教育学、社会学、政治学など、様々な分野で登場する人物「ジャンジャックルソー」。
登場する学問の傾向は似ていますが、本当によく出てくる方なので、彼が絡む学問を学んだことがある方は「また出てきたの」と思うこともあったかもしれません。
ですがこの方、なかなかに波乱万丈な人生を送られた人生経験豊富な方なのです。有名な書籍を複数残したのは、多くの経験ゆえかもしれませんね。
今回は
- ジャンジャックルソーの生い立ち
- ジャンジャックルソーの経歴と代表作を分かりやすく
- ジャンジャックルソーの性格が分かる面白い逸話
をご紹介します!
ポイントは以下の通りです
- 決して貧しい家庭に生まれたわけではなかったのに……ルソーの波乱万丈人生!
- ルソーは都会嫌い? ルソーが感じたフランスの歪みとは!?
- 子どもはとにかく孤児院へ? 教育論の著者、まさかの教育を放棄する!
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ジャンジャックルソーの生い立ち
ルソーはスイスのジュネーブにあった時計屋で生まれました。とはいえルソーの祖先はパリ生まれで、血筋的に言えば彼はフランス人です。
しかし、祖先がプロテスタント弾圧から逃れるためにジュネーブに移り住んだため、
ジュネーブがルソーの生まれ故郷となったのです。ルソー本人も「自分の故郷はジュネーブだ」と認識していたようです。
ルソーは「貴族の家に生まれたおぼっちゃま」というわけではなかったのですが、
それでも職人階級ということで貧困に悩まされる筈のない人物でした……
それにも関わらず、彼は凄まじい幼少期を送ることとなってしまいます。
- 生涯悩まされる病弱体質として誕生。
- 生後9日目にして母親が死亡する。
- 10歳の頃に父が失踪し、奉公に出た兄も失踪。
- 従兄と共に牧師に預けられるも、牧師の妹に折檻され続ける。
- その後も上手くいかず、大人達から何かと虐待を受け続ける。
当然のことながらルソーはひねくれてしまい、嘘を繰り返し、盗みも繰り返し、その他様々な悪事を繰り返し……
と、完全な不良少年と化してしまいました。普通の時計職人の子だったはずなのですがね……。
- こんな調子でルソーは何事にもやる気を見いだせなくなってしまいますが、
- それでも父から学んだ読書だけはやめなかったそうです。
- かなり難しい本も普通に読めるような子どもだったんだとか。
その後、ルソーは15歳にして流浪の旅に出てしまいます。こんな環境に置かれていたのですから、無理はありません。
しかし、ルソーは1年もの放浪生活の末、様々な経緯を得て定住の地を見つけます。
現南フランス、シャンベリーに住んでいたヴィラン婦人の愛人(!?)となるのです。
このヴィラン婦人とは時と場所を変えながらもかなりの期間、関係性を持っています。
- 最初こそ愛人(保護者)という感じだったのですが、最後の方は正真正銘の愛人、といった感じでした。
- そして荒れていたルソーが最終的に更生するきっかけとなったのも彼女です。
- お世話になった彼女に、恩返しがしたい――そしてルソーは、パリで身を立てようと決意するのです。
ジャンジャックルソーの経歴と代表作を分かりやすく
ルソーは書籍の執筆に加え、音楽の世界でも名を残しています。
彼が作曲したオペラ『村の占い師』のある挿入歌は後に童謡「むすんでひらいて」として親しまれるようになりました。
不思議な縁ですね。
- 他にも楽譜の新記号を発表したり、
- 「人々に知識を与えたい」という目的を持った有志が集まって執筆した『百科全書』では
- 音楽の項を担当していたりと、何かと有名な人物です。
ですが、彼を良い意味でも悪い意味でも有名にしたのは小説形式の教育書『エミール』でしょう。
エミールはその名の通り、エミールという少年を理想的な青年に成長させるための話で、
- 「都会は変な誘惑が多く、汚いから田舎で育てるべきだ」、
- 「自然に触れさせて育てよう」、
- 「感情を大切にしよう」
など、ルソー独自の価値観が綴られています。
都会で高度な教育を、ではなく自然の中でのびのびと、というのが独特ですよね。
ルソーは初めてパリを訪れた際、富に堕落した人々や薄汚れた街並みに幻滅してしまったのだとか。
だからこそ、純粋な子どもを都会に置くべきではないと考えたのですね。
しかしこの作品、カトリック教会を批判するような内容が含まれていたため、
- ルソーは迫害され、亡命生活を送ることとなってしまいます。
- 『エミール』以前に彼が書いていた専制主義を批判する内容の『人間不平等起原論』と『社会契約論』も何かと物議を醸し、
- ルソーは危険人物として教会にマークされてしまいました。
しかし「国家の最高権力は人民であり、人民による政治が行われるべきだ」と説いた『社会契約論』は
後の市民革命等に大きな影響を与えるものとなります。
ジャンジャックルソーの性格が分かる面白い逸話
ルソーの面白い・独特なエピソードとしては、以下の物が挙げられます。
- どうしてそんなに喧嘩してるの……!? ルソーはトラブルメーカー!?
- 結婚は56歳で? それまでに生まれた子ども達はみんな孤児院?
上から順番に紹介していきましょう!
1.あっちでこっちで対立するルソー
子どもの頃からそんな感じではありましたが、ルソーは行く先々で何かと問題を起こしています……
というより、何故かことごとく意見を違えて喧嘩してしまうのです。
有名どころですと、
- ヴォルテール
- ディドロ
- ダランベール
- ウォルポール
- ヒューム
……などなど、ルソーは多くの人々と問題を起こしています。
露出狂の気もあった(!?)ようで、露出狂絡みで問題を起こしたことも……物凄く波乱に満ちた人生だったのですね。
2.ルソーが批判される事項の1つ!
ルソーは何かと批判されることの多い人生を送っていますが、
そのうちの1つが「10年間で愛人に5人の子を産ませ、全員を孤児院送りにしている」ことです。
ルソーは『エミール』という有名な教育書を書いていますので、尚更批判の種になってしまったということですね。
- 何かと暴走気味だったルソーにしっかり付き合っていた愛人、テレーズはルソーが33歳の時に下宿先で女中をしていた人物でした。
- ヴィラン婦人とも色々あって決別していたルソーは彼女と親しくなりますが、
- 結婚まではなかなか行かず、ルソーが56歳になるまでずるずると何とも言えない関係を続けてしまいます。
しかし、波乱の人生と生まれ持った病弱な体が原因でその頃のルソーは随分と精神を病んでおり、
円満で幸せな結婚生活……とは行かなかったようです。
- 『エミール』は今、私達が読んでも面白い教育論が描かれた名作です。
- ですが、その作者は決して良い父親とは言えなかったのです。
- 何だか、深い矛盾を感じてしまいますね。
まとめ ルソーの性格や経歴は?生い立ちとエピソードがスゴすぎた!
最後に、ジャンジャックルソーについてまとめておきます。
- ルソーはフランスの学者である。
- ルソーは名声の傍ら、苦難の人生を送っていた。
- ルソーは友人と喧嘩することが多かった。
- ルソーは矛盾の多い人物だった。
ルソーは「人民による政治」を訴えた人物で、フランス革命の功績者として、彼の棺はパンテオンという神殿に安置されました。
苦難に満ちた人生を送ったルソーですが、死後は称えられ、名誉の存在として扱われたということですね。
フランス革命は1789~1799年に起こったものです。
しかし、その後もフランスでは動乱の時代が続きます。
その動乱の時代(復古王政から七月革命にあたる1815年~1833年)を描いた名作がヴィクトル・ユーゴーの代表作、『レ・ミゼラブル』ですね。
- 作中ではフランス革命についても少し触れられていますが、
- 歴史の中に埋もれかけていた6月暴動を有名にした作品として知られています。
- 微妙にルソーの名前も出てきますね。(どちらかというと、批判的な登場ですけれど……)
幸福なハッピーエンドとは言い難い作品ですが、確かな「愛」と「想い」を描いた悲しいこの物語は時代を超えて人々に愛され続けています。
ユーゴーと出版社の「?(訳:レ・ミゼラブル売れてる?)」と「!(訳:大変な売れ行きです!)」でやり取りされた世界一短い手紙のエピソードも有名ですね。
最近のものですと、2012年に放送されたミュージカル映画も、涙無しに見られない名作です!
ルソーが説いた「人民の政治」、そして「革命」とは……色々と考えさせられる名作です。
興味が湧いた方は、是非手に取ってみてください!
以上、ルソーの性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードでした!