった理由です。
『法の原理』の出版。1640年。炎上してホッブズは亡命
この年に、一冊の本が回ってきました。
『法の原理』。トマス・ホッブズの著作でした。
この当時からホッブズの基本思想である
という原則は現れていました。
王党派には「よく言った!」と褒められるのですが、
議会派からは「ふざけるな!絶対王政を認めるのか!」と叩かれます。
そう、ホッブズが浴びた非難とは議会派の意見だったのです。
更に王党派の貴族が弾劾を受けて王党派が不利になったことにより、身の危険を感じたホッブズは亡命することになりました。
ホッブズがフランスに亡命後(1640~)、イギリスではクロムウェルが登場する
1645年。歴史は大きく変わりました。
クロムウェルがネーズビーの戦いで王党派を蹴散らしたのです。
それで皇太子時代のチャールズ2世はとても居られなくなり、フランスに亡命してきたのです。
一方、共和制優位になったので、国王を処刑しました。
これにより、イギリス唯一の共和制が始まるのです。
尚、この年にクロムウェルはアイルランドに侵攻して、現在のアイルランド問題に発展します。
カトリックの国であり王党派が逃げていると思われたのです
(国王の処刑)
「国王死んだ!じゃあ平和になったのか!?」と言われれば勿論違います。
むしろ厳格なピューリタンの社会になっていきました。
1651年 リヴァイアサンの出版
1651年、フランスのチャールズ2世の王宮でもよろしくない事態が起こります。
恐ろしい本が世に出たのです。
それがホッブズの一番有名な書物─『リヴァイアサン』でした。
先ほども話しましたが、この書物は無神論的だとされたため、ホッブズは宮廷を追放されました。
そのため、ホッブズはイギリスに帰ることにしました。
ホッブズがリヴァイアサンで干されている頃(1651)、イギリスでは独裁政治に近づく
1651年、クロムウェルは航海法を発布しました。
これは中継貿易で繁栄するオランダの財政に打撃を与えるものでした。
そのため翌年にイギリスとオランダは戦争を始めます。これが第一次英蘭戦争です。
さらに翌年、権力を握ったクロムウェルは護国卿に就任します。
国を護ると書いていますが、実質独裁者の椅子です。しかし、一向に政情は不安定でした。
1659年、クロムウェルは亡くなり、共和制は幕を下ろしました。
「もう共和制はこりごりだ!王様に戻ってきてもらおう!」
と民衆はチャールズ2世を呼び寄せます。
ロンドンに戻ってきたチャールズ2世はある家の前で立ち止まりました。
それはかつての家庭教師であり、宮廷を追われた哲学者ホッブズの家でした。
そう、2人は感動の再会を果たしているのです。
しかし、ホッブズはこれを嬉しく思っていたとは思えない節があります。
当時の知識人であるハリントンも国王の帰還パレードを見ていたようですが、彼はこうつぶやいています。
(ジョージ・ハリントン)
彼の予言通り、1688年から89年のイギリスではチャールズ2世の子供ジェームズ2世が追い出され、ウィリアム3世とメアリ2世が即位する名誉革命が起こります。
(名誉革命)
以上がイギリスの歴史です
さて、ここまでイギリス史を説明してきました。次はホッブズがどういう人間だったのかを明かしています。
トマスホッブズの人物像や性格のわかる逸話。ロックやライプニッツとの関係やエピソード。
以上、哲学者ホッブズとイギリス史を解説。17世紀イングランドの歴史でした
ホッブズのおすすめ本・参考文献・サイト
1、『ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』
生涯も思想もよくまとめてあって、それでいて薄いので非常にありがたい新書。何度お世話になったか分からない。
2、『リヴァイアサンと空気ポンプ』
ホッブズとボイルの論争についてまとめてくれてる本。残念ながら長い。覚悟して読んで。
1より生涯と思想についてよくまとめてくれている本。表紙が素敵。
4、『新版 概説イギリス史』
イギリス革命の歴史を知るためにお世話になった本。私はイギリス革命のところだけ読んだけれど、他にももっと面白いところがあるかもしれない。
5、『ライプニッツとスピノザ』
「何度紹介するんだ」って思われるかもしれないけど、名著。読めばライプニッツとスピノザが好きになる。確実に好きになる。
6、『哲学者190人の死に方』
こちらも「何度紹介するんだ」って思われるかもしれないけど、名著。非常に読みやすいし、哲学者達のエピソードが豊富だから逸話を楽しみたい人にオススメ。
7、『若い読者のための哲学史』
哲学史と哲学者の逸話が非常にわかりやすく説明されている本。文章が1章1章短いのですっと読める。
8、『ロバート・フック』マーガレット・エスピーナス著
みやぎんさんに勧められた本。読んでみたら面白かった。今度買おうかなって考えてる。
9、『リヴァイアサン』(光文社古典新訳文庫)
『リヴァイアサン』本編が新しい訳で書かれている本。解説もあるので、最初に読み進めるのならこれ。
ただし翻訳者が哲学畑の方じゃないので、本格的に読むなら岩波文庫のほうがいいかも(精査してません)
以下写真なしで掲載
・『詳説 世界史B 改訂版』(山川)
・『ニューステージ 世界史詳覧』(浜島書店)
・『世界史用語集』(山川)
・『タテから見る世界史』(学研)
・『詳説 世界史研究』(山川)
・『倫理用語集』(山川)
海外サイト
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Thomas_Hobbes
→墓の写真を持ってきました。調べてみるものですね。
スペシャルサンクス
- ニートンさん〈@MNeeton〉
- フックについて詳しい科学史歴史創作家のみやぎんさん〈@miyagin0315〉
- ホッブズ本人
- ここまで読んでくれた貴方
ここまで読んでいただきありがとうございました!
広告
私、白兎は「今日は何の日か」調べて、短編を作る企画をしています。詳しくは
#今日は何の日短編集で検索!検索ぅ!
哲学にまつわる小説を書いてらっしゃる白兎扇一〈@WhiteRabbit1900〉さんに書いて頂きました